映画館への道、帰り道。君たちはどう生きるかを再び観たの話。

行ったことがないので、これは聞いた話で、しかも、又聞きなのだけれども、渡った事のある人が言うには、三途の川も金次第なのだそうだ。

現金な世の中、常日頃、そうは思っていたけれども、渡りの船まで現金ともなると、彼岸も案外に隣の芝生に過ぎぬと思えて来る。

だから、ポイントが貯まって無料鑑賞券にて観て来た映画に、感想なんてものがあってよいのかは、大いに怪しいに違いない。

古より、ただより値の張るものもなし。

そんな調子で、昨日、《君たちはどう生きるか》を再度観て来た。



開場まで時間があったので、フードコートで、チョコバナナ・クレープを食べた。

考えたら、クレープなるスイーツを食するは初めての事。

薄いと思った生地は丸めたせいか、思いの外、主張が激しく、喉が渇いた。

合わせて飲んだコーヒーは、安いのを選んだら、安っぽい味がして、それが何よりの安心だった。

何事も、分相応が宜しかるべし。



夜勤明けで行く映画館は、大抵、眠くなる。

予告の時点で、既に意識は遠退いて、うつらうつらとしていたけれども、なんと言っても観るのは二度目の作品であるから、本編が始まったら、聞き覚えのある音に呼び覚まされて、取り敢えずは、一端、目が醒めた。

その後は、醒めたり、寝たり。正に寝ても覚めても映画という時間を過ごす。

スクリーンの向こう側の夢の世界と、瞼の奥に潜む夢の世界とが、激しく交差するので、初見ではないのに、まるで初めて観るかの場面が沢山あった。

その映像の作り手が、果たして作家であったか、自分自身の方であったかは、疑問も残るものの、とても幻想的な体験に違いなく、これこそは、映画館で映画を観る醍醐味そのものだろう。途中で止める事も、巻き戻す事もなく、夢は現と、現は夢と、流れて行く。



そんな調子に話が進めば、伏線もなければ回収もない。

仮にあったのなら、そんなやくざなものは、さっさと埋めてしまって、ひたすら館からの解放を待っていた。

眠ろうとすれば却って目覚めて、目覚めてしまえばたちまち眠くなる。

解放だけが希望であった。

そんなにしてまで戻りたい現実で、やりたい事と言ったら寝ることなのだから、映画の終幕と観終えた後味とには、流石に、若干のずれが生じてしまって、 そこだけは居心地が悪かったけれども、果たして、希望は叶い、幕は閉じられた。

それは、交差というよりは、平行線を往来したに過ぎないのかも知れない。

あるいは、延々、一線も交えなかったと言う人もあろうかと思われる。

戦でもなければ、交わらぬが一線。

二線交われば、たちまち一戦となる。

まぁ、凡そ、そんなテーマの画でもあった。

醒めては観られぬ夢がある。

眠れば観られぬ作品も、或いは、あるかも知れぬのが、世の性だろう。



パンフレットの薄さが話題になっていた。

どうも金額に見合わない内容という事らしい。

そんなに安く解ける謎じゃあありませんぜ、旦那。というところじゃないのかな。

尤も、ネタバレは、求めずとも、程なく、向こうからどんどん無料で押し寄せるのが当世気質なれば、謎は進んで買うべき季節もの、答えは無料で与えられる粗品の様なもの。

そこに、君たちはどう生きるか、という表題が掛かって来るのが、一番の面白さであれば、劇場で観られる事にこそ、強い意味もある。



映画の半券があると、あのクレープが一割引きだったのを後から知って、とても損した気分になった。

それは、正確には、得しなかった気分であるべきものなのだけれども、心情としては、言葉の額面通りに、損した気分になった。

ただで観た映画に、定価で食べた甘味。

後味は、数十円の損した気分の物語。

そうやって過ごした時間は、確かに掛け替えのない価値があったに違いない。

実にお得な映画体験だった。

費やすは時は、それ即ち金にも勝る也。



帰りの電車は空いていた。

座れば、案の定、降車駅を寝過ごした。

こうやって、時も金も余計に費やすは、最高の贅沢でこそあれ、よもや浪費にはなりますまい。

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