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描く・造形する〜創る本能と衝動

前回(↓)の続き。

これは女性キャラクターのイメージ作りのために私が描いた架空のオリジナルキャラクターです。2D描くのは2年ぶり。↓

女性キャラデザイン・名称未設定

私の場合、2Dを描くのは基本的に「造形のため」が主な目的です。ですが、描くのは本能に近い部分があります。このキャラに関しては「自分の好きな女性の顔のラインや角度を理想化して視覚化」してみたい、と描き始めました。特定の誰か実在の人物の画像を元に描いたわけではなく、好きな昔のフランスの女優を何人か私の脳内でシャッフルして理想化し、脳内妄想から2Dに落とし込んだ女性像です。

2Dと3D

よく「2D・3D」と分けて考える人が多いです。基本的に2Dと3Dは文字通り「次元が違う世界」です。

ですが、私的な解釈としてはその両次元は繋がっている世界です。

「X軸とY軸だけの表現」か「X軸とY軸にZ軸が加わった表現か」

だけです。

前回の記事で「絵画表現(2D)と造形表現(3D)には上も下もない」と書いたのはこの考えがベースになっています。

絵を描く人は3Dを解釈すべきですし、造形する人はZ軸の意味と価値を理解して消化するために2Dを解釈すべき、と思ってます。

最近は漫画やイラストに3Dを取り入れている作品も増えました。「3DCG使ってラクをしてる」「手抜き」と考える人も多いでしょう。デジタルを使っているだけで「手抜き」と考える人も未だにいます。

ですが、3Dモデリングやデジタルを一度でもやったことがある人は、それが「ラク」「手抜き」とは決して言わないはずです。全く別の知識とスキルが要求され、それらを習得するのにはそれ相当の時間とエネルギーを要します。紙と鉛筆で長い間かけて2Dスキルを磨くのとまったく同じです。

「手抜き・ズルしてる」という人たちは、おそらくやったことない人達がほとんどでしょう。なのでそういう声は「無視」が良いですね。「いやこれはもの凄く時間とスキルがかかっていて・・・」とか説明してもそういう人達は「そう思いたい脳内ロック」がかかっていてきっと分かりっこないので、たぶん時間の無駄です。

「自分が描きたい・造形したいと本能から沸き立つものを創る」という意味において、2Dも3Dも同じです。それぞれに要求される知識とスキルも沢山あります。それだけに、2Dだろうが3Dだろうが、2Dと3Dとの組み合わせだろうがデジタルだろうが、イチから作品を創って生み出そうとしている人たちを、私は心からリスペクトしています。

描く・創る本能と衝動


よく「プロを目指して挫折して描くのをやめた」、とか「プロになれなかったから音楽をやめた」、という人たちがいます。そういう人たちは、「職業として」しか考えてないのかな?と思ったりします。職業って、他者や世の中が作り上げた価値観なのですよね。職業意識がない幼い頃に「事務職になりたい」と本能から沸き立つ人はいないわけで。スポーツもそうですが、絵や造形や音楽って、本能から沸き立つからやるものではないのかな?と。

実は、私もそういう「本能派の人たち」のひとりでした。

元々本能でやり始めたのに、周りや大人から「将来何になりたい?」「じゃぁ、今するべきことはなに?」というような言及を日々浴びせられる。本能からやり始めた楽しいことを「職業と同じ台に乗せられて」考えさせられるようになると同時にその価値観が埋め込まれる。そして、「職業として成り立たない」と判断したとたん、パタッと辞めてしまう。

私は最近になってこうやってiPadでたま〜に描き始めるようになるまで、2Dを描くことを長い間封印していました。幼い頃「職業意識」がなかった頃に芽生えた本能を自ら強く封印していたわけです。

3Dをやり始めてから2Dの必要性を感じるようになり再び描き始めたわけですが、出戻り当初は脳が「描くことを強くロック」していました。描こうと思っても、脳が動かすな、と命令しているかのような感じです。そのロックを外すのが大変でした。

そのロックの正体とは、

「長年かけて他者から埋め込まれた価値観」に過ぎない

と気づくのにずいぶん時間がかかりました。

結局、

ロックを外して「自然にほっといたらその人は何をやるか?」

というのがその人の本質なのだと思います。
例えば私の場合、小さい頃は家で妄想したり集中して何か指先を動かし続けるのが好きな子供でしたので、放っといたらスポーツや運動はしません。なのでそこにはきっと私の本質はないのでしょう。

自分の本能から沸き立つ衝動はロックしてはいけないし、他者からロックされないように本能を守らないと、と思ったりします。

ではまた。
(続く・・・かどうかは未知)

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