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【歴史文化模型造形研究談義】「ステレオタイプな思い込み(その2)」

前回の記事(↓)の続き。


私がこの作品に込めた想い

これは私の完全オリジナル作品、フルスクラッチビルドで製作したWW1ドイツ兵の1/16スケールフィギュアです。↓

この作品の真のメッセージは

「私達は100年前から大して変わっていない」


です。

人間は、100年前も、実は、姿形は大して変わっていない。100年経っても戦争を続けているのも変わらない。写真がカラーになって色がついても、100年前の白黒の写真の中の兵士達と現代の私達はなんら変わらない。100年前に戦争で死んだ若者も、今と同じように当時は若者であり、ステレオタイプ的なイメージの、ちょび髭を蓄えたおっさん顔のおっさん兵士ばかりではない。

その事実から目を背け、多くの人は、ステレオタイプな思い込みを当時の兵士像に求める。戦争をモチーフにした模型作品を作るモデラー達も、それをやりがちです。

しかし、そんな作品ばかりでは、多くの名も無き若者の命が失われたという戦争の本質を見逃すことになる。

当時の戦場写真を見てみよう。それらの画像のなかにいる100年前の若者は、現代の若者と大して変わらない。その古い画像の中の若者達にあなたは何を読み取るのか。

というコンセプトのメッセージを込めた、作品でした。

「現代の若者風に見える」
「WW1のドイツ兵のイメージっぽくない」
「当時のドイツの平均身長は170cm弱だった。この兵士は180cmくらいに見える」
「WW2以降のドイツ兵に見える」

というのが、何人かのモデラー達からいただいた、この作品の評価です。

そのようなコメントをくれた皆さん、ありがとうございます。はい、その通りです。だいぶ私のメッセージに近づきました。

ですが、私の真のメッセージまでは読み取れていないようです。

少々余談ですが、模型作品の場合、現代人の俳優が映画の中でWW1の兵士を演じてもそこにツッコミはしないのに、モデラーが同じような事をやるとツッコまれる、という興味深い現象も起きたりしますね。

映画『トロイ』で、ブラッド・ピットが「この映画のメッセージはなんですか?」と聞かれた時に、「「僕ら人間は何百年前から何も変わっていない」という事です」と答えていました。何百年経っても、人間は姿形は現代と大して変わっていない。そしてやることも大して変わっていない。殺し合い、奪い合い、愛し合い、嫉妬しあい、憎しみ合っている。「トロイ」もそういうメッセージを含んだ映画という事でした。

そのようなメッセージを、現代の俳優が時代映画を演じるようなスタンスを模型で再現してみたい、と思ったのがこの作品の背景にあります。

作品解説その1

WW1時、新兵が出征前に記念撮影を撮る習慣がモチーフ。バイアスを外すためステレオタイプのWW1兵のイメージをあえて外して造形しました。

WW1戦ドイツ兵は口ひげを蓄えたおっさん顔のイメージがありますが、多くの若い新兵もいました。古い白黒のそれらの写真から垣間見える顔や姿形は、現代の若者となんら変わらない。

私がWW1をテーマにするのは、映画「西部戦線異状なし」「ジョニーは戦場へ行った」に強く影響を受けたからです。モチーフを若い兵士にしているのもその理由の一つ。戦闘前は若く凛々しく笑みを浮かべる余裕もあった画像の彼らも西部戦線の泥沼の塹壕に埋もれ土となったのでしょう。

カラー化映像から見えてくる現実のWW1時代のドイツ兵像

近年、昔の映像が高解像度カラー化されています。カラー化により、以前は白黒写真からしかイメージ出来なかった当時の空気感、人々の息吹をよりリアルに感じることが出来るようになりました。

以下の映像は、WW1当時のドイツの様子です。カラー化されることで、いかに私達が脳内でイメージしていた当時のドイツ兵像が、ステレオタイプの「思い込み」であったか、が分かると思います。(↓)

映像には、当時も、現代の私達と大して違わない造形の人たちが見えてくると思います。もちろん、時代の特徴的な顔つきや服装、雰囲気、空気感などはあります。でも、背が高い人もいれば低い人もいて、肉付きの良いひともいればガリガリの人もいる。そういう「人間としての造形」は、現代人と大きくは変わらないのではないでしょうか?

そう、私達人間の造形は、100年前から、そんなに大して変わっていないのです。

そして、相も変わらず、もっと言うと、何百年前と変わらず、戦争をしている。人間の本質は、大して変わらない。

それが、私の作品に込めた思いでもあります。

作品解説その2

そういう作品づくりの背景があり、ガスマスクの下の素顔は現代の若者と変わらず凛々しい若者の素顔、というメッセージを込めてヘッドも2つ造形しました。


全ての模型は偽物(フィクション)である

私は、自分の模型作品は「すべてフィクション作品」であり、「アート作品」として作っています。そして、模型作品ではあっても、映画作品を作るような感覚で作っています。

それ故、作品の雰囲気やメッセージを優先した結果、考証的には正確でない場合もあります。そして、敢えてそのままにしている場合もありす。これは、マニアックな考証至上主義の多いモデラーたちへのアンチテーゼでもあります。

模型はどこまで行っても、模型。虚像や実在する物を「模」した「型」です。作者がどんなに本物に近づけようとしても、決して「本物」にはならない。

だからこそ、「まるで本物に見える!」が作者への最大級の褒め言葉であり、モデラーはそこを頂点と考え、その領域を目指すのでしょう。

でも、「本物に見える」の言葉の裏には「本物ではない」があります。トリックアート的な騙し絵にも通じる偽物としての存在意義。

それが、「模型」というものの本質てあり、永遠の「フィクション」であり続ける。

それが私の模型に対する考えです。

だからこそ、そこにはフィクションとしてなんらかの遊び心であったり、非現実やウソやメッセージを含めています。それが「作家性」というものに育っていく、と思っています。

まとめ

以上、過去作を題材にして、模型に対する私の考えや作品の製作スタンスを交えながら、書いてみました。

なお、私のこの考えは、今後変化していく可能性もあります。人間の価値観は、変化していくものですからね。将来私がちょっと違う事言ってても「昔こう言ってたじゃないか」と、野暮な整合性は求めないで欲しいと思います。ただ、現時点ではこういう感じです、というだけですからね。

ではまた。

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