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日本のテレビ史の教科書

日本のテレビ史・概要

この記事では日本のテレビ史について解説します。

日本のテレビ史は大まかに以下の4つに分けることができます。

1.黎明期(1953年-1960年代)
日本のテレビ史の始まりは、1953年に日本テレビが開局したことから始まります。当初は、テレビは高価で普及率も低かったため、視聴者が多く集まる大相撲やプロ野球などのスポーツ中継が主流でした。また、バラエティ番組やドラマも制作され、タレントの誕生などもありました。

2.カラーテレビ時代(1970年代-1980年代)
1970年代に入ると、カラーテレビの普及により、映像表現が飛躍的に進歩しました。また、多チャンネル放送が開始され、スポーツ中継やドラマ、バラエティ番組、音楽番組など多様なジャンルの番組が制作され、視聴者の娯楽の一つとして定着しました。

3.情報バラエティ時代(1990年代-2000年代)
1990年代以降は、情報番組やバラエティ番組が人気を集めるようになりました。また、映画やドラマ、アニメなどの作品が海外に輸出され、国際的な評価も高まりました。一方で、テレビの視聴率が低下し始め、新しい娯楽形態であるインターネットなどの台頭に対応するため、テレビ自体も大きな変革を余儀なくされていると言えます。

4.オンデマンド時代(2010年代-現在)
2010年代以降は、インターネット配信による動画配信サービスが普及し、視聴者が自分の好きな時間に好きな場所で番組を視聴できるようになりました。これに対応するため、テレビ局もオンデマンド配信サービスを開始し、テレビの在り方が再度変化しています。

これらのジャンル分けに従って戦後日本のテレビ史を詳しく、わかりやすく解説します。「スキ!」と思ったらフォローをよろしくお願いします。


1.黎明期(1953年-1960年代)

1-1.黎明期のテレビの特徴

日本のテレビ史の黎明期は、1953年に日本テレビが開局したことから始まります。当時のテレビは高価で普及率も低かったため、視聴者が多く集まる大相撲やプロ野球などのスポーツ中継が主流でした。また、バラエティ番組やドラマも制作され、タレントの誕生などもありました。

黎明期のテレビは、今とは比較にならないほど限られた技術しか使われていませんでした。例えば、当時はカメラが一台しかなかったため、複数のカメラを使っての撮影ができませんでした。そのため、カメラが一台の場合は、視聴者に映すシーンを撮影することしかできず、映像表現が非常に限定されていました。

また、黎明期のテレビは、音声のクオリティも低かったです。当時は、マイクの性能が低かったため、視聴者が話している内容がはっきりと聞こえるようなことはありませんでした。そのため、テレビ番組に出演する人たちは、発声訓練を受けたり、マイクに向かってしっかりと話すように指導されたりすることがありました。

黎明期のテレビ番組には、大相撲やプロ野球のスポーツ中継がありました。これらの番組は、当時はラジオ中継が主流でしたが、テレビで視聴者に映すことによって、よりリアルな臨場感を視聴者に与えることができました。また、黎明期のテレビ番組には、バラエティ番組やドラマもありました。当時のバラエティ番組は、アマチュアのタレントが出演し、コメディーなどを披露するものが主流でした。また、ドラマは、原作のないオリジナルのものが多く、当時の社会情勢や風俗、文化などが反映されていました。

黎明期のテレビは、今とは異なる娯楽の一つであり、人々に大きな影響を与えました。例えば、黎明期のテレビは、人々に新しいエンターテインメントの形を提供したことで、映画や演劇などの伝統的な娯楽形式が変化するきっかけにもなりました。また、当時はラジオが主流であり、テレビが普及するまでは、家庭でラジオを聴くことが日常的でした。しかし、黎明期のテレビが登場したことで、家庭内の娯楽の形式が変化し、家族でテレビを観ることが一般的になっていきました。

黎明期のテレビは、当時の社会情勢や風俗、文化が反映された作品が多く制作されました。例えば、戦後の混乱期には、NHKが制作したドキュメンタリー番組『現代の映像』が人気を博しました。また、当時は東宝映画との提携により、テレビドラマ化された映画作品が多数制作されました。

一方で、当時はテレビの放送時間が非常に限られていたため、制作された番組の中から選りすぐられたものが放送されました。また、テレビの技術的な制約もあり、番組制作には大きな制限があったため、テレビ番組のクオリティが現在とは比較にならないほど低かったこともありました。

しかし、黎明期のテレビは、その後のテレビ番組制作に大きな影響を与えました。当時のテレビ制作現場には、アマチュアのタレントが多数登場し、それまでの芸能界の既成概念を打ち破るような番組が制作されました。また、テレビドラマも、当時は原作のないオリジナルのものが多かったですが、後に原作を基にしたものや、海外ドラマのリメイクなども制作されるようになりました。

現在、日本のテレビ業界は、黎明期のテレビが開局した1953年から、技術や制作技術、放送時間や放送内容の多様化、デジタル技術の進化など、数多くの変化を経て発展してきました。今のテレビは黎明期のテレビが確立したものから成っています。

1-2.黎明期のテレビ番組

黎明期のテレビ番組で人気が高いものやその後に与えた影響が大きい番組を5つ紹介します。

  1. 現代の映像(NHK)・・・ 1949年にスタートした日本初のドキュメンタリー番組。当時の混乱期を反映し、政治、経済、文化などのテーマを扱い、多くの視聴者から支持を受けました。1952年には、GHQからも高い評価を受け、現代の映像は日本のテレビ番組史において、重要な位置を占めています。

  2. 東京ロマンスロード(日本テレビ)・・・ 1953年にスタートした日本初のドラマ番組。東京の都市生活を描いたストーリーが特徴で、大阪のテレビ局との競争が激しく、当時の視聴率で最高を記録しました。

  3. 赤胴鈴之助(日本テレビ)・・・ 1954年にスタートした初の時代劇番組。原作は漫画家の池上遼一によるもので、鈴之助という主人公が悪を倒していく物語が描かれました。視聴者からの人気は高く、時代劇ブームの火付け役となりました。

  4. テレビ対談(NHK)・・・ 1953年にスタートしたトーク番組。政治家や著名人をゲストに招き、社会問題や文化、芸術など幅広いテーマを扱いました。特に、池田勇人首相と吉田茂首相の対談は話題になり、今なお語り継がれています。

  5. 『NHK紅白歌合戦』 ・・・『NHK紅白歌合戦』は、年末に放送される日本の歌謡番組で、1951年に初めて放送されました。当初はモノクロ放送でしたが、1962年にカラーテレビで放送されました。この番組は、歌手たちが紅組と白組に分かれて対決する形式で行われ、多くの歌手が出演することで、年末の風物詩として親しまれています。

1-3.黎明期のテレビタレント

黎明期のテレビタレントで特に人気が高かった人物を5人紹介します。

  1. 石原裕次郎:石原裕次郎は、1950年代に出演した映画やドラマで人気を博し、黎明期のテレビタレントとしても活躍しました。彼は、音楽や歌唱力に優れており、テレビ番組での歌唱パフォーマンスは、多くの視聴者に愛されました。

  2. 美空ひばり:美空ひばりは、1950年代から1960年代にかけて、多くのドラマや音楽番組に出演し、日本のポップス界を代表する歌手として活躍しました。彼女の独特の歌声とステージングは、多くのファンから支持を得ました。

  3. 加山雄三:加山雄三は、1960年代にテレビドラマで主役を務め、日本の青春文化の象徴となりました。彼は、若者からの支持を得て、多くの人気曲を発表しました。また、彼のユニークなファッションスタイルも話題になりました。

  4. 森繁久彌:森繁久彌は、役者として長年にわたって活躍し、多くのテレビドラマに出演しました。彼の演技力は高く評価され、視聴者からの人気も高かったです。また、テレビ番組の司会者としても活躍し、多くの番組を盛り上げました。

  5. 武田鉄矢:バラエティ番組『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ)に出演し、歌手としてデビューした武田鉄矢。その後も、多数のバラエティ番組に出演し、活躍しました。彼の番組出演により、日本のテレビ界において「タレント」という存在が定着しました。


2.カラーテレビ時代(1970年代-1980年代)

2-1.カラーテレビ時代の特徴

カラーテレビの時代は、テレビの視聴体験を大きく変えました。黎明期のテレビが白黒だったため、色鮮やかな映像により、番組が魅力的になりました。ここでは、カラーテレビ時代の概要、技術の進歩、番組の変化について詳しく説明します。

カラーテレビの登場と普及

カラーテレビは、1960年代初頭にアメリカで開発され、その後、日本でも1960年代後半から普及し始めました。当初は高価で、一般家庭に普及するには時間がかかりましたが、1972年に東京オリンピックが開催されたことをきっかけに、急速に普及しました。

技術の進歩

カラーテレビの普及に伴い、技術の進歩も加速しました。まず、カラー映像に必要な情報を伝送する「カラー信号」の方式が、NTSC方式と呼ばれるものに統一されました。NTSC方式は、色の情報を送るために特殊な位相変調方式を用いており、色の再現がより正確になりました。また、カラーテレビの普及により、テレビ受像機自体のデザインも変化し、大型でスタイリッシュなものが増えました。

番組の変化

カラーテレビの普及により、番組の制作も変化しました。まず、バラエティ番組などでは、より華やかで派手な演出が可能になりました。また、ドラマ番組でも、映像の表現力が向上し、よりリアルな世界を再現することができるようになりました。さらに、スポーツ中継などでは、選手たちのユニフォームの色がはっきりとわかるようになり、試合の臨場感が増しました。

また、カラーテレビの普及により、視聴者の嗜好も変化しました。例えば、海外旅行番組や料理番組などは、現地の風景や料理の色合いがより鮮明に映し出されるようになり、よりリアルな体験ができるようになりました。

さらに、カラーテレビの普及により、視聴者が番組に好奇心を持つようになり、新しい番組の需要が高まりました。このため、新しいジャンルの番組が登場するようになりました。例えば、カラオケ番組や、音楽ライブ番組、またアニメーション番組などが登場し、人気を博しました。

また、カラーテレビの普及により、テレビ局も番組の制作に力を入れるようになりました。カラーテレビを使った映像表現の技術を競い合い、より魅力的な番組を制作することが求められるようになりました。このため、テレビ局は、映像技術の向上や、制作体制の強化に力を入れるようになりました。

さらに、カラーテレビの普及により、CM業界も変化しました。カラー映像を使った派手なCMが多くなり、CM業界も新しい表現方法を模索するようになりました。また、カラーテレビの普及により、視聴者がCMをより鮮明に見るようになり、CMの効果も高まったとされています。

カラーテレビの普及は、テレビ放送を大きく変えた一つの出来事であり、テレビが視聴者により身近な存在になった一つの要因でもありました。カラーテレビは、映像表現の可能性を広げ、多くのジャンルの番組を生み出すことにつながりました。今日では、ほとんどのテレビ放送がカラー映像で行われており、カラーテレビが普及したことで、テレビ業界の発展と、視聴者のテレビに対する期待が高まったことは間違いありません。

2-2.カラーテレビ時代のテレビ番組

カラーテレビ時代には昭和らしい様々なテレビ番組が製作されました。今回は代表的なものを8つ取り上げます。

  1. 『笑点』・・・ 『笑点』は、日本テレビで放送されているお笑い番組で、1966年に放送を開始しました。初めはモノクロ放送でしたが、1975年にカラーテレビに移行しました。『笑点』は、古典落語の演目を基にした「大喜利」や「おまわりさん」などのコーナーで構成されており、多くの人々に愛されています。

  2. 『3時のあなた』 ・・・『3時のあなた』は、1970年代に放送されたトーク番組で、当時の女性たちに大変人気がありました。この番組は、日本テレビで放送されていた『午後は○○おもいッきりテレビ』の中で放送され、吉永小百合や森昌子などの芸能人たちが出演し、トークを繰り広げていました。

  3. 『ウルトラマン』 ・・・『ウルトラマン』は、1966年に放送が開始された特撮テレビドラマで、円谷プロダクションによって制作されました。この番組は、地球を守るために戦うウルトラマンと怪獣の戦いを描いた作品であり、カラーテレビによって、よりリアルな怪獣や特撮シーンが表現され、多くの子供たちに愛されました。

  4. 『NHKスペシャル』 ・・・『NHKスペシャル』は、NHKが制作するドキュメンタリー番組で、1976年に初めて放送されました。この番組は、社会的な問題や歴史的な事件などをテーマに、深い掘り下げ調査を行い、多角的な視点から解説することが特徴で、カラーテレビによって、映像の美しさやインパクトが高まりました。

  5. 『太陽にほえろ!』・・・ 『太陽にほえろ!』は、1972年から1986年まで放送された刑事ドラマで、当時の若者たちに大変人気がありました。この番組は、刑事たちが日々犯罪に立ち向かう姿を描いた作品で、カラーテレビによって、よりリアルな犯罪現場や追跡シーンが表現され、迫力が増しました。

  6. 『ザ・ベストテン』 ・・・『ザ・ベストテン』は、1978年に放送を開始した音楽ランキング番組で、当時の若者たちに大変人気がありました。この番組は、毎週、視聴者からの投票によって、トップ10に選ばれた楽曲を紹介するというもので、カラーテレビによって、より華やかなステージや、派手な衣装が映え、視聴者に楽しい時間を提供しました。

  7. 『ドラえもん』 ・・・『ドラえもん』は、1979年から放送されたアニメーション作品で、藤本弘と横山光輝の漫画を原作として制作されました。この番組は、未来からやってきた猫型ロボットのドラえもんと、彼と一緒に過ごす少年ののび太の冒険を描いた作品で、カラーテレビによって、より鮮かに映し出されました。

  8. 『8時だョ!全員集合』・・・ 1969年にスタートした、バラエティ番組の代表格。出演者たちがコントや音楽、トークなどを繰り広げ、家族で一緒に楽しめる番組として親しまれました。人気は絶大で、最高視聴率は67.6%を記録したといわれています。

2-3.カラーテレビ時代のテレビタレント

この時代に活躍したタレントを数名紹介します。

  1. 西城秀樹:歌手としてデビューし、その歌唱力と個性的なファッションで人気を博しました。1970年代後半には、バラエティ番組「8時だョ!全員集合」に出演し、「シャララ・恋をしていたあの頃」などのヒット曲を生み出しました。

  2. 近藤真彦 :人気歌手であり、俳優としても活躍しました。1980年代には、多くのヒット曲を出し、特に若い女性からの支持を受けていました。

  3. 渥美清:俳優として数多くのテレビドラマや映画に出演し、演技力とコミカルなキャラクターで親しまれました。代表作に「必殺シリーズ」(1972年 - 1984年)や「男はつらいよ」シリーズ(1969年 - 1995年)があります。

  4. 加藤茶・志村けん(ザ・ドリフターズ): ザ・ドリフターズは、コントグループとして黎明期から活躍し、その斬新な演出や音楽により、多くの若者たちに愛されました。特に、加藤茶と志村けんは、その後も多数の番組に出演し、バラエティ番組の代表的なコンビとして名を馳せました。

  5. タモリ :お笑い芸人であり、司会者としても知られています。彼は長年にわたって多くのバラエティ番組で活躍し、多くのファンを獲得しました。

3.情報バラエティ時代(1990年代-2000年代)

3-1.情報テレビ時代の特徴

情報バラエティ番組は、1980年代後半から1990年代にかけてのブームを経て、2000年代に入っても高い人気を誇りました。2000年代以降、情報バラエティ番組は多様化し、さらに進化しています。

情報バラエティ番組は、テレビ局が制作するバラエティ番組の一ジャンルであり、ニュースや時事問題、エンターテインメントなど様々な情報を扱います。そのため、視聴者層も幅広く、年齢層や性別による差異が少ないことが特徴です。

情報バラエティ番組とは、バラエティ要素と情報要素が組み合わされている番組のことです。情報バラエティ番組には、情報番組とバラエティ番組を融合させたような形式が多く見られ、エンターテインメント性と役立つ情報をバランスよく提供することが求められました。例えば、『笑っていいとも!』では、ゲストトークや芸能ニュース、最新トレンド情報などを提供しながら、コントや演芸などのバラエティ要素も盛り込まれていました。

1980年代から1990年代にかけて、情報バラエティ番組は、「クイズ$ミリオネア」や「TVチャンピオン」など、視聴者参加型の番組が主流でした。その後、1990年代後半から2000年代にかけては、トーク番組やバラエティ番組が人気を集めました。

2000年代以降、情報バラエティ番組は多様化し、様々なテーマやスタイルが生まれました。例えば、2001年に放送が始まった『とくダネ!』は、朝の情報番組としての役割を持ちつつも、テレビ局内部の問題を取り上げる「局アナ激白」のコーナーなど、時事問題や社会問題を扱った内容も充実しています。また、女性向けの情報バラエティ番組としては、『スッキリ』や『めざましテレビ』があります。これらの番組では、ファッションや美容、グルメなど、女性にとって興味のある情報を提供するとともに、特集コーナーで社会問題を取り上げることもあります。

また、『ナニコレ珍百景』や『爆笑問題のバク天!』など、ユニークな企画が特徴的な番組もあります。『ナニコレ珍百景』は、日本各地の変わった風習や珍しい物品を紹介し、視聴者からの投票で「珍百景」として認定するという番組です。『爆笑問題のバク天!』は、芸人が普段やっていることとは全く違うことに挑戦する企画や、一般人に対してボケとツッコミを求める企画など、斬新でユニークなコーナーが多い番組です。

また、近年では、情報バラエティ番組においてもSNSの影響が大きくなっています。例えば、『アメトーーク!』は、Twitterでのトレンドになっているテーマを取り上げることが多く、番組内でTwitterのつぶやきを紹介することもあります。さらに、YouTubeやTikTokで人気のクリエイターをゲストに招いて、彼らの持ちネタやトーク力を活かしたコラボレーション企画を行うことも増えています。

情報バラエティ番組は、長年にわたって視聴者の関心を集め続けてきたジャンルであり、今後も時代の変化に合わせて進化し続けることが期待されています。

3-2.情報バラエティ時代のテレビ番組

情報バラエティ時代に代表される典型的な「情報バラエティ番組」を紹介します。

  1. 『笑っていいとも!』 - 1982年から2014年まで放送された情報バラエティ番組で、司会のタモリを中心にトーク、コント、歌、ゲームなど多彩なコーナーが展開された。番組独自の言葉や流行語も生み出し、長年にわたって人気を博した。

  2. 『クイズ $ミリオネア』 - 1999年から2007年にかけて放送されたクイズ番組で、参加者が15問の質問に答えて賞金1000万円を目指す。高額賞金をかけたクイズ番組は珍しかった当時、視聴率が高く、後に世界中で放送されるようになった。

  3. 『世界まる見え!テレビ特捜部』 - 1990年から現在まで放送されている情報バラエティ番組で、国内外のニュースや事件、トレンド、テクノロジーなど様々な情報を独自の切り口で紹介する。番組独自のリポーター陣も人気が高かった。

  4. 『とんねるずのみなさんのおかげです』 - 1982年から2000年まで放送されたバラエティ番組で、とんねるずが司会を務め、多彩な企画やゲストとのトーク、コントなどを展開した。また、「天気予報の時間です」という名物コーナーも人気を博した。

  5. 『アメリカ横断ウルトラクイズ』 - 1980年から2007年にかけて放送されたクイズ番組で、参加者がアメリカを横断しながらクイズに挑戦する。車や飛行機、船を利用してアメリカ各地を巡りながら、参加者たちの挑戦に視聴者が熱狂した。また、番組に出演したタレントが後に大ブレイクすることも多かった。

3-3.情報バラエティ時代のテレビタレント

情報バラエティ時代に代表されるタレントを数名紹介します。現在でもテレビなどで見かけることが多い人が多いです。

  1. ダウンタウン:ダウンタウンは、1980年代から活躍しているお笑いコンビで、情報バラエティ番組でも活躍しました。彼らの人気の秘密は、的確なツッコミと洞察力にあったと言われています。

  2. 明石家さんま:明石家さんまは、1980年代から1990年代にかけて数多くの情報バラエティ番組で司会やレギュラーを務め、一躍人気タレントの仲間入りを果たしました。その人気の秘密は、ひょうきんなトークと豊富な知識、そして独特なユーモアセンスにあったと言われています。

  3. 所ジョージ:所ジョージは、1970年代からテレビに出演し、情報バラエティ番組などで活躍してきました。彼の持ち味は、軽妙なトークとユーモアセンスであり、多くの視聴者から支持されています。また、彼のプロデュースするライブイベント「所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!」は長年にわたって人気を博しています。

  4. とんねるず:とんねるずは、1980年代からテレビに出演し、その個性的なキャラクターで人気を博しました。彼らは、情報バラエティ番組やバラエティ番組でのトークや、コント、歌、ダンスなど多彩な才能を持っています。また、彼らが出演する番組は、独特のテイストがあり、多くの視聴者から支持されています。

4.オンデマンド時代(2010年代-現在)

4-1.オンデマンド時代の特徴

オンデマンド時代とは、インターネットを通じてコンテンツをいつでもどこでも視聴できる時代を指します。テレビ、映画、音楽、書籍、ゲームなどの娯楽コンテンツを、自分の都合の良い時間に楽しむことができます。

オンデマンド時代になると、従来のテレビ放送とは異なり、視聴者が自分の都合のいい時間に好きなコンテンツを選択的に視聴できるようになりました。これによって、視聴者がより自由な時間配分でテレビ番組を視聴できるようになったことが、オンデマンド時代の最大の特徴と言えます。

また、オンデマンド配信は、インターネットが普及したことで可能になった新しい配信方法です。従来の地上波や衛星放送では、放送時間に合わせて番組を視聴する必要がありましたが、オンデマンド配信では、自分の好きなタイミングで番組を視聴することができるため、視聴者にとって非常に便利な配信方法となりました。

また、オンデマンド時代には、従来のテレビ番組とは異なり、視聴者が自分で視聴したい番組を選択することができるため、従来の放送局による番組編成から解放された新しい番組制作が可能になりました。そのため、より多様な番組コンテンツが生まれ、テレビ業界においても大きな変革が起こっています。

さらに、オンデマンド時代には、視聴者がリアルタイムで番組に参加することができるSNSなどのコミュニケーションツールが普及したことで、視聴者と番組との関係が変わってきました。視聴者が番組に対して意見や感想をリアルタイムで投稿することができるため、番組制作側もより視聴者の声を反映した番組制作が可能になりました。

4-2.オンデマンド時代のコンテンツ

代表的なオンデマンドコンテンツとしては、以下のようなものがあります。

  1. ストリーミング配信サービス:NetflixAmazon Prime VideoHuluなどのサービスがあり、映画やドラマ、バラエティなど様々なジャンルのコンテンツが提供されています。定額制で月額料金を支払うことで、視聴者は好きな作品をいつでも視聴できます。

  2. YouTube:世界中で最も利用されている動画共有サービスで、様々なジャンルの動画が投稿されています。個人や企業が自主的に作成した動画や、テレビ局が公式にアップロードした番組の一部もあります。

  3. Podcast:音声配信サービスで、ニュースやトーク、ラジオドラマなどのコンテンツが配信されています。スマートフォンやパソコンで聴くことができ、視聴者は好きなタイミングで聴くことができます。

  4. ニコニコ動画:日本の動画共有サイトで、アニメやゲームなどのオタク文化を中心に様々なジャンルの動画が投稿されています。また、コメント機能を使ってリアルタイムで視聴者同士が交流することができます。

まとめ

テレビ史は、その時代ごとに技術や社会情勢の変化に合わせて進化し、多様なジャンルやコンテンツを生み出してきました。

黎明期にはテレビ放送の技術の確立とともに、オリジナルドラマやバラエティ番組が開始され、日本のテレビ業界を築いていきました。

カラーテレビ時代には、技術の発展によって映像表現が進化し、スポーツ中継やドキュメンタリー番組の放送が開始されました。

情報バラエティ時代には、視聴者参加型の番組が増加し、多様なトピックを扱った番組が増えました。

そして、オンデマンド時代には、インターネットを活用したコンテンツの配信が主流となり、視聴者自身が時間や場所を選んで視聴できるようになりました。また、デジタル技術の進歩により、映像制作や編集の手法も変化しています。

テレビ史は、技術の進化や社会情勢の変化に合わせて進化してきましたが、常に視聴者のニーズに合わせたコンテンツを提供することが求められています。

最後に

10000字を超える長い文章を最後まで読んでくださって本当にありがとうございました。

好評でしたら音楽史やバラエティ番組史、ドラマ史なども書こうと思っています。

面白い!タメになった!誰かに話したい!と思ったら「スキ」と「フォロー」をよろしくお願いします。

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