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王安石と給付金

こんにちは、“鳩”といいます。
予備校で世界史を教えています。

思うところあって、世界史の授業動画をネットで公開しようと考えています。
撮影機材や編集ソフトが必要です。
こんな感じで撮りたいのです。

鳩授業

ね、面白そうでしょう。
出オチですか。
鳩マスクを妻が持っていたので、それをかぶって撮影します。
アニメーションや効果音、動画編集機能をフルに使った動画を作りたいのです。
受験生や世界史に興味がある人の手助けになれば、と僭越ながら考えている次第です。

ひょんなことからキナリ杯が開催されているのを聞き、参加させていただきました。
給付金をコンテストの賞金にされるとは、なかなかできることではありません。

この給付金というのは大変理にかなっていますね。
停滞する景気にカツを入れて人々の経済活動が軌道に乗ってくると、税として国庫に返ってくる。
皆がお金を使うと経済は回ります。
僕なんか、学生の時分はこの経済のカラクリが実感としてよくわかってなくて、バイトで稼いだお金を後生大事に貯金していたけど、今思うとあれは実にもったいなかったなあ。
もっと使っておけばよかった。


中国は宋の時代に「王安石」という政治家がいました。
宋朝というと今から1000年くらい前の王朝です。
とてもとても貧乏な王朝で、国が建てられてからというもの慢性的な財政難に悩まされていました。
そこで、財政改革の責任者に抜擢されたのが王安石です。
中国では「科挙」という官吏任用試験(国家公務員試験Ⅰ種みたいなもの)が行われていて、王安石は二十歳そこそこで試験を突破したのだけれど、家庭の事情で地方官職に仕えました。
「家庭の事情」というのが気になりますが、詳しいところは本人でないため説明がむずかしい。
そりゃそうだ。
王安石は家族が多く、嫁入り前の妹が二人いたとか、亡き父の弔いもしっかりできていないとか、そういう理由で実家近くの地方職を選んだようです。
当時は地方公務員の方が高給取りでした。
しかし、こういう話題は王安石のプライバシーにかかわるため、したり顔で巷間に広めてしまっていいのかしら。

何年か前の話ですが、どこかの予備校の模擬試験を作っていたとき、「ショパン」を題材にしようと図書館で彼の生涯について調べていたら『ショパン全書簡集』なる本を見つけたのだけれど、意中の人にあてたラブレターがばっちり全部載っていて「うわぁ…」とうなり声をあげてしまったことがあります。
渾身のラブレターでっせ。
ショパンはポーランド人ですが、自分の恋文が200年後まで遺ってしまって、極東アジアの島国でヒゲのおっさんに読まれるなんて、これはちょっとなんというか。

話を元に戻します。
王安石は地方の職務に励むかたわら、暇を見つけては政治に対する考えをまとめて、TwitterとかFacebookに投稿していたところ(すみません、これは嘘)、とにかくべらぼうに文章がうまくて政府高官はみんなうなってしまった。
それで皇帝の神宗が王安石に入れ込んじゃって、政治顧問として中央政界に迎えてみたら評判通りのヤリ手だったワケです。

彼は「新法」と呼ばれる財政改革を断行します。
改革の中に、「青苗法」「市易法」がありました。
「青苗法」とは、作付け前の農民に資金を貸し出して収穫後に返還させる制度です。
貧乏な農民にお金を渡して、これで苗やら種やらを買いなさい(※後で返してね)、ということですね。
給付されたお金で、農具をトレンド上位のホーロー製に新調した人もいたかもしれない。
利子は2~3割とまあまあ高かったのですが、これを元に農民の生産力が向上し、税収が増えて財源を安定させました。
「市易法」とは、商人への融資策です。
資金力に乏しい中小商人に準備金を貸し付けて(※後で返してね)、商業活動にエネルギーを注入しました。
商いって、人を雇うにも設備をそろえるにも結構大きなお金が必要ですよね。
軒先に看板を掲げるだけでも出費がかさんだに違いありません。
看板の字も、フォントやデザインを凝りたいですし。
宋朝なのにフォントは明朝体。
そこで、「市易法」の融資があれば商人はとても助かるわけです。
この法律は、審査基準があいまいで給付が拙速になるなど、はじめのうちはうまく機能しなかったのですが、運用が軌道に乗ってからは景気がよく回って、北宋の経済発展を支えました。

コロナ禍に対応した政府による投融資の拡大は、古今東西変わらず行われていた政策なのですね。


さて、王安石の「新法」ですが、5年ほどで挫折してしまいます。
改革が失敗した理由は様々ですが、大きな原因の一つに保守派の反対がありました。
貧農や中小商人の活動が安定すると、それまで儲かっていた大地主や大商人、いわゆる既得権益の利が失われます。
利権集団の上層階級とつながった政府高官が、王安石と彼の「新法」を激しく攻撃しました。

いつの時代も既得権益は政治家と癒着します。
世界史を学んでいると、本当に嫌というほど多くの「腐敗」に出会います。
そうして、王安石の「新法党」に対し、「旧法党」ががっちりと反発しました。


ここからは私見です。
世界史の授業では、王安石の新法が革新的な政策であったと説明されることがあります。
けれど僕はそう思っていません。
王安石は誰だって考えつくことをやってみたに過ぎない、と考えています。
ほかの政府高官だって農民や商人に資金を貸し付ければいいことぐらい理解できたはずで、1000年前には現代の経済理論なんてモチロンなかったのだけれど、昔から「金は天下の回り物」というように、人々はエコノミー=システムを大なり小なり肌で感じていたのではないでしょうか。

王安石は空気を読みませんでした。

「まあ、確かにそうだけど、それができりゃあ苦労しないよねぇ」
王安石の改革を聞いて、周りの官僚はこう思ったことでしょう。
確かにおっしゃることはごもっとも、だけども、慣例や現行の法律もあるし、地主は不満だし、大商人とつながっている官僚が反対するし、財源だって大きいよ、僕らのお給金はどうなるのか、申請の形式も整えないといけないし、通知のホームページも早急に作成する必要があって、様々なことを勘案するとそんな突拍子もない政策はちょっと無理なんじゃないかな。
できない理由は無数にあるのですね。

王安石は突っ込みます。
若い神宗の信任をフルに活用し、内閣チームを自分のとりまきで固めるなど、使えるものをすべて使って新法を推し進めました。
彼の強引なやり方は後世になって批判の的になるのですが、「できない空気」を打破するには致し方がなかったのかもしれません。

そもそも、王安石にも割と問題がありました。
彼はあまりに有能すぎて、一度見聞きしたものは絶対に忘れないし、文章を書かせればすごい速さで正確な筆さばき、しかも上手い。
迷信は信じないし、初代皇帝以来の法律にもケチをつけるし、人のアドバイスは“屁”みたいなものだと考えていました。
中国の史書『宋史』の「王安石伝」にそう記されています。
“屁”のくだりは僕の創作です。
その態度は同僚にすこぶる不評で、これでは旧法党が反対するのも当然でした。
彼は希代のKY(空気読め)だったのです。

それで、この話の教訓は「できない理由は無数にある」です。
そうです、できない理由は求めればいくつでもあげられる。
僕は、これまでSNSをほとんどやってこなかったのだけれど、「どうせ続かない」とか「時間がない」とか「文章なんて書いていたら授業がおろそかになるのではないか」とか「批判されたらどうしよう」とか、まあ様々な「やらない理由」をあげてのらりくらりと過ごしていました。
今回のコロナ禍でこれからの身の振り方を考えてみたところ、それなら楽しいことをすればいいんじゃないか、というところに落ち着きまして、今回のキナリ杯に(賞金に目がくらんで)参加しようと文章を書いてみたら、「おぉ、これこれ、この文章を作る感じ最高や」と相成りました。

文章の構想を練り、資料を調べて書き綴った1週間は本当に幸せでした。
ありがとうございます。
賞金が入れば撮影機材を買うつもりだったのですが、よく考えたら僕にも給付金が入るし、そもそもそれほどお金に困っているわけでもありません。
買ったらいいんです。
そうすると、コンテストに参加する大義名分が無くなるのですが、皆様の批評にあずかっても罰は当たるまいと、原稿をアップさせていただきました。

そんなわけで、今回賞金がもらえなくても全く問題ありません。
大丈夫です、足りなくなったら王安石に融資してもらうので。

王安石


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