見出し画像

ロシア留学記③ペテルブルク物語

前略

モスクワでの短期留学中、せっかくなので週末は遠出することにした。
2週目にサンクトペテルブルクとノヴゴロド、3週目にはカリーニングラードを旅した。
「どこよ」っていう方のため、地図を貼っておくので参考されたし。
※編集後記:3都市書くつもりでしたが、1つも終わりませんでした。

白地図専門店より。字は手書き。

これまでの記録はこちらから。


サンクトペテルブルクへ

ペテルブルクについて語りたい

まずは簡単にこの都市、サンクトペテルブルク(通称ペテルブルク)を説明から始めよう。
社会科の教職を取っているものでして。
簡単になので、厳密さは欠きますがご了承を。

この都市は18世紀初頭にピョートル大帝によって建設された、いわば人工都市だ。
西欧化を進め、ロシアの国際社会における存在感を飛躍的に高めた彼は、プーチン大統領をはじめ多くのロシア国民が敬愛されている。そのため、お土産屋さんにめっちゃいらっしゃる。

ピョートル1世の肖像。エルミタージュ新館にて撮影。

彼の西欧化政策を象徴するのが、サンクトペテルブルクの建設である。ちなみに、今のロシア国旗は先進国だったオランダを参考にしたものだ。

言ってしまえば「西欧かぶれ」のところがあるピョートル大帝。「サンクトペテルブルク」は「聖なるペテロ(あるいはピョートル)の街」という意味だが、ドイツ語読みなのは彼の西欧趣味を反映してものといわれる。
第一次世界大戦期に「ペテログラード」と改名されたのは、愛国心の高揚と反ドイツ機運の高まりによるものだ。この都市はその後、ソ連期に「レニングラード」となり、崩壊後「サンクトペテルブルク」に戻った。

改名をめぐっては、こんな小話が流行ったらしい。
「世界最高の3つの都市はどこ?」
「ペテルブルク、ペトログラード、レニングラードさ」

まあまあ長くなってしまった。
言いたくなっちゃうのが性なのでお許しいただきたい。
何が言いたいかというと、行きたかったんだよということです。本題に入ります。

いざ、深夜特急。

モスクワからペテルブルクへは、寝台列車で向かった。なんとなく憧れがあったからだ。
金曜日は授業がないので、木曜日の午後から3泊4日だ。最終日はノヴゴロドに寄って帰る。
え?月曜日?
帰りの電車を逃すことにするに決まっている。

念には念を入れ、発車の2時間半前に駅に到着。早すぎた。暇だった。

列車内の様子。

到着!

モスクワを22時に出て、ペテルブルクに着いたのは6時半。快眠だった。
予約したホステルは、朝でもチェックインを受け入れてくれるとの記述がある。しかも、英語対応可とのこと。大変ありがたい。

ロシア語は微妙だし、日本語だも情報が少ないので、情報収集は英語サイトになる。ちなみに①②に登場した友達とは、みんな英語で喋っている。先生にバレたら刺されそうだ。

モスクワで使えるトロイカ(上)と
ペテルブルク版のやつ(下)。

サイトの情報を頼りにSuicaみたいなカードを買って電車に乗り、最寄駅へ。少々歩く。やっぱりちょっとタバコくさい。

ホステルはどこだ

ここでもしっかり問題が発生する。
ホステルが見つからない。
何度も住所を確認する。周りの建物の配置を眺める。ちょっと周囲も歩いてみる。
やっぱりこのあたりにあるはずなんだ。

長くなるので、余計な話がお嫌いな方は次にお進みください。

周辺の街並みはこんな感じ
気分がハイになって路地裏も回った

こうなったら最後の手段、電話しかない。電話もできないでお馴染みの現代っ子。日本ならできますが。
まあ、英語はできるってサイトに書いてあるし。時刻はなんだかんだ8時半。さすがに起きてるだろう。

指を震わせながら番号を入力する。
変なとこにかかって請求とか来たらどうしよう。ネットに顔を載せたら爆発すると考える類の人間ではないが、情勢とお国を考えると、ちょっも不安だった。

いざっ。
プルルルル、出た!
私は必死になって、抜かりなく準備したつもりの状況説明を試みる。名前と国籍と日にちと今の場所と。朝からチェックインできるってあったんですけど、、、、。

電話先の呼吸が聞こえる。
第一声。

"Я не поняла (I didn't understand)."

掴んだ藁が千切れた感覚だった。ロシア語オンリーだったらしい。
いや、負けるものか。そういえばおれは語学留学に来ているんだ。舌を噛みそうになりながら、がんばって説明した。これはがんばったと思う。最低限のことはなんとなく伝わったようだ。
最後に、たぶん「10分待ってな」みたいなことを言われ、電話が切れた。あとはもう、お天道さまに祈るのみ。たぶんこっちに来てから悪いことはしていません。

15分ほど経っただろうか。来ない。
近くにそれっぽい入り口はあるのだが、車が通れるほどの大きなゲートには鍵がかかっている。
あわあわしていると、そこに天の使いが現れた。軽く蹴ったら骨が折れそうなくらいの掃除のおじいちゃんがゲートの鍵を開けようとしている。暴力は決して許されない。

今しかない。もはや何を喋ったかも覚えていないが、中に入れてもらえた。その時はなぜか、ここだという確信があった。

無事、中に入れた感動。

弾む鼓動を抑えながら、正面にあったドアに向かう。結論から言うと、ドア違いだった。
そこにイケオジが家族を連れてベンツに乗って入ってきた。

もう恥など捨てた。
スマートな髭を生やした彼をロックオン。
めっちゃ優しかった。ホステルの名称を言うと、私をドアに導き、4階だよと教えてくれた。こんな紳士になりたい。

4階に上がると、聞き覚えのある声をしたおばちゃんが待ち構えていた。そのあとやっぱりよくわかんない説明を聞き、適当に相槌を打ち、一度荷物を置きに部屋のドアを開ける。

私は2段ベッドの上で三夜を越した。
よく見るとコンセントがもげている。

くさい。
上手く喩えたかったが、私の辞書にこれを説明する語彙は見当たらなかった。不徳の致すところである。だが、たしかに臭い。3泊で1,140ルーブル(約1,800円)なので文句は言うまい。

ようやく本番、1日目

気を取り直して、旅に出かけよう。
見積もりではペテルブルクについては書き終え、ノヴゴロドについて書いているはずの文字数だが、少々計算が甘かったようだ。高2数IIBの授業は英気を養う時間に充てていたから許してほしい。

エルミタージュへ

さて、初日はエルミタージュ美術館でほとんど1日を過ごした。
まあ、エルミタージュは有名だし特に書くこともない。きれいでした。
気になる人はググってほしい。

特筆すべき点を挙げるとすれば、日本語のオーディオガイドがあったことだ。感動した。
モスクワの観光地には、英語、フランス語やドイツ語などは言うまでもなく、中国語や韓国語もあったが、日本語はなかった。唯一、クレムリンのダイヤモンド庫には選択肢があったが、これが酷いのなんのって。Siriに代われ!と言いたくなるほどの棒読み。
そのトラウマを抱えながらも、一か八か挑戦してみる。受付のお姉さんは微かな驚きの表情を見せながら、素敵な笑顔で対応してくれた。生きててよかった。

早速ボタンを押してみると、、、抑揚がある!
北海道への年末年始を経た数日間は東京の冬が暖かく感じるのと同じロジックで、凄まじい感動を覚えた。ありがとうエカチェリーナ2世。
ちなみに、道産子の私に言わせると、東京の冬は寒い。北海道より寒い。
個人の感想です。感じ方には個人差があります。

第一夜

肝心の中身にはノータッチだが、初日は以上。ホステルに戻り、臭いに耐えながら床に就く。ん? 枕からタバコの香りがするぞ。これは想定外。まさかのオートマティック受動喫煙である。
そんなことを考えていたら、寝てた。疲れてたのだろう。

2日目

『罪と罰』の舞台を歩く

さあ、2日目だ。ここが個人的メインディッシュ。
『罪と罰』の聖地巡礼である。
結局、書いてたら例のように溢れたので分けました。ドストエフスキーガチ勢ではないとだけ断らせていただきたい。こわいから。

元老院広場(デカブリスト広場)

さて、途中で元老院広場に立ち寄った。かの有名なデカブリストの乱が起こった場所のため、デカブリスト広場とも呼ばれる。説明は自粛する。

青銅の騎士。天気がよい。よすぎて暑かった。

ペテルブルクの中心部に鎮座するピョートル大帝像「青銅の騎士」は、都市のシンボルにもなっている。この像を建てたのは、彼の後継者を自認したエカチェリーナ2世だ。

像の名前は、19世紀最大の作家プーシキンがピョートル大帝を描いた叙事詩『青銅の騎士』に由来している。
プーシキンはロシア国民文学の創始者・近代ロシア語の確立者と呼ばれる詩人・作家だ。彼はデカブリストの乱に関わったり、それによって皇帝ニコライ1世に直々に検閲されたり、決闘によって37歳の若さで亡くなったり、かなり波瀾万丈な人生を歩んでいる。
まさに「ザ・ロシア文学」の人。ロシア人にとってはドストエフスキーやトルストイよりも、プーシキンらしい。私の留学先の大学も、プーシキンの名が冠せされている。
(文脈とは全然関係ないが、『ペテルブルグ物語』は、文豪ゴーゴリの代表的短編集。)

空港で見つけたおしゃれプーシキン。

考えず足か、考える葦か

罪と罰の巡礼を終え、ペテロパヴロフスク要塞に行ったりして、つかれた。文字通り足が棒になりそうだ。
帰り道は文明に頼ることにした。電動キックボードを使おう。

日本ではまだあまり見ないが、モスクワやペテルブルクではあちこちで走っている。アプリで登録をすれば、無数にあるステーションで拾って、同じように乗り捨てができる。これはとっても便利。やっぱ危ないシーンは見るけど。
(法律は詳しくないので調べてください。)

モスクワ中心部。
奥にスクーターのステーションがある。

実はモスクワで既に体験済みだった。現地の人が使っていると試してみたくなるもので、「これはロシア人の心性を体感するために必要な費用だ」と脳内の大蔵省に言い訳をし、乗ってみた。
アプリに個人情報をドバドバ入力し、クレジットカードを登録。
いざ機械を選択してスクーターが作動!

と、ここまではいいものの、ロックが外れない。まずい。ダサい。
とりあえず何も問題はないようなオーラを出しつつ、焦りを周囲に感じ取られないよう、「まいったなー」みたいな余裕のある表情を作りながら、頭をフル回転させる。

このボタンか? 違う。バーは蹴ってもびくともしない。
他の人はどうやってる? ちくしょう、周りに乗り始める人はいない。
アプリのヘルプは助けてくれないか? 設定がロシア語しかない。無理。

このか弱いスタンドを蹴り続けていた。

利用時間によって料金が上乗せされていくタイプなので、かなりまずい状況だ。
いかに何事もなかったかのように振る舞い、いかに我が物顔でスクーターを起動させるか。私の脳内には、その考えしかなかった。

体感では20分、実際は5分ほどの格闘を経て、私は彼を従えた。
敗因は、自転車でいうスタンド(駐輪時にバランスをとるやつ)だった。前輪についているスタンドを、自転車の要領でひたすら蹴り上げようとしていたのだが、車体を少し前に押すと簡単に動いた。
あまりの情けなさに、枕浮くばかりになりにけり。

回想でした。ペテルブルクに戻ります。そんな経験があったので、今回こそはとリベンジに燃えていた。
うまくいった。
使い慣れてる感も出せた。ご満悦である。

3日目

3日目は美術館・博物館を巡った。これらについては気が向いたらガッツリまとめることにして、今回はここらで筆を置かせていただきます。

旅の記録なのに、ほぼ観光話ねえじゃねえかと思ったそこのあなたへ。
あなただけじゃない、私もびっくりしている。

草々


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?