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パールハーバーからイスラエルへ


パールハーバーは、例外的な大失態だった。そう思えば、少しは気が楽になるだろう。だが、心穏やかかでいられないことがある。あれは、ごく普通の、よくある間違いだった、ということである。(中略) 危機は、シグナルや指標を読み取るスキルが不足しているから起きるのではない。予期する力の欠如に危機は潜んでいる。起こりそうな危機よりも馴染み深い危機で常に頭のなかがいっぱいだから生じるのだ。
                        トーマス・シェリング

ロバータ・ウォルステッター著『パールハーバー――警告と決定』の序文より

21世紀のパールハーバー 
ブッシュ米政権のドナルド・ラムズフェルド国防長官は、9・11の不意打ちをくらうまで、戦略研究の先駆的業績として知られるロバータ・ウォルステッター著『パールハーバー――警告と決定』(1962年)の序文をよく口にした。
 
ハーバード大学のゲーム論の大家で、後にノーベル経済学賞を受賞したトーマス・シェリングが同書に寄せた2頁余の緒言だ。そのなかでも、次の一節にたいそう感心した、と自身の回顧録に書いている。
 
「我われは、目につく日本人の動きを考えるのに精一杯で、彼らが実際にとった選択肢にヘッジをかけることを怠った。我われの計画立案では、馴染みのない(筆者挿入・よく知らない)こと、と起こりそうにもないことを混同する傾向がある」。
 
メモ魔の長官は、このくだりをコピーし、部下だけでなく国家安全保障会議のメンバーや大統領にまで配布した。わたしもペンタゴンの記者会見で、何度か序言のフレーズを聞いた覚えがある。
 
思いも寄らない敵からいつ何時、想像もつかない方法で不意打ちをくらうか分からない。絶えず気を引き締めて警戒を怠るなと政府内に警鐘を鳴らす役割を自ら担ったのだ。
 
こわおもての長官は、自分の考えについてどう思うか国防総省の幹部や米軍司令官によく尋ね、答えが気に入らないと、徹底的な質問責めで詰問したので恐れられていた。国防総省(ペンタゴン)・米軍という超巨大組織を統制する術だったのだろう。
 
しかし、そんなラムズフェルド氏の警鐘も結局、おざなりにされてしまった。「21世紀のパールハーバー」といわれる9・11で情報大国・アメリカのインテリジェンス当局に油断、予断、過信、縦割り行政の弊害があったことがあらわになった。 

彼自身、国防長官として、大量破壊兵器の脅威に備えたミサイル防衛や米軍の機構改革に取り組んだものの、テロ集団による米本土攻撃は想定外だった。 
 
赤ランプが点滅していた情報警戒システム
 
9・11の約三カ月前からアルカイダが対米テロを計画していることを示唆する情報が急増し、情報当局の「システムのランプに赤が点滅していた」ーー。9・11の真相を検証した米議会の独立調査委員会に対し、こうテネットCIA長官(当時)は振り返った。
 
入手した情報から異変を読み取っても、シェリングの序言のように、これまで見聞きしてきたいつも通りの脅威として軽く扱われたのだ。もちろん、声を上げた情報官はいたが、組織として想像力を働かせることに失敗した、と独立調査委の報告書は分析している。
 
「インテリジェンスの失敗」という点では、イスラエルの軍・情報機関は、アメリカの轍《テツ》を踏んだと思う。ハマスによるイスラエル急襲でも、事前にハマスの言動で異変を示す情報はいくつもあったはずだ。
 
報道によれば、イスラエルの情報当局は、ハマスがガザ地区に模擬のイスラエル人入植地をつくって数カ月前から襲撃訓練を実施したり、境界の検問所付近の偵察活動を頻繁に行ったりしているという情報はつかんでいた。エジプトの情報機関が「ハマスが何か大きなことを計画している」とイスラエル側に繰り返し警告していたとも伝えられる。
 

しかし、自分たちの防衛能力(例えば、ガザとの境界に張り巡らされた高度なハイテク監視システム)を過信し、ガザ封じ込めや抑止がうまく効いていると思い込んでいた。このため、何か変だという警告は無視されてしまった。欧米メディアに対するイスラエル軍・情報当局者の嘆き、反省、説明をザクッとまとめると、今回も基本的には、パールハーバー以来の「インテリジェンスの失敗」を繰り返したように見える。

歴史に残るのは奇襲の成功例

いずれ、9・11独立調査委員会のイスラエル版がつくられ、失敗の原因を検証するのは必至だ。大枠では、シェリングの序言があてはまるにしても、実際はもっと複雑であるに違いない。

しかし、やや冷めた言い方で恐縮だが、やられた側の失敗だけをいくら突き詰めても奇襲は防げないような気がする。日本軍のパールハーバーもアルカイダによる9・11もハマスによるイスラエル攻撃も成功したから歴史に残るのだろう。おそらく奇襲攻撃の失敗例も数多あるに違いないが、こちらは脚光を浴びない。

奇襲を仕掛けた側の意図(動機)と能力についても光をあてる必要があると思う。ラムズフェルド長官はじめ当時のアメリカの政策決定者は、なぜ、アルカイダにとってアメリカは敵なのか分かっていなかったと思う。今回のケースで言えば、ハマスをこの時期に奇襲へ駆り立てた誘因は何なのか気になる。
 

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