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HRCとMSA、ひろしとみさえ!

この語呂合わせを使って
近年に世に広まった「モノ」を
押さえると良いのでは…という記事を
以前に書きました。

◆H:1970年代、ハイウェイ(高速道路)
◆R:1980年代、ロードサイド
◆C:1990年代、コンピュータ
◆M:2000年代、モバイル
◆S:2010年代、SNS
◆A:2020年代、AI

ハイウェイとロードサイドとは、
要はクルマ、モータリゼーション、
自動車(マイカー)の普及のこと。
コンピュータは仕事にも家庭にも広がり、
そのうち携帯やスマホなどの
モバイルも使われるようになりました。
現在ではSNSが
日常的に使われております。
AIの飛躍的な発展と普及は現在進行形。

…ただ、その裏では。

世の中から「消えていく」モノ、
「衰退していく」モノ
もありますよね。
本記事では、それらについて書きます。

「ひろし」と「みさえ」と来たからには、
対となる覚え方としては
あの天才幼稚園児、しかいません。
そう「し・ん・の・す・け」で覚えます。
(五文字なので、1970年代と1980年代は
ひとまとめにします)

◆し:C:1970~80年代「石炭」
◆ん:N:1990年代「阿吽の呼吸」
◆の:N:2000年代「ノート(手書き)」
◆す:S:2010年代「シークレット(秘密)」
◆け:K:2020年代「会議」

順番に書いていきます。

1970~80年代、自動車が普及し
「石油」「ガソリン」がエネルギー源として
日常的に使われるようになりました。
道端にはガソリンスタンドが増えます。

その一方で「石炭」が減る。
SL(エスエル)は観光用になる。
映画「鉄道員(ぽっぽや)」がありましたが、
「ポッポー」という音の由来も
また忘れ去られていく…。

国鉄の解体もありました。
各地に残った炭田も次々に閉鎖する。
環境問題への意識の高まりもあり、
「石炭」は日常から姿を消していきます。

1990年代、コンピュータが普及しました。
家にはゲーム機の「ファミコン」が出現、
仕事上の連絡は昔の「マイコン」、
「パソコン」のメールを通して行われます。

こうなってくると「阿吽の呼吸」が
通じなくなっていく。

阿吽の呼吸とは、以心伝心、
言わなくてもわかるだろ、的な
暗黙の了解を含んだ言葉です。

それまでは連絡方法も限られていたので、
お互いの都合を「察する」ことが
とても重視されていましたよね。
電話一つとってもタイミングが重要!
恋人の家に電話をかけるにも、
怖いお父さんが出たら、さあ大変…。

それがポケベルやメールなどの普及で、
お互いに都合のいい時に
個人間で「デジタル文字で連絡」することが
容易になっていく。
こうなったら「総文字化」です。
言葉が「記録に残っていく」。
言った言わないの問題も減る代わり、
すべてをデジタル化しておく風潮が
高まっていきました。


2000年代になりますと、
「モバイル」が発達します。

こうなると「手書き」は廃れますよね。
学校でも家庭でも「手書きノート」で
連絡を取り合っていたのが、
モバイルを通して連絡ができるようになる。
病院でもカルテが電子化されていく。

漫画『シティーハンター』で
新宿駅の伝言板に
依頼人が「XYZ」と書くシーンが
思い出されるかもしれません。
あれもなくなった。
(元ネタを知らない人も多いかも…)

2010年代に入りますと、
メールよりSNS、簡易的な
掲示板的コミュニケーションツールが
日常的に使われ出します。

もうみんな、つぶやく、つぶやく。
アメリカ大統領も、どんどんつぶやく。
こうなってくると「シークレット」、
「秘密」が守られにくくなる。


逆に、どのようにSNS上で
自分のことを「見せていく」か、
SNSブランディングというものも
非常に重要になっていきます。
文字だけではなく
動画や画像なども駆使し、
「見せる」「魅せる」方法が大事になる。
「映え」が重要!

ただその暗黒面として、
「あえて明かされなかった情報」や
「暴露話」もSNS上に溢れていきます。

トリミングされた、つぎはぎの
キャッチーな情報が、瞬く間に拡散。
誤解、炎上、誹謗中傷。
そういったものも激増しました。

さて、現在、2020年代。
AIが発達していくことにより、
何が無くなっていくのか?

私は「会議」が減っていくように思います。
直接「会」って「議」すること。
もちろん全部ではない。
セレモニー的な会議は、
その機能上、無くならないでしょう。

しかしいわゆる「無意味な会議」、
「何となく会議をしているだけ」という場は
徐々に消えていくように思うのです。
ZOOM会議などに形を変えて
残るものもありますが、
よほど「顔を合わせる」ことによる
メリットが無い限り、会議をする必要が無い。
感染症も広がりやすい現代です。

「効率的な仕事の分配」
「アイディアを出し合う会議」などは、
AIがその大部分を担っていくはず。
情報の共有も自動的・効率的になる。
「会議」の存在意義が
問われている時代だ、とも思うのです。


最後に、まとめます。

本記事では「HRCとMSA」
ここ近年で普及してきたモノの
裏バージョンとして、
消えていった(いく)モノを書いてみました。

すなわち「CNNSK」
石炭、阿吽の呼吸、ノート(手書き)、
シークレット(秘密)、会議(無意味なもの)。

読者の皆様は、どう思われますか?

「…いや、そうは思いません。
石炭は火力発電などで使われている。
阿吽の呼吸ができるチームは強いし、
手書きには手書きの良さがあります。
シークレットも、この世にたくさんある。
会議も、まだ無くならない。
ブレスト的な場も、リアル対面も、
とても重要なことだと思いますが」

そう思われましたか?

…私も、エネルギー源や
手段が変わっただけで、
人間そのものの本質が
変わった、とまでは思わないのです。

むしろ、手段が発達して
選択肢が広がったがゆえに、
それぞれの存在意義が今まさに
「問い直されている」ように思う。


石油、ガソリン車も、今では
「電気自動車」に変わりつつあります。
ポケベルは消えて
ケータイもスマホに変わった。
技術は常に生々流転、諸行無常です。

そんな中、例えばオンラインではなく
オフライン、リアルで対面する意義は何か。
何を求めるのか?
直接会うことで得られることは?
会議の相手に提供できることは、何か?


人間そのものは、古代から変わりません。
さびしがりで欲深で、承認欲求が強く、
つい他人のことを忘れて自分の主観でのみ
物を言いがちな生き物(私も含めて)…。

その意味を考えた上で、自分なりに
効果的な手段を組み合わせていき、
自分なりに行動をしていく。
リンクさせていく。


そのことこそが大事では、と思った次第です。

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