トルコ(テュルキエ)の変遷、そのヒスとジオ

『世界三大料理』はフランス、中国、あとどこ?

トルコ料理です。意外かもしれない。
日本ではフレンチのお店や
中華料理・中国料理のお店は多いけれども、
トルコ料理のお店は少ないから。
ケバブサンドの移動販売は多いですけど…。
(むしろインド料理レストランが多いですよね)

そもそも『世界三大料理』という
定義自体が、けっこう古いものです。
誰が選んだのかと言えば、昔の
ヨーロッパの歴史家や料理研究家。

『ミシュラン』とか『料理人同士の投票』
などで決められたわけじゃない。

つまり、歴史や文化やその影響を鑑み、

『広い領土を持つ強い国の
「宮廷料理」として発展した料理。
食通の皇帝や王族貴族たちが、
領土内の各地域・各民族の調理法を融合、
多彩な食材で料理人達に腕を競わせた結果、
多彩で豪華な料理文化が発展した』

そんな料理が世界三大料理に選ばれた。
和食やインド料理など、
ローカル色が強いものは入っていない。

フランス。「太陽王」もいて、強かった!
中国。「始皇帝」からの皇帝たちが強い!
トルコ。…ええと、そんなに強かったの?

そう、実はトルコはめっちゃ強くて、
広い地域を支配した歴史を持っています。
本記事ではこのトルコ(テュルキエ)の
歴史と地理を、取捨選択して紹介します。

さて、読者の皆様は、トルコ、と言えば
どのあたりをイメージしますか?

「えっ、そりゃあ何と言っても
『イスタンブール』ですよ。
『飛んでイスタンブール』もありますし」

そう、イスタンブール、有名です。
元の東ローマ帝国の都市、
コンスタンティノープルを改名した街。
現在、人口約1,500万人の大都市!
では、現在のトルコの首都はどこ?

「アンカラ…?」

その通り! イスタンブールは
黒海と地中海の結節点、
トルコでも西のあたりにある。
これに対して首都アンカラは、
アナトリア半島の真ん中あたり。

現在のトルコの国は「トルコ共和国」です。
「アナトリア半島」と
「バルカン半島の東南東部」が、国土。
まさにヨーロッパとアジアの
「架け橋」的な国
だ、と言えましょう。

ただ、トルコがめっちゃ強かった頃、
その領土はさらにとんでもなく広かった。
16世紀、日本が戦国時代の頃の話。
トルコ共和国の前身である
「オスマン帝国」という国が
最盛期を迎えていました。

アナトリア半島はもとより、
東はメソポタミアやイラクの中東、
西はバルカン半島と東欧、
南はエジプトや北アフリカ、
北は黒海の北のクリミア半島、
黒海・地中海・紅海もすべて支配!

オーストリアのウィーンにまで
二度ほど攻めてきたほど。

1529年と1683年。
もしもウィーンが陥落していたら、
世界史が変わっていたかもしれない…。

まあ、とにかく強かった。
当時のヨーロッパの人から見れば
13世紀の「モンゴル・インパクト」に次ぐ
16世紀の「オスマン・インパクト」つまり
東から迫りくる脅威、恐怖だったでしょう。

この東からのイスラム勢力に押されて、
トコロテンのように西の海に
押し出されたのが大航海時代とも言える。

ポルトガルやスペインの人は、
はるばる日本までやってきました。
たぶんポルトガルの人は言ったはず。
織田信長にも教えたかもしれない。

「トルコ、という強い国があるぜ!」

そう、トルコ、という呼び名は
「ポルトガル語風の呼び名」なのです。
日本における諸国の呼び名には、実は
世界標準ではない、珍妙なものが多い。
(「イギリス」もポルトガル語の
「イングレス」=イングランドが元)

英語では、トルコは
カタカナ英語風に言うと「ターキー」。
現地語では「テュルキエ」に近い発音。
「トルコ」とは、読みません。

「…あのう、ターキーって
七面鳥、という意味もありますよね?」

…これにも複雑な話がありましてね。

オスマン帝国が強かった時代の話。
貿易面で圧倒的に強かったため、
ヨーロッパに流入する文物の多くは
オスマン帝国経由で入ってきました。
「ターキー(トルコ)なんとか」と呼ばれた。

イギリスにこの「ターキーの鳥」
輸出され、大人気になります。
ロースト肉がクリスマスのごちそうに!

…ところがこの七面鳥、実は
トルコにはいなかった。北米が原産。
いたのは「ホロホロ鳥」という
アフリカ原産、トルコ経由で来た鳥だった。
これが「ターキーの鳥」。

この七面鳥とホロホロ鳥が、似ていた。

だから勘違いされ、英語で
七面鳥=turkeyと呼ばれたんです。
英国が世界に進出していく中で、
七面鳥=ターキーという勘違いが広まる。
七面鳥はトルコにはいなかったのに。

「…えっと、そもそも
ターキーやテュルキエって、何?」

これまた複雑な話があります。
少々お付き合いください。

もともとは「テュルク系民族」という
テュルク語系の言語を話す人たちを指す。
ユーラシア大陸の「東北」のほうにいた。
モンゴルに近いあたり。
テュルクとは「力強い人」「軍団」の意味。

古代中国では「丁零」とも書かれました。
じきに「突厥」という国になる。
とっけつ=テュルク!
後にウイグルという部族も生まれ、
中央アジア、西アジアにも進出していく。
イスラーム文化にもなじんでいく…。

西に進んだ彼らの一派は、じきに
アナトリア半島、現在のトルコ共和国の
あたりにも住むようになります。
セルジューク朝、という王朝も建てた。
その地方政権の「ルーム・セルジューク」
(ルームとはローマという意味)
という国の一部で、
オスマン、という人が国を建てた。
1300年頃の話。
これが、オスマン帝国の起源になります。

つまり、今の「トルコ共和国」は
元をたどれば、はるばる東から
やってきた遊牧民族が発祥とも言えます。
現在のトルコ共和国でも、
突厥の建国=トルコの建国だ、と言われる。

とはいえ、東西の行き来が
とても激しい場所ではありますから、
各地域の文化や言葉の影響を受けています。
混血も進んでいったことでしょう。

昔の広いオスマン帝国が
ぎゅぎゅっと縮まって、今の
「トルコ」ができている、とも言えます。

(なお、2021年にトルコ政府は
英語表記をTurkey(ターキー)から
Türkiye(テュルキエ)へ
変更することを決定
しました)

最後に、まとめましょう。

本記事では「トルコ(テュルキエ)」の
歴史と地理について書いてみました。

ヨーグルト、ピラフ、ケバブ、シャーベット。
トルココーヒーに、伸び~るトルコアイス!

葉っぱで挽肉をくるむロールキャベツも、
トルコやギリシャのあたりが発祥とか。
中央アジア、中東(アラブやイラン)から
トルコ、オスマン帝国を通って
ヨーロッパに流入したものも
意外に多いのです。

そう言えば高校野球の応援で演奏される
「ブラバン」も、元々は
オスマン帝国の軍楽隊が発祥でした。
戦う人の士気を鼓舞する「美爆音」。

奥深いトルコ(テュルキエ)の歴史と地理。

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