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私が東京の都市部に住んでいた頃のお話です。

ある時、北区の東十条駅付近に行きました。
繁華街らしい繁華街はなく、
東京の中では落ち着いた感じのエリア。

北に行けば「赤羽」、南に行けば「王子」、
もっと北に行けば埼玉県の「川口」、
もっと南に行けば「秋葉原」、
南西に足を延ばせば「池袋」。
位置関係は、そんな感じの街。

その東十条駅の近くに、
とあるラーメン屋さんがオープンしていた。

…テナントの中には
「魔の物件」とでもいうべきものがあります。
そのラーメン屋さんは、そこでつつましく開店。

私が記憶している限りでも、二軒。
ラーメン屋さんが
開店しては閉店、開店しては休業…。
それを繰り返していた、
「ちょっと危険なテナント」だったんです。

「ああ、『不正直不動産屋さん』にでも
だまされて、また一軒、犠牲者が出るのか…」
私は、正直、そう思いました。

「ならば、撤退する前に一度、
食べてみるか…」そう思って、
開店直後のそのラーメン屋さんに
入ってみました。

2008年頃のことです。

店長さんは若かった。二十代だろうか。
客数はまばら。
カウンター九席の、小さなお店です。
私はそこで、まだ普及しきってはいなかった
「つけ麺」を食べたのですが、
「うん、うまい」そんな感想を持ちました。

少なくとも、前に開店してすぐ休業した
ラーメン屋よりは、美味しい。
もう一回来てもいいかもな、
そんな気持ちになったことを、覚えています。

とはいえ、美味しいからと言って
繁盛するかどうかはわからないのが
飲食店の難しいところ。

ましてや「魔のテナント」。
すごく栄えているわけではない「東十条」。

「一年後はどうなっているだろう…?」
「店長さん、若そうだし、頑張ってほしいな」
そんなことを考えながら、店を出ました。

さて、一年後のことです。
ふと思い出して、私はその店に再度
足を運んでみたのですが、

いや、目を疑いました、本当に。

「え、何、これ、行列…?!」

何と、そのラーメン屋さん、
魔のテナントのはずのその店に
ずらりと行列ができていたのです!

私は、感動しました。

提供する商品が素晴らしければ、
どんなハンデがある場所だって
ここまで繁盛するのか、と。
腕一本で、ここまでできるのか、と。

…ラーメン好きの方は、もしかしたら
ここまでの話を読んで
ピンとくる、かもしれません。

そのお店の名は『麵処 ほん田』

2022年の現在、押しも押されもせぬ
ラーメン界の雄に成長したほん田グループ
本店、一号店だったのです↓

創業者は、本田裕樹さんという方。
2022年、この記事執筆時、30代半ば。
2008年に一号店をオープンしたのは、
若干21歳のことだったそうです
(確かに看板にも21と書かれていました)。

さて、ここからは
「大行列店でありながら、秋葉原への移転を
決意した若き天才の真意に迫る 麺処 ほん田」

という、ラーメンウォーカーの記事
(執筆:赤池洋文さん)を
参考にしながら書いてみます
(ぜひ元記事もお読みください!)↓

本田さんは、茨城県牛久市出身。
あの元稀勢の里の二所ノ関親方の同郷。
高校時代に「牛久大勝軒」
バイトしていました。

牛久大勝軒の店長さんは、田代浩二さん。
東池袋の故山岸一雄さんに弟子入りして
「つけ麺」を広めた人です。
(余談ながらその当時には、
後に有名店「とみ田」を開店した
富田治さんも社員として在籍していたそう)

さて、本田さんはバイトでお金を貯めて、
東京に出てきて、二年ほどフリーターに。
イタリアンレストランなどでバイトする中で
「やはり自分は、人を喜ばせる仕事をしたい」
「でもサラリーマンには向いていない」
「マイペースで働けて喜ばせる仕事は…?」
と、自分のキャリアについて考えたそうです。

そんな際に、折よく、
元バイト先の店長、田代さんから
「東京に店を出すけど、店長をやらないか」
と声がかかったそうなんですね。

一年間、田代さんのグループで修行し直して、
開店資金も田代さんが出資してくれて、
21歳の時に、晴れてオープン。

「麺処 ほん田」。

それが東十条の「魔のテナント」だった。
そこに、私が食べに行った。
そういう流れだった、ようです。

さて、その後はどうなったか、と言いますと。

◆東十条店、行列のできる大人気店に
◆20代半ばで東京駅「ラーメンストリート」出店
◆20代半ばで五店舗に拡大
◆しかし急激な拡大路線がたたりトラブル続出
◆少しずつ店を手放し、東十条本店で基本に戻る
◆2015年、ラーメンメニューを一新
◆2020年、秋葉原に本店を移転

と、波乱万丈のキャリアを歩んでいきます。
ただ、これほどのことを経験しても、
本田さんは2022年現在、まだ30代半ばです。

「秋葉原に店を構えるにあたって、
ひとつのチャレンジをしました」

それが『1,000円の壁』とのこと。
秋葉原店では、価格設定を1,000円以上にした。

東十条では、土地柄もあってか、
そこまで攻めた価格設定はできなかった。
だが、美味しいラーメンを作るためには
どうしても原材料費がかかる…。
本田さんは、その高い価格に見合った、
満足を味わってもらえるラーメンを作るべく、
今日も、秋葉原にて奮闘しています。

さあ、まとめていきましょう。

飲食店経営は、とても難しいものですよね。
特に現在のようなコロナ禍、
原材料費高騰の世の中では。

ですが、どんなにいわくつきの場所でも、
どんなに攻めた価格設定でも、

顧客の想定以上のモノ、サービスが
受けられるのであれば、お客さんは来ます。
行列が、できます。
東十条の「麺処ほん田」のように。

本記事では、店長の本田さんの
ここまでの歩みを中心に書いてみましたが、

そこに通底しているのは、
「美味しいものを食べてもらって
お客さんに喜んでもらいたい」という
強い思いと、そのための挑戦
です。

決して、自分だけが儲けたいとか、
いい思いをしたいとか、だけでは、ない。

さて、と振り返ります。
私自身は、私の活動によって
「誰かに喜んでもらいたい」という
気持ちがどれほどあったのか?

読者の皆様は、いかがですか?
「誰かに喜んでもらいたい」という
気持ちは、どれほどありますか?

もちろん本田さんにも、
「自分自身が成功したい」
という思いはあったかと思います。
ですがそれ以上に「誰かに喜んでもらいたい」
という気持ちがあったからこそ、
紆余曲折がありつつ、成功した
のではないか。

「ほん田グループ」の歩みは、
そんなことを思い起こさせてくれます。

もし、秋葉原に行ったら
挑戦を続ける本田さんの新作ラーメン、
食べてみたいな、と思いました。
ぜひ、皆さんもどうぞ。

※余談ながら、現在の東十条店は
「二郎系」にチェンジしているそうです。
2008年に私が食べたあのつけ麺は、
もう提供していない、とのこと。
うーん、もう一度、食べたかったなあ…。

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