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1889年「燃えなかったパリ」~ブーランジェ事件~

「イチハヤク」つくる大日本帝国憲法。
日本史で重要な年号、1889年に、
フランスでは大事件が起きていました。

『ブーランジェ事件』です。

「…パン屋さんが暴動でも起こしたの?」

違います。
パン屋はBOULANGERIE(ブーランジェリー)。
このブーランジェはフランスの人名。
ブーランジェという人が
「クーデター未遂事件」を起こした
のです。

本記事では、この事件のことを書きます。

フランス革命後のフランスでは
政治体制がころころ変わっていきます。
ナポレオン一世の頃は第一共和政・第一帝政。
ナポレオン一世没落後、王政復古・七月王政。
二月革命が起こって、第二共和政。
ナポレオン三世が行った、第二帝政。
もう、ごっちゃごちゃですね。

しかし、1870年に「ナポレオン三世」
ビスマルクのプロイセン軍の捕虜になり、
第二帝政は崩壊していく。
ごたごたの後、「第三共和政」が始まる。
(ちなみに現在は「第五共和政」です)

第三共和政は「国王のいない政治」。
リーダーは大統領、選挙で選ぶ。
政治の実務は首相が行います。
…ただですね、この第三共和政、
ナポレオン三世がプロイセンに負けて
始まった政治であるせいか、安定しなかった。

その理由の一つには、1871年、
日本史で言えば「廃藩置県」と同じ年に、
隣に「ドイツ帝国」が生まれたのが大きい。

ビスマルクは普仏戦争でパリを包囲して、
「ドイツ帝国」樹立を宣言します。
ヴェルサイユ宮殿の鏡の間で…。
敵国の宮殿で、あえて宣言する!
当時のフランス人にとって、かなりの屈辱!

かつ、講和条約では、フランスの領土、
「アルザス・ロレーヌ地方」
ドイツ帝国の一部にしてしまいます。

「ドイツ、許さない…」

そんな気分が第三共和政内で充満していた。
議会派、王政復古派、社会主義者、
富裕層、労働者、農民、没落貴族、
保守派と革新派、様子見派、
色んな人たちの思惑が混じり合って、
なかなかまとまりきれない情勢でした。
景気もそんなに良くない。

そんな不満の中、一人の「英雄」が現れる。

ジョルジュ・ブーランジェという人です。
1837年に生まれ、1891年に死去。
日本史で言えば
伊藤博文(1841~1909)と同じ頃の人。

出身は軍人です。
アルジェリア、イタリア、ベトナムなど、
世界各地を転戦した有名な将軍だった。
同じくジョルジュという名前を持つ
ジョルジュ・クレマンソーの後ろ盾を得て、
パリの政治家となります。

1886年、国防大臣に就任!

大衆にとても人気がありました。
民主主義的な軍制改革を行ったり、
ストライキした炭鉱夫に同情して
軍隊に衝突しないよう命令したり…。

「ブーランジェ(パン屋にかけている)こそが
我々を食わせてくれるんだ!」

人気も、うなぎのぼり。
その声を受けてか、彼もまた
大衆に受けそうな主張を続けていく。

「ドイツ、許さない…!」

またの名を「復讐将軍」
対ドイツ強硬派として、名を馳せる。

1887年、ロレーヌ地方で
フランス人が国境侵犯の疑いで
ドイツ側に拉致された事件が起こると、
「即時、軍隊を送りましょう」と主張し、
過激過ぎると大臣を辞任させられます。

1888年には、首相と憲法問題を巡って対立。
リアルに剣で「決闘」までしました。
ブーランジェは負けてしまいましたが、
大衆の人気は「媚びないブーランジェ」
集中していきます。
野心を見せ始めたブーランジェに対し、
盟友クレマンソーは警戒を強めて、
敵に回っていく。

1889年、補欠選挙が行われます。圧勝!

「議会解散、立憲議会、憲法改正」。
彼が掲げたスローガンに、支持が集中した。
ブーランジェの熱烈な支持者たちが
約五万人も集まり、彼に決起を促しました。

「将軍、クーデター、しましょうよ!」
「あなたなら、やれます!」

…歴史にifはありませんが、
もしここで彼がうなずいていたのなら、
1851年のナポレオン三世の
クーデターのように成功していたかも。
「第三帝政」が始まった、かもしれない。

しかし、彼は、うんとは言わなかった。
自重したんです。

…彼にはマルグリット・ド・ボヌマンス夫人
という名前の愛人がいた、と言われています。
ダブル不倫。
彼は、大臣を辞めさせられた後にも
彼女との逢瀬をやめなかった。

クーデター未遂を起こしたかどで
逮捕状が出されて、彼はベルギーに亡命。
次いで、イギリスのロンドンへ。
その亡命先にボヌマンス夫人はついていった。

支持者たちはブーランジェに幻滅し、
騒然とした雰囲気は収まっていきました。
これが1889年に起こった
「ブーランジェ事件」の顛末です。

…え、彼はどうなったのか、ですか?

この愛人とフランス本土に近い
英国領の島、ジャージー島で
ひっそりと暮らしていたのですが、
1891年7月、彼女が病死する。

最愛の人を亡くしたブーランジェ…。
再起を図るように促す人もいましたが、
彼は彼女と「一緒に過ごす」ことを選んだ。

同年9月、彼女の墓前で、
ピストル自殺をして亡くなるのです。
野心に生きるより、愛に生き、死んだ。
まさに「哀・戦士」と言えるでしょう。

最後にまとめます。

本記事では「第三共和政」の
フランスを揺るがした
ブーランジェ事件について紹介しました。

なお、ちょうど同じ頃、1890年には
ドイツの舵取りをしていた
ビスマルクが新皇帝と対立して辞任します。

新皇帝のヴィルヘルム二世は
1914年からの第一次世界大戦を引き起こす…。
ブーランジェの元盟友だった
クレマンソーは、首相として一次戦を戦った。

終戦後のヴェルサイユ講和会議において、
彼はドイツに対して過酷な賠償金を課す。
「復讐将軍」が果たせなかった復讐を、
クレマンソーが果たした
、とも言えますね。

ただ、今度はドイツ側に恨みが残ります。
その怨念が後にヒトラーを生み出し、
第二次世界大戦中の1940年に
ドイツ軍がパリを占領する…。

なお、両国の間にある土地、
「アルザス・ロレーヌ地方」は、

◆1871年:普仏戦争後、ドイツの領土
◆1919年:一次戦後、フランスの領土(一時独立)
◆1940年:二次戦中、ドイツの領土
◆1944年:二次戦中、フランスが奪還

というように、行ったり来たりしました。
今では、フランスの領土です。

ヒトラーは1944年、
降伏する前にパリを徹底的に破壊しろ、
という指令を出したそうです。

「パリは燃えているか?」
(命令通りに破壊したか?)

指令を受けた将軍はそれに逆らって、
パリは燃えませんでした。

…1889年のブーランジェ事件の際にも、
パリは燃えませんでした。

華の都パリには、野心家たちを
惹きつけて離さない、しかし
破壊してはならない、と思わせるような
何かがあるのかもしれませんね。

※加古隆さんの名曲をBGMにして、
今一度読んで頂いても良いかと思います。

※ナポレオン三世についてはこちら!
『奴はとんでもないものを盗んでいきました』↓

合わせてぜひどうぞ!

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