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専門のモンは門で、問ではありません。
口を出したら間違い。「問」ではない。

『訪問』のモンは、問です。
これは家などを「訪」れて「問」う、
「ごきげんいかがですか?」と
質問したりするから、「問」と書く。

…ただ熟語の漢字の覚え方はともかく、
専門家には
口を出してはいけないのでしょうか?
また、専門家から口を出すことの是非は?


本記事は「専門」について書いてみます。

そもそもの「門」という漢字の
由来を見てみますと、
専門、という言葉の意味も見えてきます。

正門、裏門、というように
建物・敷地の出入り口を指す漢字。
「家の外囲いに設けた出入口」
ひいては「家」や「身内」という意味も。
「同門」「一門」「門下」
そんな言葉もありますよね。

つまり、何らかのグループを指す
漢字でもある。
『部門』という言葉もあります。

「ここを通らなければならない」
という意味も門にはありますから、
何かを成し遂げるためには
「門」を通らなければならない…。

そう考えますと「素人」のことを
「門外漢」と表現するのも
何となくうなずけるところです。

ちなみに「お門違い」(おかどちがい)
という言葉もありますが、
これは「目指す家を間違えること、
転じて『見当を誤る、見当違い』
という意味になります。
「門外漢」とは全く意味が違います。

…さて、ここまで「門」のつく
熟語や言葉を挙げてみました。
イメージ的には「家」「出入口」
「ここを通らなきゃ」「グループ」

というものを思い浮かべてもらえれば。

ここで少し、視点を転じましょう。

「門」と言えば明治の文豪、夏目漱石の
『門』という小説があります。
そのものズバリのタイトル!

この小説は「漱石前期三部作」
『三四郎』『それから』『門』という
三つの小説の最後にあたります。

主人公は「宗助」という男で、
「御米」という名前の妻と
ひっそりと暮らしています。
宗助の実の弟である「小六」を
引き取ることになります。
そのあと色々な悩みを抱えた宗助は、
鎌倉に参禅などに行って悟りを
得ようとしますが、なかなか開けない…。

『自分は門を通る人でも、
通らずに済む人でもなくて、
門の下に立ちすくんで日暮れを待つ
そういう人である』

そのように考えるのでした。

作者の漱石、悩んでいます。
そもそも「英語・イギリスの専門家」
としてロンドンに留学までしていますが
欧米列強と日本との差が強烈過ぎて
精神を病んでしまうほど…。
文明開化を「皮相上滑りの開化」と呼び、
何とかして外発的ではなく
内発的に開化ができないか
と悩んでいる。

そんな悩みが爆発したような作品です。
もうぐるぐる、悩みに悩んでいる。
ちなみに、この『門』を書いた後に、
胃の病気が悪化して瀕死にもなっています。
(いわゆる「修善寺の大患」です)

世の中でもよく言われることですが、
宮崎駿監督の『崖の上のポニョ』は
この『門』を下敷きにしています。

最初のタイトルは『崖の下の宗介』。
それがあれこれ話すうちに
下より上のほうがいい、となったそうです。

漱石の『門』では、
主人公は野中宗助は妻と弟の三人で
崖の下の小さな家に住んでいました。
『ポニョ』では宗介は、
崖の上の小さな家に住んでいます。

漱石は身近な具体的なキャラ造形で
『門』を書きましたが、
その実、ファンタジー的な展開。
宮崎監督は、ファンタジーなキャラで
ファンタジーな展開を描いています。
いわば『門』を華やかにすれば
『ポニョ』になる

(もちろん、そのまま
描いているわけではありませんが)。

はい、少し脇道に逸れて
漱石の『門』と
宮崎監督の『ポニョ』から
「門」という言葉を別の視点から
探ってみましたが、

「専門」という言葉に戻ってみましょう。

専、とは「もっぱら」という意味で、
それに集中していく、という意味。
いちずにやる。そのことだけをする。
ひとりじめ、専有、という意味もある。
ほしいままにする。

門をいちずに、集中するのが「専門」。

…しかしこれにはメリ/デメがあり、
集中して何かを身に付けるには
良いのでしょうけれども、ともすれば
「排他的」になる側面もあります。


専門用語、という言葉もありますよね。
専門家の間で使われる言葉。
門外漢には分からない言葉。

そう、門は出入口、
グループであるがゆえに、
「専門」が行き過ぎると
どうしてもその中の価値観に染まり、
そうではない価値観を排除しがち…。


読者の皆様にもご経験が
あるのではないでしょうか?
専門家の言葉がよくわからないことが。
「もう少し、わかりやすい、
皆がわかる言葉で話してほしい」と
思ってしまったことが。

これは、無意識のこともありますが
意識的に使っていることもありますよね。
つまり、この専門用語が
わからない奴は会話に入ってくるな!

というような感じを受ける。

何が言いたいのかというと、
専門は専門で良いこともあるのですが、
ともすれば排他的に「締め出す」
方向に行く危険性もある
、ということです。

どんどん崖の上、あるいは下に
引きこもってしまう。

『ポニョ』では、宗介はポニョとともに
ポンポン船を仕立てて
世界へと旅立っていきます
よね。

『門』でも、宗助は鎌倉へ
救いを求めて参禅に向かっています。


すべての悩みが解決するわけでは、ない。
この世界は変わらず、堂々巡りのことも
もちろんあるのですけれども、

自ら門を出て、自分が引きこもっていた
世界から離れて試行錯誤、思考と行動を
重ねていき、それを表現することで、
何かが得られるのではないでしょうか。

その中では「専門用語」ではなく、
自分なりの言葉、自分なりの行動を
していく必要があるでしょう。

そう、専門用語とは、実は、
「自分たちだけのグループで通用する」
排他的な言葉でもあるのです。
つまり、門の中だけの言葉。
言わば「先達の誰かが作った
借りものの言葉」
であることが
多いですから…。

最後に、まとめます。

本記事では「専門」という言葉から
『門』『ポニョ』などの話を交えて
そのメリ/デメを考えてみました。

専門家こそが、口を出すべきです。
ただし、専門用語を極力使わず、
みんながわかるような言葉で。

門外漢の人にもわかるような言葉で…。
お門違いを起こさないように…。
逆に門外漢の人も、
専門家にどんどん問うてもいい。

私は、そう思うのです。
さて、読者の皆様はいかがでしょう?

ご自身の「専門」をあえて
専門用語を使わずに表現してみますと、
色々な発見がある。そう思います。

あえて「世に問う」ことを
してはいかがでしょうか?
「門」を出る。訪問する。
「象牙の塔」から出て。とうだけに。


SNSではそういう「冒険」が
しやすいと思います。
各SNSで表現を変えたり、
時間をおいて熟成、リライトしたり、
小説仕立てで書いたりもできます。
ぜひどうぞ!

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