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世界を変えた男、マルコム・マクリーン

1913~2001年、ほぼ20世紀の人です。
彼はアメリカ合衆国の東南部、
ノースカロライナ州で生まれました。

1931年、18歳になったマクリーン。
高校を卒業はしましたが、
実家は貧しくて、大学には行けなかった。
食料品店の仕入れ係に就職した彼は、
じきに、隣町のガソリンスタンドが
経営者を募集していることを知り、応募。
スタンドの経営者になります。

少しでも安くガソリンを仕入れるために
隣町までトレーラーを自ら運転!
この「輸送」が、後に世界を変える
第一歩になる
とは、その時の彼はまだ
想像すらしていなかったことでしょう。

本記事は、マクリーンの業績を
かいつまんで紹介していきます。

1931年、と言えば、
日本では「満州事変」が起きた年。
世界恐慌の嵐が吹き荒れていた頃です。
アメリカではルーズベルト大統領が
「ニューディール政策」を行っている。

公共事業が、増えていた時代でした。
運送業者には追い風になった。

1935年、22歳になったマクリーンは
「マクリーン・トラッキング・カンパニー」
という運送会社を設立します。
ガソリンなどを「売る」のではなく、
物資を「運ぶ」ことを商売にしたのです。
妹のクララ、弟のジム、マクリーン本人、
車両持ち込みの運転手6人、合計9人の会社。

この会社が、ぐんぐん成長していきます。

ニュージャージー州へのドラム缶輸送。
ニューイングランドへの綿糸輸送。
ニューヨークへのタバコ葉輸送。
とにかく、色んなモノを、運んだ。

世界の情勢は第二次世界大戦に向かいます。
物資はいくらあっても足りません。
戦後の1946年には、
年商220万ドル(約2億4千万円)の
陸運輸送会社へと成長していました。

彼が徒手空拳で立ち上げた
後発の会社ですから、
コスト意識が徹底されていました。
(元々、ガソリンスタンドの経営者です)
燃料に対するコストカット、
空気抵抗を減らすトレーラーなど、
色んなアイディアを積極的に採用していた。

…しかし、そんな彼の会社に
戦後の世界情勢が影を落としていきます。
1945年に第二次世界大戦が終わり、
戦時中につくりすぎた船がタダ同然で
売りに出される
ケースが増えていた。
当然、海運会社のほうが有利になる…。

マクリーン、考えました。

「…これからは陸運よりも海運、
そちらで仕事が増えていくのではないか。
仕事を、奪われるんじゃないだろうか?」

マクリーン、ここで閃きました。

「わざわざ混雑した沿岸の道路を
車で走るくらいなら、
『トレーラーごと船に乗せて
海から運んだほうが良い』
のでは?」

うん、確かに考えてみれば、
トレーラーも一種の「動く箱」ですよね。
自動車として見るのではなく、
「箱」として見れば、
それを船に乗せることもできるのでは…?

ただ、発想と実際にやることの間には、
物凄い距離があるものです。

この当時、陸運と海運は
全くの別物、別業界でした。
物資はバラバラ状態に船に積まれており、
港に着けば「人力で」積み替えられる。
港湾労働者が、いちいち積み替えていた。
たくさんの労働者が、港で働いていた。
それが、当たり前、常識だったのです。

(ちなみに日本のアナウンサー、
生島ヒロシさんも20歳で渡米するために、
1971年、横浜港で港湾労働者として
働いて、資金を貯めたそうです)

…マクリーン、ここに目をつけた。

「積み替えなくても良くないか?
最初から、箱に全部、物資を入れて、
箱で運んで、箱で手渡せばいいのでは?

そう、これが『コンテナ』の発想でした。

containは「~を含む」という英語。
これにerをつけて
containerで「コンテナ」になります。
物資を含む箱、容器、入れ物…!
発想自体は古くからありましたが、
大々的に取り入れたのは、このマクリーン。

それまで人力で運ぶことが前提だった
海運業界において、
「港での荷物の積み下ろし」は
平均して10日程度もかかる仕事でした。
港に着いても、すぐ運べるわけではない。
お金も時間もとてもかかっていた。

しかし「箱to箱」のコンテナを使えば、
平均1日で終わる…?!

マクリーンは、海運会社の買収を開始。
海運事業の権利を得ると、
「マクリーン・インストリーズ」を設立!
最終的には陸運会社だった自分の会社、
マクリーン・トラッキング・カンパニーの
全株式を売却、新しい海運会社に向けて
「すべて」資産をぶっこみます。

後にマクリーンは、こう聞かれました。

「全資産を海運に注ぎ込まずに、
一部は安全に運用したい、とは
考えなかったのでしょうか?」

マクリーン、こう答えました。

「全然考えていませんでした。
本気で取り組むには
退路を断たなければならない」

さて、彼の決断、
「決めて断つ」の結果や、いかに?!

結論から言えば、大成功になります。

このコンテナ方式に変えることで、
例えば請け負っていたビール配送の運賃が
「従来の積み替え方式に比べて
約94パーセントの節約になる」

という計算ができていたからです。

…確かに、あの重いビール瓶の箱を
一つずつ「人力」で運ぶことと、
「コンテナ」で運ぶことを想像すれば、
そのコストと労力の差は明確、ですよね。

コンテナを輸送の軸に据えることで、
船も、トラックも、クレーンも、港すら
「コンテナリゼーション」していきます。
陸運の貨物列車すら、箱が基準になっていく。

…もちろん、すぐに、一瞬にして
変わっていったわけではありません。
港湾労働者たちの組合の抵抗。
コンテナの規格に関する壮絶な争い。
ライバル会社たちの模倣(普及)。

始めたばかりの1950~70年代には
多くの試行錯誤が繰り返されます。

しかし1950~70年代のアメリカと言えば
「ベトナム戦争」でもある。
大量の物資が、海を越えて輸出された。
新しい運送システム「コンテナ」は、
大量の物資を迅速に運べる方法として、
海運を徐々に塗り替えていったのです。

ちなみに「加工貿易」の日本にも普及し、
電化製品を大量に世界に輸出していきます。
(生島ヒロシさんも、この頃の
コンテナと港湾労働者がまだ混在していた
横浜港で働いていたのでしょうか…)

最後に、まとめます。

本記事では、マルコム・マクリーンの
「コンテナ」について書いてみました。

箱をただの「ツール」ではなく、
「基準」として軸に置いて考えて行動し
具現化することで、世界が変わる…。


電子の箱、ケータイがスマホに代わって
みんなの行動が変わっていったり、
AIが世界を変えていったりすることにも
通底するように思います。

コンテナの語源、containは
con「ともに」tain「保つ」という意味。

ぜひ読者の皆様におかれましても、
ともに保つイノベーションを考え、行動し、
具現化してみてはいかがでしょう?

私も、頑張ります。

※『つながるボックス史 ~箱の分化と結合と~』↓

※柏木亮二さんのコラム↓
『イノベーションは一日にしてならず
:「コンテナ物語」』

合わせてぜひどうぞ!

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