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クロアチアは、旧ユーゴスラビアの国の一つ。

ユーゴスラビアと言えば、
漫画『YAWARA!』で猪熊柔が
世界選手権においてフルシチョワを
秒殺一本背負いで仕留めた場所ですが、

作中でこの世界選手権が行われたのが
ベオグラード。
そこに向かう松田記者は
現クロアチアの首都、ザグレブに
降り立ちました。

…「旧ユーゴスラビア」と言えば、
以下の言葉が有名、ですよね。

『七つの国境、六つの共和国、
五つの民族、四つの言語、三つの宗教、
二つの文字、一つの国家』

旧ユーゴスラビアのあたりは、
とても「多様性」のある地域なのです。

…場所はどのあたりなのか、ですって?
東欧とトルコの間にある、
「バルカン半島」の内陸部のあたり。

バルカン半島、と言えば、

『ヨーロッパの火薬庫』とも言われ、
第一次世界大戦のきっかけともなった
「サラエボ事件」が起こった場所。
(なお、サラエボは今の
ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都です)

「紛争も絶えない、危険な地域ですよね…」

うん、確かにそういう一面がありますが、
その一面「だけ」のイメージで捉えるのも
ちょっと偏っている気がします。
(私もそういうイメージでしたが…)

ということで、本記事では
クロアチアのある「バルカン半島」の
歴史と地理
を、少しだけ書いてみます。

まず、バルカン半島の名前の由来から。

「バルカン」とは、オスマン語で
「森深い山の連なり=山脈」
「ボルケーノ=火山=火薬庫」と
連想しがちですが、実は違うみたいです。

このバルカン半島は、
東欧とトルコ、ヨーロッパとアジアの
間にあるという環境なので、古来から
たくさんの人たちが行き来する地域。

ここに、バルカン山脈という山がある。
このあたりを支配して中世に栄えたのが、
「第一次ブルガリア帝国」でした。

ローマ帝国、と言えば、古代から
ヨーロッパの大部分を支配した大国ですが
じきに東と西に分裂してしまいます。
そのうちの東ローマ帝国から
さらに分離したのが、第一次ブルガリア帝国。

西暦800年あたり。

「カールの戴冠」と言いまして、
西ローマ帝国では「カール大帝」が
皇帝となり、勢威を持っていましたが、

その頃、実は、東ローマ帝国では
皇帝であるニケフォロス1世が
ブルガリア帝国に攻め込んで
逆に殺害される
、という事件が起こっています。

第一次ブルガリア帝国、強いんです。

逆に、相手の東ローマにとっては
「皇帝を殺された危険な山」
というトラウマに…。
進軍しても、バルカン山脈が近づいてくると
「ここは危ないな…」と
軍を退却させることが何度かあったそうです。

そんなバルカン山脈を持つ
「第一次ブルガリア帝国」も
11世紀には東ローマ帝国に滅ぼされます。
「バシレイオス2世」という皇帝によって。
彼には「ブルガリア人殺し」という異名、
「ブルガロクノトス」が付けられました。
ニケフォロス1世が殺された歴史を、
リベンジした、とも言えますね。

ただ、ブルガリア、ただではやられない。

12世紀になると、東ローマ帝国が
弱ってきたことを背景に、
もう一度、帝国を作り上げていく。
これが「第二次ブルガリア帝国」

…しかし、地理的にこの場所、
本当に他国から攻められやすいもので。

13世紀には東から「モンゴル帝国」!
14世紀には南東から「オスマントルコ」!
ガンガン攻め込まれて
ついに1393年に滅亡…。
日本史で言えば足利義満の頃です。

こうして15世紀から
バルカン半島の大部分を
イスラームのオスマントルコが
支配する
ことになりました。

…と、ここまで私は、普通に
「バルカン半島、山脈」という
言葉を使いましたが、

実は「バルカン」という地名や概念は
この頃はあまり使われておりません。

主に「ハイモス」と呼ばれていたんです。

ハイモスとはギリシア神話の王の一人の名。
ロドペーという妻を持っていました。
トラキア地方(バルカン半島の南東部)
に住んでいたのですが、自信家で

「俺たちは強い、ゼウスとヘラだ!」

と自称していたものですから
ゼウスの怒りを買って滅ぼされ、
山に変えられてしまったと言います。
これが、ハイモス山とロドペー山。

そのため、バルカン半島の山々は、
「ハイモス山脈」と呼ばれていた。
…まあ、ギリシア読み、ですね。

ところが、この地を占領した
オスマントルコはイスラームですから、
ギリシア神話には詳しくない。
オスマン語で「森深い山の連なり=山脈」
という意味の「バルカン山脈」と呼び出した。
これが15世紀あたりの頃のお話です。

さて、時代は下って、19世紀。

その強かったオスマントルコも衰退、
ヨーロッパ諸国やロシアなどが
この地に進出しようかという頃。

1808年、ドイツの地理学者である
アウグスト・ツォイネが
「この半島は『バルカン半島』だ!」
呼ぶようになります。

「ちょ、待てよ!」
「『南東ヨーロッパ半島』でいいのでは?」

地理学上で「論争」が起こりますが、
それに決着がついたのが1878年。
ドイツのビスマルクが主宰した
『ベルリン会議』によって、です。

この会議では、列強各国が呼ばれ、
この半島における勢力分布、
「縄張り争い」が決められました。
ビスマルクは「レフェリー」役です。

セルビア公国、モンテネグロ公国、
ルーマニア公国の正式な独立を承認。
「ブルガリア公国」は、
マケドニア、東ルメリ自治州、
ブルガリア公国の三つに分割。

(なお、この頃、クロアチアの地は
「ハプスブルク領クロアチア王国」として
オーストリア・ハンガリー二重帝国の一部)

それで、会議の議題にする時には
『共通の用語』が必要となりますので、

「バルカン、でいいんじゃないですか?」

と共通見解が出され、
「バルカン半島」の呼び名が
「生み出された」という経緯なんです。

そう、バルカン半島は、
最初から「バルカン半島」では、なかった。
「政治的に生み出された」呼び名なのです。

最後にまとめましょう。

ウルトラマンのライバルに
「バルタン星人」がいますが、
元は「バルカン半島」から
取られた名前とのこと。

「紛争ばかり起こっている星から
やってきた宇宙人」だそうです。
(子ども向けに説明が難しいため、
後に女優の名前から取った、と設定を
変えられたそうですが)

二回の世界大戦、そして、戦後…。

このバルカン半島の地域では
国が生まれては解体し、また争って、
決して安定しているとは言えません。

クロアチアは、そんな
バルカン半島にある国の一つです。
各国と渡り合うことに慣れている。

サッカーにおいても攻めも守りも一流です。
準優勝したこともある強豪!
そんなクロアチアを相手に、
日本代表チームはどんな戦略と戦術で
立ち向かっていくのでしょうか?

片や、バルカン半島の国。
片や、極東の島国。

異なる歴史をたどってきた二つの国が、
中東、イスラームのカタールの地で戦う…。

私はここに、
「ワールドカップ」の縮図を見るのです。

2022年12月6日。
運命のホイッスルが、鳴ります。

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