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LinkedInという街がある。
世界中にあるのだが、日本にある。
最近は日本語を使う住民も
多く移住しつつあるようだ。
詳細な生活ガイド、観光ガイドとしての
本も最近、発売された。

この街では「言論の自由」
原則、認められている。

ただし、あまりにもひどいことを
言う者に対しては、保安官に通報して、
処分してもらうことも、できる。

問題は、その「ひどいことを言う」という
発言が、明確な証拠とはなり得ない場合だ。
いわゆる「エアリプ」という手法である。

エアリプ、空リプ(空中リプライの略)や
ソラリプともいう。目に見えない。
メンション(言及)をしない形で
行われるため、その元の発言をしたものが
特定できない形で行われる。
ゆえに、一般論として空気に溶け込む。
この「発言の匿名性」を悪用して、
陰口に使う輩がいる
、のである。

仮に、そのエアリプに気付き、傷つき、
発言者に公に抗議したとしても、
「え? あなたのことは言っていませんよ?
一般論ですが、何か?
自意識過剰なのではありませんか?」
と言い逃れをされてしまうのだ。
保安官も、確たる証拠はない以上、
発言者を罰することは、できない。

いわば、匿名の怪文書。
いわば、流言飛語。
いわば、特定の人の心を狙った放火。
グレーゾーンすれすれの犯罪、にも等しい。

匿名が原則である他の街と異なり、
LinkedInというこの街では、
お互いのプロフィールを詳細に
確認することができる。
それが「行き過ぎた発言」「問題発言」の
抑止力となっている。だが、
それがゆえにこうした「エアリプ」という形で
特定の人を揶揄し、攻撃し、傷つける。
そういう行為が生み出されることも、ある。
無意識の場合もあるだろうが、
明確に意識して行われることも、ある。

オフィシャルの場で
堂々と議論するのではなく、
暗がりの酒場で自分の存在を消し、
自分の安全を確保しつつ、
陰口を言うことに似ている。


なぜこのようなことを行う者がいるのか?
考えられる理由を、想像し、列挙してみよう。

・ストレス発散
・元の行動者に対する嫉妬
・元の行動者に対する深い恨み
・とにかくヒマ
・SNSを他人を攻撃するツールと考えている
・他人を攻撃することで自分を目立たせたい
・炎上させたい、騒ぎを起こしたい
・自分が無名な状況を何とかしたい

理由は一つではなく、
複数が合わさっていることもある。
また、単独ではなく、複数で行われることもある。

このエアリプに対する対策をググると、
多くのページでは、こう書かれている。

「元の行動者がリアクションすると
そのエアリプした者を喜ばせてしまう。
元々炎上させることが目的のこともある。
無視するのがいいでしょう」

だが、あまりにも度が過ぎた場合。
どうしても、見過ごせない場合には?
被害者は、泣き寝入りするしかないのか?

そうではない。対策法がある。

そのエアリプ者は一般論の形で
自分を守ろうとしている。だから
「一般論には一般論」、
容疑者を名指しせずに問題提起をして、
広く呼び掛ける
、という方法が取れるのだ。

これは、個人が
ブロック&アンフォローするという
「個人的な自己防衛法」に留まらない
少し踏み込んだ防衛法のひとつである。
フォロワーや一般の住民に対して、
「予防意識」を喚起させるとともに、
そのエアリプ者に対して
「匿名の一般論」という形をとって
「警告」をする方法
なのである。

いわば、警察が行う「交通安全講習」
「犯罪行為抑止ポスター」に似ている。
「ダメ、ゼッタイ」という、あれだ。

…LinkedInは、雑多な住民がいる街だ。
規模が大きくなるにつれて、
様々な考えを持った人が増えてくる。
中には、寄らば斬るぞの戦闘民族、
「喧嘩上等」の勘違いをした
アンモラルな無法者も、いるだろう。

たびたび炎上騒ぎを起こす他の街と違い、
この街では火事が少ない。
だが、特定の人の心を狙って放火し、
他の住民には見えない形で傷つけようとする
無法な輩もいるのだ。

ただ、そういう輩に対しては、
他の住民から、厳しい目が向けられるはず。
「ビジネス特化型」の街なのだから、
そういう行為を望まない住民が大多数なのだ。

陰湿に人を攻撃する者はビジネスでは嫌われる。
自分のことはばれてない、
自分は権威者に抵抗する
正義の志士なんだぞ、と思っていても、
いつしか人にそっぽを向かれるはずだ。
また、当然のことだが、
そういう輩のことは、罰されなくても、
保安官たちがじっと見ている。


私はLinkedInは、そのような「攻撃」を
好まない街であってほしいと思う。
火事の少ない街であってほしい。
そんなことを、この街に望んでいない。
そういうことは、無くなってほしい。
ここでは、しないでほしい。

そのためには、住民一人一人が、
言論の自由をはき違えた者の問題発言に
安易に面白がってのっからない、
自分の発言を、自分で律する、
他人がそれを見てどう思うかを想像する、
いわば、自分の心の中に、ダメ、ゼッタイの
「犯罪抑止ポスター」を貼っておくことが
大事なのではないかな、と思う。

もちろん、色んなポスターが街中に貼られて、
これが行き過ぎてしまうと、
息苦しい、自由に発言できない、
言論統制だ、となってしまう危険性もあるが、

自由に発言できるがゆえに生じる弊害、
見えない火事を同時に防ぐこともまた、
大事なことだと、私は思う。

街で、安心して活動するために、
「見えない放火」を許さない、
そんな気持ちを、私は、持っている。

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