【小説】Lonely葉奈with学6

 予定が空いて葉奈は、学と二人でベンチ巡り公園巡りでもできれば良かったが、特に東京などはそういうのんきな情勢でもなく、ましてや今回の炎上騒ぎで誰が見ているか分からないのに散歩などしていて見つかりでもすれば写真を撮られて晒されてまた、STAY HOMEしないのか! 不要不急ではないのか! など書かれかねない、とは言ってももうツイッターも何もかもやめたし芝居の方もしばらくは出られないし出る気もないし、まさかテレビや新聞で取り上げられるほどの大人物でもないし、自分から自分の悪口を探すようなことでもしなければ見ずに済む程度のことにしかならないんだけどね、もともと誰もあたしになんて注目してなかったしね、注目されたと思ったらこんなんで、別にいいんだけれどもネ、など、ロフトでうじうじと考えていた。この段階において葉奈が外出を控え部屋に閉じこもったのは、飽くまで、世間の目を気にして、という理由が主で、一時的な気持ちの落ち込み、というのが補助的な理由として挙げられるわけだが、直接、自分や学が感染すること自体を恐れる気持ちはなかったとは言わないまでも極めて小さかった。心のどこかでなんとはなしに他人事だと感じていた。もちろん他人事だなどと誰かに口にしたことはないし他人事だと自分が思ったことを自分で意識したこともなかったが心の深い所でやはり他人事だと感じていた。 
 しかし実際閉じこもって暇に任せてインターネット掲示板や動画サイトなどで関連情報を眺めているうちに葉奈の頭の中でコロナに対する恐怖心がぶくぶくと醸成されて行くことになった。
 ネット上には過大に危険視して不安を煽ろう煽ろうとする情報も逆に騒ぎ過ぎだ、ただの風邪ではないかという方向性の情報もそれぞれ溢れ返っており故意に偏った情報ばかり集める気などは毛頭ないのでバランスよく見ているつもりが打ちのめされて弱った気持ちの裂け目から徐々に、――かつ、速やかに――コロナを危険なものとみなす情報は続々と滑り入り、裂け目を押し広げて後続の道を整えながら、実は隠し味に茹で栗程度の甘美さを伴って広がり、滞り、蟠り、よろめき、とろけて、やがて血を巡り骨に浸み、浸みて来るのを葉奈は、拒まなかった。  怖ぃ。  そうである方が慰めにも言い訳にもなるからだ。仮にこの感染症は大した病気ではないと判断した場合、それでは何故今自分は引きこもっているのかという問いの答えは、《ツイッターで失敗して、予定の芝居も潰れて、あるいは潰して、みんなに嫌われて、なんとなくへこんでいるのと、人目を気にして。あと、行政も不要不急の外出は控えるように言っているから》ということになる。なんだかみじめなような、主体性に欠ける理由である。 しかしここで、コロナを危険なものと捉え、他の何を捨てでも逃れるべき・克服すべき災厄なのだと仮定すれば、葉奈が今狭いロフトのふとんにぼたっと寝そべって日がな一日携帯でコロナの情報を眺めている理由は、《全力でコロナ感染を予防するため。誰かに言われるからとか、見られるからとか、晒されるからとか、行政が言うからとかそういうことではなく、自分自身の意志として、希望として、戦いとして、力の限り横になっている。クラスターを起こす可能性のある一つの零細劇団の公演も、あたしが正義の鉄槌で叩き潰してやったのだ》となる。しかも自分自身が感染しないことが他の人にも感染させないことにもなるのだという利他的な理由も飾りにトッピングできる。国も都も自粛をして欲しいと言っている、STAY HOMEと言っている。あたしは正しい。自分のため、学のため、東京のため、国のため、人類のため、あたしは苦しみながらここに垂れこもり戦っている。そしてそれぞれの姿はお互い家の中だから見えはしないけれど、あたしと同じように各々の家で戦う者達のことを想像することはできる。見えないけれど、多くの人が心を一つにして犬のように今各自の家でこのいつ終わるとも知れぬ持久戦を戦っている。ひとりではない。負けるもんか。負けるもんか。
 そしてもっと怖い話はないか、もっとヤバいデータの切り取り方をしているサイトはないかと茹で栗の匂いのするよだれを垂らしますますのめり込んでいく内に、いつの間にかそれは言い訳でも慰めでもなく至純の恐怖心になった。それは信仰に近かった。もっとも葉奈自身としては初めから言い訳とか慰めとかそんなことはつゆほども思ってもみなかった、飽くまで無意識の心の揺れの話でしかないのだけれども。
 そして一週間も経って恐怖心の骨と血と脊椎への潜行が完了すると、憑かれたようにも見えなくはない表情をして、学と次のような話し合いを持つに至った。
 
「ねぇ学。ちょっと話があるんだけど」
「何?」
「今までちゃんと話し合ってなかったけど、これは絶対に話し合っておくべきことだと思うんだけど」
「うん」
「covid‐19の恐怖について」
「ん?」
「ごめんなさい、違うわね。恐怖なのか、恐怖でないのか、という所からまずは話し合わなくてはいけないのよ、本来」
「怖いんじゃない? 俺は怖いよ」
「否、それはほんとに怖いと思ってない言い方ね。まずコントローラーを置くべきでは」
「・・・・・・うむ、」
 と学はじっくり話を聞こうじゃないかという意思表示として左右の膝を葉奈に指し向け、たばこに火を付けた。
「今の言い方は感染しても自分は大丈夫なんじゃないかと思ってる人の言い方なのよ」
 応えて葉奈も細巻きのメンソールに火を付ける。
「そう・・・・・・かな」
「責めてるんじゃないのよ。あたしもつい数日前までは同じだったのだから。でも最近ちょっと暇だったでしょ。それで何となくcovid‐19のことを調べていたら、怖いと感じたの。いきなり肺が真っ白になるんだって。いきなりよ。それにね、肺だけじゃないのよ。多臓器が不全になるんだって。あ、こわい、って。この病気、怖いって、感じたの。それと同時に、今の今までそこまで真面目にこのことについてあたし自身考えてなかったし、学ともしっかり話し合ってない、なんとなく三密はやめとこっかーくらいの感じで来てたことが怖いことだと思ったのよ」
「なるほどね・・・・・・たしかにね」
「それでね、あたし達は一緒に暮らしているわけで、あたしがかかれば学もかかるし学がかかればあたしもかかる、という関係にあることは理解しているかしら?」
「まあ、どうしてもそうなっちゃうよね」
「そうなのよ。もちろん、あたしと学の間でも感染予防対策をして、もし学がかかってもあたしにはうつらず、あたしがかかっても学にはうつらないよう努力する、という方針も、絶対にないとは言い切れないと思うのね。でもあたしは、はっきり言ってそれはちょっと無理があると思うのよ。24時間一つ部屋の中にずっと一緒にいて、トイレも風呂も空気も一つ、という中で、お互いへの感染を防ぐなんてことは現実的ではないと思うのよ。お互いが呼吸する度にアルコールを吹きかけるのかしら? もしそれをやるなら、部屋をもう一部屋借りるとか、当面の間どちらかかがホテル暮らしするしかないんだけれど、それは経済的にも気分的にもどうなのよ、とあたしは思う。学はどう思う?」
「全く同じ意見だ」
「良かった。じゃ、ここは合意ね。つまり、どちらか一方が感染したらそれはもう諦めてもう一方も感染するしかないってことでいいわね」
「まあ、なかなかないとは思うけど、明らかにどっちかが感染したと分かったなら、それはわざわざ相手にうつすっていうことではないんだよね」
「もちろん感染が分かったり、強く疑われるような状態になれば、わざわざうつそうなんてするわけないわよ。というかしないでよ。まあ何日間も潜伏期間があると言うから、どっちかが症状出たり、感染判明した時点でもう一方もアウトの可能性が極めて高いのでしょうけれど」  
「うむ。じゃあ異議なし」
「さて、ということは、あたしと学は対covid‐19というい観点で、文字通り一蓮托生ということになったわけよね」
「うむ。そのつもりだよ」
「そうであれば、ここからが本題なんだけれど、何をして良くて何を我慢するのか、この点をあたしと学の間ですり合わせておくべきだと、あたしは思ったの。というか、そこのルールを曖昧なまま今日まで過ごして来たことが大問題、異常な状態だと、はたと気がついたのよ今朝」
「うむ」
「だってそうでしょ? 例えば学が感染予防しようと思って自粛して、友達に合うのも遊びに行くのも全部我慢して頑張っていても、一蓮托生のかたわれが好き放題遊んで帰って来たら、もちろん二人ともに好き放題遊び回っている掛け合わせよりは感染可能性は下がるのかも知れないけれど、学としては釈然としない気持ちになるでしょ?」
「だろうね」
「そうでしょ。今のは極端な例を挙げたけれど、こういうことはほんの些細な行き違い、思い違いから大きな溝を生んでしまいかねない問題なの。そうならないためにもここはきっちりお互いに納得のいくルールを話し合っておきたい、おくべきだと思ったの」
「うむ」
「勘違いして欲しくないのは、あたしはあたしのルールを学にも守って欲しくてこんなことを言い出したわけじゃないのよ。あたしも学も折り合いの付くルールを、今後感情の齟齬を起こさないためにも、二人でじゅうぶんに話し合って作りましょうと言っているのよ。分かってくれるわね?」
「分かるよ。全く異存がない」
「いいわ。じゃあ、学から提案してくれるかしら、ここまでは仕方ないだろうというライン。あたしはそれに同意したり否定したり、意見を述べたりするわ。ハイ、ではどうぞ」
「うーむ。それで言うと日用品の買い物は仕方ないよね?」
「そうね。もう少し具体的に」
「どこに買いに行っていいのかってこと?」
「それもあるけど、何日に一回とか、二人で買いに行くのか、一人で行くようにするとか、その場合の順番の決め方とか」
「それは大事だね。連れ立って行くべきではないと思うけど」
「そうね。賛成よ」
「二日に一回くらいでどうだろう」
「小池さんは三日に一回を目安と言っているようだけれど?」
「じゃあ三日で」
「同意するわ」
「外食は・・・・・・ひか・・・・・・える・・・・・・」
「そうね。外食は禁止」
「友達と会うのは・・・・・・、都度相談、かな。基本的にはNGだけど、事情によっては、それは会って来なよっていうパターンもあるだろうから」
「いいわ、そうしましょう、名案だと思うわよ」
「飲み会は禁止」
「異存がないわ。そもそも外食が禁止なのだし」
「旅行禁止」
「いい調子よ」
「日帰り温泉、サウナ禁止」
「残念だけれど今は仕方がないわね」
「公園は・・・・・・、公園すら・・・・・・禁・・・・・・止・・・・・・?」
「そこは悩むわね、ほんとうに。野外では感染リスクは低いと言われてはいるけれど・・・・・・。でもいったん禁止かなぁ。いったんは厳しめに設定しておいて、後々解除していくべきだとあたしは思うけどどうかしら」
「まあまあまあそうか。後からどんどん厳しくなってくるのは辛いけど、少しずつ制限が減っていく方が希望があっていいよね。ここは断腸! いったん禁止で」
「そうしましょう」
「とにかく収まるまでは全力で感染予防に努めよう」
「そうね。人に会う必要のある活動はいったん控えることにするわね。それくらいのことであたしの才能のジャングルは死なないのだし。肉があっての天才なのだから今だけは我慢よね。今だけ二人で世界からバッくれましょう」
「異論がないね」
 
 結局葉奈の意見に学が阿諛忖度してばかりでこんなものは「話し合い」とは名ばかり、葉奈の意見が押しつけられたに過ぎないのでは? という見方は早計で、実情はこの話し合いを仕向けたのは学の方だったと言えなくもない。
 そもそも外出の機会は圧倒的に学よりも葉奈の方が多かったのであり、それは基本的には仕事上の打ち合わせだったり、仕事とは言えぬまでも葉奈がその才能を発揮して未来に「輝くため」その前段階として才能を「磨くため」に必要な外出であったから学もそれをどうこう指摘するつもりはなかったのではあるが、――たとえ、それは今本当に必要とは言えないのでは? と思われるような懇親社交パーティや何を成し遂げたわけでもないのに打ち上げと称して遅くまで飲んで帰ってくることがあっても、それすら学は葉奈がそれを必要と思ってしているのであればとやかく言うつもりはなく、せめて自分だけでもなるべく外出は控えて感染リスクを下げる生活をしていこうと決めていたのである。「決めていた」というからにはそれは頭が決めたことであって、本当の本当の本当の心を言うなら、仕事のあれこれはともかく、その後のつきあいとか今後の関係性維持のためとか将来の人脈造りのためとかいうような曖昧な、不要とは言えないまでも不急ではありそうなものに関しては、今だけでも控えたらどうだろうか、と感じていたのである。感じていたのではあるがそれを葉奈に言い出すのがなんだか億劫で、気後れがして、それで世間で言われるほどコロナというものは恐ろしいものでもないだろう俺は神経質になり過ぎているようだと思い込もうとして、思い込もうとしてというからには本当には思えていないのであるが、怖いという思いを頭で無理に否定していた。頭でいくら否定したところでしかし結局心の芯では違和感がくすぶっているので、ふとした折に、「コロナに対する態度が家族間とか夫婦間とかで一致してなくて不和になることもあるのかぁ。俺らはそんなことなくて良かったわぁ」とか「家族間での感染もできれば気を付けろって言うけど、無理だわー。部屋も風呂もトイレも同じなのにさぁ。そんなのうちでは構造上むりむりむりっ!」など、ほのかに、本当にほのかに、何とでも後から言い逃れはできる程度に、葉奈に自身の行動を顧みることを示唆するような言動を取ってきた。半分独り言のように、しかし確実に葉奈にも聞こえるように。 学がそういった「策略」「企図」によってこの話し合いに葉奈を誘引しまんまと葉奈がかかったのだと言うとそれはそれで言い過ぎだが少なくともこの話し合いは学の方でも近いうちにしておきたいと望んでいたものだったし、話し合いの結果もまた不満のないものとなったのである。
 決まったのは、
 ・三日に一回交替で行くことにした最寄りのスーパーへの買い出し以外は基本的にSTAY HOME。
 ・友人知人親族との接触については原則NG、都度相談し合って正当な理由があると認められる場合に限り、時間と場所を限定して許可される。
 ・それ以外の全ての外出はいったん禁止。
 
 「いったん」というのは大切で、あくまで一時的のことなのだ、コロナが収まるか収まらないまでも無視できるレベルに減るまでの暫定的な決まり事なのだ、というニュアンスがこの「いったん」という一語には含まれており、二人がここまで厳しい制限を自らに科したのはもちろん感染したくないという気持ちもあったが、飽くまで「いったん」なのだから、「今だけ」なのだから、危険と思われるものは「とりあえず」全部厳しめに禁止しておけば良いという気持ちからだった。
 結果から言うとこの感染症は「いったん」で済むような話ではなかったのであり、2020年春などというのは序盤中の序盤、始球式のタレントがようよう振りかぶったかどうかという所でしかなかった。あるいは、そもそも何も始まってなどいなかったのかも知れないが、渦中の二人はあくまで「今だけだから」「とりあえずは」「いったんは」と思って、「もう少しだから」「治療薬ができるまでの辛抱だから」と励まし合いつつコーポに垂れこもったのだ。

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