【小説】Lonely葉奈with学8

 感染予防に努めると互いに誓いを立ててからそろそろ半年が過ぎようかという時期で、この頃には葉奈も学も髪の毛がボサボサになっていた。理容室美容室も禁止していたので行けず、葉奈からにせよ学からにせよどうしても行きたい、これは仕方ないではないかと言い出せば多分簡単に解禁されたのだろうけれどもせっかくここまで徹底的に感染予防生活を続けて来たのにここでゆるめてリスクを犯すのも馬鹿らしいという思いが二人ともにあった。友人知人等との接触は協議の上許されるというようなルールであったが結局不要不急でない友人との接触など、危篤状態で今合わなければ二度と会えないという場合くらいしか想像できないがそんな場合はなかったし、もし本当に危篤で入院しているのだとすれば家族ですら面会できないとも聞く現状それこそ友人如きの面会など許されるわけがないだろう。従って葉奈の側からも学の側からも協議を持ちかける機会すらなく、つまり本当に三日に一回の食料品の買い出し以外には外出しなかった。それもなるべく人出の少ない午前二時から三時の時間帯を選んで、24時間営業の駅前スーパーを利用し、買ってきたものはペットボトル、飲み物やトマトピューレの缶などはもちろんのこと、菓子類の包装、肉のパッケージなど全て水洗いした上でアルコールを吹きつけ接触感染対策も万全にここまで来ていたのだ。ここまで色々我慢したのに、もしここで感染するようなことがあれば、この半年の我慢も不便も何の意味もなかったことになる。どうせかかるんだったら自粛なんかしないでかかれば良かったのだ。半年も自粛してしまった以上はもう一生かからずに済ませたい。そうでなければただ損だ。バカ損だ。損切り、という決心に至るにはまだもう少し時が要った。それゆえ学の髪の毛を葉奈が切り葉奈の髪の毛を学が切ることになった、その結果学の髪型はかつてなく小洒落ることとなる。
 普段学が散髪に行った際の注文は「まわりを刈り上げて、前髪は眉毛にかからないくらいで。上の方はかるく梳いてもらう感じで」「もみあげは自然な感じでいいですか?」「あ、ハイ、自然な感じで」というだけで後はお任せだったが本当は色々細かくあんな感じできますかこんな感じは僕の髪質でもできますか、シャギーにできますかエアリーにできますか等、相談をしてみたくないでもなかったが、面倒臭いと思われたり、あなたのような者は髪の毛をいくらどうこうしたところでどうにもなりません、などと、そこまで直截の言い回しではないにしても内心とか無意識とかで思われそうな気もして、――いやいや多分だが理髪店の人だって中にはやっつけでやってる人もいるだろうが多くの場合は誇りを持って理容師をやっているのであって、客が注文してくれればできる限り誠実に・親身に期待に応えたいという思いで髪を切ってくれているに違いない、むしろ、せっかく髪を切りに来てるのに大雑把な、毎回同じ注文しかして来ない客は楽ではあるかも知れないが、髪型なんてどうでもいいわ適当にやってくれと言われているようでもありつまりは仕事をバカにされているように感じてつまらない思いをしているのかも知れぬではないか? そうであれば遠慮せずに細々した希望をこちらが伝えてみれば喜んでやってくれるに違いないではないか? きっとそうだ、そうに違いない、という風にも思うのだが、いざいつもの店のいつもの店員に「今日はどのように?」と聞かれると、「まわり刈り上げてもらって、」という言葉が自動的に出て来、「前回と同じ感じですかね?」「あ、ハイ。そうですね」となって結局無難な、無難だから何の問題もないのだが、通り一遍の髪型に仕上がっていた。それで学はじゅうぶん満足していた、つもりだった。でも本当は店員の方からもっと色々提案してくれたり、拘りを見せてくれたらいいのになぁ、と勝手に思っていた。
 ところが葉奈は根本的に何をやっても器用で生まれ持ったセンスが抜本的にずば抜けているのに加え、「あたしが切るからにはそんじょそこらの床屋には絶対に負けない」と心に誓いかつ学に宣言もし、セルフカットのコツを伝授するというような動画を二つ三つ「はん、はん、」と倍速視聴すると、学自身の希望も一ミリ単位に丁寧に丹念に濃密に斟酌し暇に任せて拘りに拘り抜いて六時間かけて本気の本気で切ったのだ。ついでに伸び放題だった髭も剃り上げ、眉毛を抜き整え、ユニットバスのバスタブ前に跪かせ洗髪してからドライアーとワックスで毛先を入念に仕上げると、ユニットバスに再び学を連れて行き、鏡を見せた。するとふわっふわにエアリーで、きれっきれにシャギーなモダンボーイが映っており、「うはっ! めちゃめちゃかっこいい! すごいよ葉奈! 何で初めてでこんなことができるんだよ! 天才だよ!」
 と学は狂喜した。
「あたしにかかればこれくらいは朝飯前だし」
 とかかった時間は度外視して葉奈も満足げだ。
「これはさすがにさすがだわ。しかも裁ち鋏一本で!」
「弘法筆を選ばずだし」
 と葉奈はチョキチョキと空を切って手慣れた所作、くるっと持ち手を学に差し向けて、今度は学が葉奈の髪を切る番になった。
 葉奈の髪はだいたい背中の真ん中あたりまでの長さだった。序盤でこそ、毛量が増えすぎてボサついているのであれば髪の本数を減らせば良いだろうと言ってぷつぷつと一本ずつ、あるいは十本くらい一気に引き抜いて遊んだりもしたが葉奈が水底に沈みそうな気色を出すと学も真面目になって切った。学は葉奈がそうしたように本人の希望をできる限り聞いて切るつもりだったが、葉奈は「全てお任せします」と言って目を閉じた。とにかく半分より上を切ってしまうと跳ねたり膨らんだりで取り返しが付かなくなるから半分より下だけ切るべしとのネット情報だけを頼りに、念のため三分の一より下だけしか切らない方針で、全体を梳く真似をしてみたが、前髪だけは思い切って眉の4センチ上で真一文字に切ってみた。せっかく全てを任せられたというのに、ただ梳くだけではあまりにもオリジナリティがなく変わり映えもしなかったので、せめて前髪だけはと攻めてみたのだった。前髪だけおぼっちゃんのように短くなった。ユニットバスに連れて行くと、最初、
「えぇ?」
 と葉奈は驚いたような顔をしたが、しばらく顔を右や左や上や下に傾けてから、「なるほどね。これはこれでいいじゃん、斬新かも。いや、全然ありだよね」と気に入った様子で、学が、「やっぱりプロみたいには行かなかったけど。俺なりには頑張ったんだけど。どうしても気に入らなかったら、自分で調整して」と他はともかく前髪は調整のしようがないだろうがと思いつつ殊勝を装うと、
「何で? いいよいいよ。学がこれがいいと思ってこうしたんでしょ?」
 と葉奈は鏡越しに学に聞く。
「うん。それがいいと思ってそうした。今もいいと思っている。すごくいいと思っている」
 と学は鏡越しに返す。
「いいよね。学もかっこよくなったし。ああああぁ外に出たーい! みせびらかしたーい!」

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