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【今の私ができるまで⑤】「チャレンジする」ことに楽しみを覚えた高校生

ども、にこさんです。

写真は10年前の夏の鳥取砂丘。前職同期とみんなで旅行したことを懐かしく思い出しました。

社会人になってからというもの、暇とお金さえあれば、本当にさまざまなところに足を運んでいました。とはいえ国内ばかりですが。いつになっても「知らないものを知る」って、楽しいですね。

その原点は、間違いなく「高校時代の成功体験」があったからだと思います。


昔から続けていた野球。本当は中学校を最後にやめようとも思っていたのですが、やはりそこは、野球人の憧れ、「甲子園を目指す」ということに、一度はチャレンジしてみたかったのです。

入部してから、まず衝撃だったのは「硬球」との出会い。中学校までは学校内の部活動に従事していたので、軟式だけでした。
バットから聞こえる快音も、軟式とは違う音。ワクワクとともに、当たったらめっちゃ痛いんだろうなとも思いつつ。

そこで出会った、思い切りの挫折。

中学校時代、最後の大会では形だけでも四番を打つ経験もあり、少しはスタートも特に気にすることなくできるのかなと思っていました。
しかし、変化球も使えるバッティングマシーンを前に、全く同じ軌道で来るにしても、一球もかすることすらできませんでした。

なんでだろう。

どうやら、人間には「利き目」があるらしく、私の場合は「右目」でした。
右打ちだったので、ピッチャーからしたら、右目は少し影が見えるような形で、投げてくるボールの軌跡が正確に捉えられないということがわかりました。うーん、致命的。

ここでのブレイクスルー。正直ここまでの野球の経歴(7年)を否定するかもしれないと思いつつ、「どーせ当たらないんだったら、いっそ左にしてやれ」と、半ばやけくそも入りつつ取り組みました。(左なら利き目もピッチャーに近づきます)

ここから初めてやったことですから、正直トーシロのそれでした。

甲子園を目指す高校生が、初心者からのスタートです。もうビハインドしかありませんでした。

そうなると、やることは一つ。「どうすればヒットが打てるか」に対して考え、愚直に試していくこと。
王や大豊の一本足、イチローの振り子、金本や松中、小笠原などの打法をはじめとする、プロ野球選手の真似事から、自分のスタイルを見つけるために、さまざまなチャレンジを重ねました。周りから笑われようとも、必死さだけは忘れずに。
ベタですが、部の中では一番素振りをこなした自信がありました。

3年生まで一桁の背番号をもらうことはありませんでした。それはしょうがないと思っていました。でも腐ることなく、「何かどこかにヒントはないか」と模索を続けていきました。

最後に出会ったのは「ドリームス」という野球の漫画でした。

非現実的なものもありつつも、中には「これは応用できるかも」という技術に出会い、試合で実践できるように体に馴染ませました。(多くのプロ選手も実践している「シンクロ打法」というものです)
その結果、面白いほどに、打席に立てばヒットが生まれ、常に塁上にいる自分がありました。
もちろん打ち方を工夫するだけでなく、「バッテリーの心理」を考えるようにしました。「ここではどんな球種とコースで投げたいかな」というところですね。要は読み合いです。
いつぞやは、内角・外角の直球と変化球を3打席で完全に打ち込み、自分の打席になったところで投手交代と宣言される。そして変わった投手もヒットで打ち崩す。そんな神がかった経験もありました。自分が積み重ねてきた努力が実った時があったのです。

始めた時にはゼロから、むしろビハインドがあったかもしれませんが、愚直に自分を信じ続けていくことで花開くという経験が、私の価値観を大きく変えていきました。

物事を始めるのに、けして遅いことはない。
その気づきを得た高校生でした。


では続き(大学生)はまた明日。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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