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史上最強の大関復活

初場所は、大関・稀勢の里の初優勝(お待たせ)で幕を閉じた。これからしばらくの間、相撲界の話題は新横綱誕生一色になるでしょうな。

その影でひっそりと琴奨菊が2場所連続負け越しで大関陥落決定。

思えば、琴奨菊の初優勝で日本中が沸いたのは、たったの一年前。いやいや諸行無常だね。

ご存知のように、大関は2場所連続で負け越すと、その地位を失う。そして、1場所負け越して次の場所を「カド番」と呼ぶのです。いわば、大関の正念場。その正念場で10敗もしたのだから、まあやむを得ないか。

この大関陥落のシステムが確立されたのは、昭和のはじめ。それまでは、かなりテキトーだったらしく、大関がいきなり平幕に格下げされたり、勝ち越したのに陥落したりといったこともあったらしい。

その後はしばらく「2場所連続負け越した大関は関脇に陥落」が定着していたが、昭和33年(1958年)に年6場所制が始まると、これじゃキツイということになったらしく、「3場所連続負け越した大関は関脇に陥落」となったとか。

さすがにこの制度は甘かったらしく、この制度下で大関陥落にまで及んだのはたったの2例。

制度施行の年の1958年7月場所から11月場所まで3連続で負け越した松登と、1961年の7月場所から11月場所までの若羽黒

そのほかにも、2場所連続負け越し後の「カド番」を3度も乗り越えた琴ヶ濱をはじめ、8人の大関がカド番を迎えたが、いずれも脱出に成功している。そのうち、現在はNHK解説の北の富士を含めた4人は、カド番脱出後に横綱昇進を果たした。

さすがにこれでは大関に甘いということで、昭和44年(1969年)の7月場所からは、再び「2場所連続負け越した大関は関脇に陥落」に改められる。

ただしこの時に、陥落した次の場所に関脇で10勝(取り組みの3分の2)をあげれば無条件で大関復活という救済処置が決められ、今日に至っている。

現行制度になって以降の大関陥落は18度。魁傑、貴ノ浪、栃東が2度記録しているので、今回の琴奨菊は16人目となるわけだ。

3場所制度下では11年で2度だった大関陥落が、その後の47年で18度なのだから、やはり厳しくなったのだろう。しかし、3場所制度下ではなかった大関復活を、2場所制度下では5人が記録している。

最初にこれを成し遂げたのは、昭和51年(1976年)7月場所の三重ノ海。みごと10勝5敗で大関に復活し、その後第57代横綱に昇進し、相撲協会理事長までつとめた。

次いで、昭和51年(1976年)1月場所に陥落した魁傑だが、彼はその場所では復活できなかった。ところが魁傑は同じ年の9月場所で平幕優勝を遂げるや快進撃をはじめ、翌年の1月場所後に大関再昇進を果たした。特例復活を使わないで再昇進を果たしたのは魁傑だけで、その後再陥落したものの、こちらも引退後には理事長にまでのぼりつめている。

平成12年(2000年)には、1月場所で貴ノ浪が、9月場所で武双山が、いずれも陥落場所で10勝を挙げて大関復活を成し遂げた。1年の間に2度あるのは珍しいね(同じ年の7月場所に貴ノ浪が再陥落もしている)

そして、平成16年(2004年)7月場所と翌年1月場所の2度にわたって、大関陥落→復活を記録した栃東。大関に2度復活したのは、彼だけである。もっと誇ってもいいと思うぞ、玉ノ井親方(笑)

このように、大関を陥落したからといって落胆することはない。大関に復活すれば、むしろ運に恵まれてくる感もあるのだ。残念なことに貴ノ浪は早逝してしまったが、ほかはみな引退後に相撲協会の役職に就いている。親方としても出世しているのだ。ひょっとして理事長くらいにはなれそうだぞ。

ただし、前例を見ればわかるように、大関復活は非常にハードルの高いミッションだ。

18回の陥落例のうち復活成功は6回だけ。確率33パーセント。しかも魁傑のような特例措置を使わない復活は、史上1例だけなのだ。

困難を成し遂げればこそ、そこにはドラマが生まれ、人々を感動させる。

ということで、来たる3月場所の琴奨菊である。

これは何が何でも、琴奨菊には大阪の土俵で10番を勝ち、大関復活というドラマを見せていただきたいものだ。

大関復活に成功して、引退後のバラ色の親方人生(協会幹部に出世)を実現してください(保証の限りではない)

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