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私が働きながら大学に通う理由

現在、社会人として日々働きながら大学に通っている。今は大学3年生。この春から4年生になる。

通信制で、一度も通学せずにすべての単位を習得でき、比較的卒業しやすい大学を選んだ。とはいえ働きながら大学に通うということは、私にとってはそう簡単ではない。

アラサーになって大学に通い始めた大きな理由は、大学を1年で留年・退学した過去にある。高校の先生に勧められた分野(外語大)を蹴って、東京にある医学系私大に進学。自分には到底高すぎるハードルだったけれど、その時は越えられてしまった。推薦入試という貴重な枠で。

身の丈に合わない大学に進学し、当然周りは秀才ばかり。(秀才も天才も、努力せずに賢い人ではなく「努力し続けられる人」だと思っているのだけど。なかにはマジモンの天才がいるが。)

田舎から東京に出た私は、都会のキラキラ(に見えた)同世代たちに圧倒され、コミュニケーションもうまく取れず、バイトの面接には落ちて、なのに狂ったようにブランド物の洋服やバッグを買い、勉強も手につかずひたすらニコ動にハマる日々。夜中から朝日が昇るまで、何かから逃げるように没頭していた。

医学系は奨学金を確か14万円借りられるのだけど、それはもちろんフルで借り、それでも生活費が足りないので父に頼んでちょくちょく仕送りもしてもらっていた。

そんな情けない日々を過ごし1年。

科目と取得単位数の書かれた紙が配られた春のある日に留年が確定。翌年から実験が始まるということでゴーグルの購入等について説明される中、私だけひとり教室の中で取り残されたような不思議な感覚になったのを覚えている。

その後、別室にて先生から説明を受けた。そういえばもうひとり女の子がいたっけな。その子がどうしたかはもう覚えていない。自分のことだけで必死だった。頭が真っ白だった。「(中退するか否か)どうする?」という先生の問いに何も答えられなかった。

茫然自失で学校を出て、近くの商店街にあるマクドナルドでなにか食べたっけ。なにか食べようとしたけれど、外から見える楽しそうな大学生たちを見ていたら足がすくんでそのまま家に帰ったっけ。無収入の学生がひとりで住むには広く綺麗すぎる1DK 78,000円の学生マンションの一室、ひとしきり泣いて、ボロボロになって喉が乾いて、泣きながら親に電話をしたりして。

親もギリギリの経済状況で何とか進学させてくれたのに、また1年生からやり直して6年間で卒業し、国家試験に合格できるなんてとても思えなかった。 

19歳の春。

冒頭にも書いた通り推薦枠で合格したので、もう出身高校からその大学への推薦は通らないかもしれない。当時は必死すぎてそんなこと思い至らなかったけれど、そういう申し訳なさも未だにある。推薦の文章を書いてくださった担任の先生にも合わせる顔がない。

そこからなんやかんやあり(なんやかんや)、数年前にふと「看護師になりたい」と思った。というのも、幼少期から看護師になりたかったことも常に心のどこかにあったり、職場が医療関係で身近に看護師の存在があったりしたことも大きい。

ただ看護学校に通うにはどうしても今の仕事は続けられない。平日は毎日昼間に授業があるため、少なくとも正社員で働くことはできない。

知り合いの看護師さんに学校や仕事について聞いたり、資料を取り寄せて見学にまで行ったりもしたけれど、社会から一度離れて学生として3年間生きる覚悟と費用は持ち合わせていなかった。

それでも諦めきれず色々と人のお話を聞いたり調べたりする中で、通信制大学に通うという選択肢を得た。通信制では正看護師にはなれないけれど、大学中退によって引きずり続けていた学歴コンプレックスは解消できるかもしれない。できなかったとしても、現在の自分を許すことくらいは。

学歴コンプレックス…というより、弱さや若さゆえとはいえ頑張れなかった自分、どんなに無理をしてでも中退せず学校に残りたいと親に頼み込むことすらしなかった自分を許すことができなかった。劣等感とはまた違う何か。

それに、色々な求人を見るたびに目に入る「大卒以上」という単語がどうしても気を重くさせる。(転職する気がなくても求人を見るのが好き)

それならいっそ、今から大学を卒業してやろうと思った。今が一番若いから。

思い立つと行動の早い私は早速、情報収集をし徹底的に調べた上で通信制大学の集まる説明会に行った。毎年100万円以上学費のかかる早稲田、学費は安いけれど卒業率が低すぎる慶應、どうせやるなら高学歴と言われる大学を卒業してやろうと意気込んだものの、ふと我に返った。目的はあくまで「大学(あるいは短大)卒業」。結局、決して有名ではない比較的卒業しやすい大学を選択した。

そんなわけで社会人大学生となったアラサー独り身会社員。時間の捻出が難しいこともあるけど、自分で調べて決めて、自分でお金払って、絶対卒業してやるという強い意志はある。あと1年頑張ろうと思う。あのころは半ば親の夢を叶えるために頑張っていた(…とはいえないが)けれど、今は自分のためだけの頑張りだ。

また過去の話に戻るが、あれがきっと挫折、絶望というものだろう。東京から離れる日は荷造りなんて一切せずに朝から遊びに出かけた。荷造りは全部、親に任せた。何も言われなかった。

そのとき会った友達には何も言わなかった。言えなかったし、その程度の仲だった。もう縁がないし、友達と言えるものだったのかもわからない。現実と向き合いたくなかった精一杯の、自分自身を守る行動があれだったんだろうなと、昔の自分を懐かしむくらいの余裕はできた。成長したのかな。

あと1年、がんばろう。もう大丈夫だから。

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