思いやりのもう一歩先へ
私の職場で、夏に育児休暇から復帰した男性がいる。
そして復帰以降、彼は、午前中のみの勤務という、時短勤務をすることになった。
おそらく私の職場ではじめての大幅な時短勤務。ましてや男性では前例がない。彼には妻もいるが、彼女も仕事をするという。
正直、慢性的に人員は足りておらず、常に手に余る量の業務を持たされている私達にとって、彼の復帰が待ち遠しかったところに来て、時短勤務となったことは、なかなかショッキングな出来事だった。
しかし、当の本人はもちろんそんなことはおかまいなし、と言わんばかりの堂々とした態度で日々過ごしていた。
先日、彼が子どもの体調不良のために仕事を休んだ。
しかし、その日の午後、彼はその子どもとともに職場に現れた。私の職場のある公民館にやってきた、という方が正しいかもしれない。もちろん、私達には目もくれない。
何か用事があったのだろう。
そう思う反面、どうして熱のある子をここに連れてきたのだろう、休んだはずなのに、という心の声が私の中で響いた。
同時に、そんなことを考える自分の器の小ささを恥じた。
要するに、彼の働き方に私がなかなか納得することができていないということではないか。そんなこと彼には関係ないことだし、これはきっと環境のせいなのだ。私達に余裕がないからなのだ。と、逡巡していることを、同僚にふと話したときだった。
同僚は言った。
『それももちろんあるけど、いろんな受け取り方があるんだから、彼ももっとそんなこと思われないように行動するべきなんじゃないかな。そこの思いやりが足りないよね』と。
あ、そっちの思いやりか!
私は、時短勤務の彼に対する自分の思いやりが足りないとばかり思い、自分を少なからず責めていた。それもおかしな話だが、どうしても私にはその傾向がある。
それに同僚は一石を投じてくれた。
あちら側も相手を思いやってもよいのでは。
気づかなかった。
そっか。
ふと肩の荷が下りた気がした。
思いやりは一方通行ではない。お互いにあって良いものなんだ。それはもちろん期待するものでも、求めるものでもないけれど。
こちらがあるなら、あちらもあるかも知れない。そんな当たり前のことを忘れていたことにハッとして、同僚の一言にひどく感銘を受けた。
相手を責めればいいという意味ではないが、自分ばかりを責める必要なんて、さらさらないのだ。
実は、これは今日の残業中の雑談で得た気づき。
普段はできるだけ残業をしない努力をしているが、たまには残業も悪くないな、そう思えたひと時だった。
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