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『宝石の国』 あるいは無機体の夢

 『宝石の国』とはひとつの壮大な自殺願望だった。いや、自殺願望という言葉は正確ではない。彼らには生と死の区別がないからだ。主要な人物はほとんどが不死かすでに死んでいる。ゆえに彼らは死ではなく「無」を望む。生と死の概念の消滅をよく示している例がフォスフォフィライトで、彼にとっては宝石もすべて「無」になるのだから、粉になろうが関係ないのである。これは全く合理的な判断で、だいいち最終戦闘後の宝石たちはこのことをこれっぽっちも気にしていない。そもそも彼らが「無」を望んでいる時点で、死ぬことはネガティブではない。

八十四話『前夜』

 また男と女の区別もない。性はフラットなものになっている。カンゴームとエクメアの結婚ですら、どちらが男でどちらが女であるということはわからない。そこには観念同士の結婚、ウィリアム・ブレイクの『天国と地獄の結婚』のような形而上的なものだけがある。フロイトが性欲をリビドーに置き換え、すべての欲求の根源とした理論からいえば、性の消滅は作中人物をもっとも人間から離れたものにする。無機体への変化。同様に感情も薄れ、消えてなくなるかのようだ。

 月人や宝石はそれ以前の人間と、それ以降の新たな生命のちょうど中間にあたる存在であり、それぞれ無機体の面と人間的な面を合わせ持っている。しかし作者は人間=有機体から無機体への移行を自然の摂理とみなしており、そのために無機体への讃歌で溢れているのだ。それは同時に人間への憎悪も含んでいる。それが自殺願望、「無」の切望になる。

九十七話『夢』

 無機体への移行を自然の摂理とするならば、人間も無機体への移行を余儀なくされるのかもしれない。器官のサイボーグ化に従って、感情も排除されるだろう。AIが感情を持たないように、人間にとっても感情は邪魔なのだ。だけど人間の機械化には美しさすらある。その美しさとは村上春樹的な、J・G・バラード的な(まさに『結晶世界』では世界のあらゆるものが宝石と化していく)、そして舞城王太郎『好き好き大好き超愛してる』の「ニオモ」(女の子が神と戦い、死ぬと宝石になる。類似の『蒼穹のファフナー』も参照のこと)などに見られるのと同じものだ。「ニオモ」は男と女のペアがテーマになるが、宝石化=死亡により絶えず交換され続ける点で機械的である。
 最後、フォスフォフィライトが小さな欠片と砕かれたとき、そのミクロなものは宇宙のすべてとなった。一にして全なるもの、アートマンとブラフマン、プラトンのイデア、これら観念は無機体が自然に持っているものではないか。
 ウィリアム・ブレイクはこのことをたった四行の詩のうちに表している。

一粒の砂にも世界を
一輪の野の花にも天国を見、
君の掌のうちに無限を
一時のうちに永遠を握る。

ウィリアム・ブレイク「無垢の予兆」

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