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給料の多い少ないで人間の価値は決まるのか

私は、今まで給料の金額で自分を評価され、自分の価値が決まると思い込んでいた。

高い給料を貰える人は、
能力が高い
会社や社会に必要とされている
社会に貢献している
と思い込んでいた。

自分の給料(手取り20万円)=私は価値が低い
と思って自己卑下していた。

また、何億円もお金を稼ぐ人は豊かな人、人生の勝ち組だという思い込みがあった。

お金を稼いで無い自分には、豊かな人生も勝ち組の称号も与えられず、細々と、うだつの上がらない人生を送るのか、と将来へ希望を持てなかった。

こうやって【お金】を人間の価値判断の基準に置いてしまうと、資本主義ピラミッドの中で戦うことになる。

私もピラミッドの中で自信を失って苦しんでいたのだ。

まるでクロールで上手く息継ぎできない苦しさのように、社会で生きる毎日は、とても息苦しかった。

会社で営業に携わってみて

この3年、会社員として営業活動に関わってみて感じたことは、
給料の多い少ないは、人の価値とは全く関係ないのではないか、ということ。

そもそも高い給料を得られる仕事は、希少性と専門性と社会のニーズが合わさった職種。

私が入った業界は、低賃金になる業界構造があり、どんなに頑張っても、社長にならない限り給料は低い。

上限が決まっているのだ。

会社の先輩たちの給料を聞いて驚いた。
在籍20年以上のベテラン、40〜50代社員でも年収500万円程度。

そもそも業界が【お金】を稼ぐことのできない構造だったのだ。

給料が低い業界には、環境要因、業務の特性、歴史的な背景、法的な規制など理由があった。

私は知らなかった。。

就活をサボったツケなのか

恥ずかしながら、業界によって賃金格差が凄まじいことを全く知らず生きてきた…

就活もろくにせず、とりあえず非常勤職員で働き始めた自分は愚かだなぁ、と振り返った。

まあ、愚かな過去も一つの体験。
過去は変えられないのだ。

お金(資本主義)のピラミッド構造や仕組み、業界の事情に疎かった自分も自分なのだ(会社で無知ゆえの羞恥心に悶えた自分も自分だ…orz)

現実を知った今、どうしたいか


お金を稼ぐことで価値のある人間になりたかった。

けれど、自分の存在は、世界に1人だけ唯一無二の存在で、
めちゃくちゃ価値があるじゃないか。

自分の価値に対する捉え方が真逆に変わり、不思議な気分だ。

そもそも『価値ある人間』ってなんだろう。
時代の価値観によって価値の基準なんて変わる。

そんな不安定な基準に縋るより、私は私の唯一無二の人生経験と知識、自分の個性に誇りを持とうと思う。

誰かと比べたら、どこまでも自己卑下して落ち込むことはできる。
むしろ自己卑下は得意だ。
(履歴書の特技欄に書けるレベルで得意だ笑)

そうやって、世間知らずでも自分らしさを受け入れて、毎日笑って、失敗や経験から得た反省を積み重ねながら、ゆったり穏やかに暮らしていきたいものだ。

今後の価値観

特定のモノサシや評価基準で比べ合う「競争の舞台」から降りよう。

お金を稼いでもいいし、稼がなくてもいい。
自分に「稼げない」というレッテルを貼るのではなく、
稼がなくても豊かに暮らしていける選択肢を体験したい。

負け犬の遠吠えとかもしれない。
でも資本主義社会の中で「お金」を追い求める暮らしから、適度に距離をとる方が自分らしくなれる気がする。

現代社会の中で、いつも笑っていて、感情的にならない穏やかな人は案外少ない。
希少な存在だ。

自分も彼らのように場の雰囲気を穏やかにする存在になりたい。

穏やかに世界と調和した軽い生き方を目指そう。

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