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この命を忘れないように。

ドン!と大きな音が聞こえてきたのは、「今日も夕日が綺麗だねえ」と夫と2人でワイン片手にベランダで空を眺めていた時だった。我が家はアパートの3階で、ベランダは通りに面している。時刻は19:50。暗くなり始めて、街灯もほとんどないくらい田舎のわりには、帰宅時間なのもあってか少しだけ車通りが増えていた。

音が聞こえた方にパッと目をやると、1匹の猫がものすごい勢いでこちらへ逃げてきているところだった。一台の白い乗用車から。

その車に乗っていた人たちはその猫の走り様を見て「あ、大丈夫だったんだな」ときっと思ったのだろう。何事もなかったように去っていった。私たちの記憶ではその車も、そこまでスピードも出してなかったように思う。ただ私たちがその猫を追うと、その子はうちのアパートの駐車場の真ん中で、身を捩りながら動けなくなっていた。完全に轢かれていた。

・・・

そういう現場に遭遇したことなんてない私たちは、本当に無知だった。何をどうしていいのかわからずに、あちこちに連絡。役場、保健所、動物病院や動物愛護団体。ネットもSNSもとにかく探しまくった。

ただ、ここは本当に田舎。役場はもう閉まっており、夜は担当が誰もいない。保健所に連絡しろと言われたが、探しても探しても保健所の連絡先が出てこない。保健所なんだからそれくらい載せとけよ!と半ギレになりながらも、目の前のこの子はものすごいスピードで弱っていく。うちから車で20分強の動物病院も、もう閉まっている。いくつか連絡してみてもそもそも電話が繋がらなかったり、電話してもうちではどうしようもないのでと断られたり。病院の人にここならもしかしたらと教えてもらった動物愛護団体も(連絡先は病院も知らないとのことで教えてもらえず)ネットで探しに探しまくったけれど、一切コンタクト取れる連絡先が掲載されていない…。どうしようもなくなりアパートの管理会社に連絡してみるも、営業時間外。

そうこうしているうちに、頭からは血が流れ、汚物も出てきてしまっている。もう完全に息をしなくなってしまっていた。そんな状態でも、私たちはどうしてあげることもできなかった。

心拍の確認をしてみたけれど、もう心臓は動いていない。ダメだった…。わずか10分、15分の間の出来事。近くに埋めてあげるにも、畑だらけの周りは誰の土地かもわからないので埋められない。明日になったら保健所に迎えにきてもらうことにした。

その夜は、段ボール箱に寝かせて、近くで花を摘んできて一緒に入れてあげた。次の日保健所の人が迎えにきてわかりやすい場所に置いて。

お線香を焚いて、ただただこの子が安らかに眠ってくれることを祈った。私たちには、それしかできなかった。

・・・

沖縄では、猫やイタチの轢き逃げがものすごく多い。道で亡くなっているのをみるのは、正直よくあること。スピードを出している車が多いのはもちろんのことだけれど、なぜか猫やイタチは、自分から飛び込んでくるかのように突然飛び出してくる。街灯もほとんどない田舎道ではなかなか避けることも、正直難しいように思う。そんな私たちも、轢きはしなかったけれど夜道で突然猫が飛び出してきて思いっきり急ブレーキを踏むことも何度かあった。

死という運命に逆らうことはしないけれど、でももっと何かできたんじゃないだろうかと、ずっと考えてしまう。ここが田舎じゃなかったら、せめてもう30分時間が早ければ病院も開いてたのに、そもそもこの車がこんな田舎道を通らなければ、猫があと30cmずれて飛び出してれば…。考えてもキリがないけれど、そんなことを考えてしまう。

そして何より心が痛んだのは、駐車場の真ん中で横になる猫を見て、通り過ぎる住民は何もしようとしないということ。「猫死んでる〜」と見て見ぬ振りをするだけだ。確かに沖縄ではよくみる光景ではあるけれど、あまりのスルー具合に、命ってなんなんだろうと本気で考えた。

ある子連れの家族が帰ってきたとき、その父親が子供に一言「見ちゃダメだよ」と言っていたことも、私の中ではすごくすごく引っかかる。あまりに無惨に轢き潰されてしまって見ることでトラウマになりそうな状態なわけでもないのに、この「死」を「見てはいけないもの」として扱うのはどうしてだろう。どうして子供と一緒に、少しでも立ち止まってこの子に手を合わせてあげられないのだろう。

この子の死に対して、自分の無力さに対して涙が出たのと同時に、そういう風に扱う人がいることに対しても、なぜか悔しくて涙が溢れた。私にはどうしようもないのだけれど。

・・・

この子を寝かせてあげてから私たちが家に戻ると、夫が「名前つけてあげよう!」と言ってくれたことに、私の心は少し救われた。私と同じくこの子の心も、この言葉に少し救われたんじゃないかなと思う。特に意味はなかったけれど、その瞬間にパッと浮かんだ「にゃーこ」と名付けることにした。

野良猫なのか飼い猫なのかも正直わからないけれど、きっと最後の姿を私たちにこうして見せてくれたにゃーこは、こんな形でも、最後に私たちに会いにきてくれたんだろうなと思った。


安らかに眠ってね、そして幸せに生まれ変わってね。にゃーこ。

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