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Professional Homecleanerの存在

日本の「ハウスクリーニング」

私は現在、日本で「ハウスクリーニング」と呼ばれる仕事をしています。少し細かくお話すると、日本の「ハウスクリーニング」ブランドを海外に広めるため、海外で働いています。

2023年10月に海外開拓の第1カ国目であるベトナムにやってきましたが、海外での開拓をスタートさせるために、様々な国の歴史を調査しました。
その国の経済状況はもちろんのこと、それに加え、どのような歴史を歩んできたのか、日本との交流はどうなのか、外資規制はどうなのか、といった経済以外の視点も取り入れて調査しました。

そこで海外の多くの国(すべてではないですが、ほとんどの国)である共通点があることに気づきました。「ハウスクリーニング」という言葉の認識に関してです。

「ハウスクリーニング」と「家事代行」

日本では「ハウスクリーニング」と言えば、おそうじをする業者のことをさします。お客様からお問い合わせを受けてご自宅に訪問し、浴室やキッチン、エアコンといった様々なものをピカピカにするそんな仕事です。日本では「ハウスクリーニング」の利用者はまだ少なく、一回だけ利用したことがある人や聞いたこともないという人もいます。

ですが、日本でおそうじをする業者は「ハウスクリーニング」だけではありません。「家事代行」と呼ばれる業者もおそうじをします。この2つは、日本では言葉の違いが存在するため、サービスの内容も明確に分けられています。簡単に違いをまとめてみました。

日本の「ハウスクリーニング」と呼ばれるサービスの特徴
●掃除を専門としており、掃除以外は基本行わない。
●自分で洗浄剤を用意し、お客様の掃除道具や洗浄剤を借りることはない。
●ディテールまで仕上げ、お客様自身が落とせない汚れも落とす。
●サービス従事者は、なぜか男性が多い。

日本の「家事代行」と呼ばれる仕事の特徴
●家事の代行のため、サービスには掃除の他、料理や洗濯も存在する。
●お客様の掃除道具や洗浄剤を借りてサービスを提供する。
●掃除に関しては代行のため、お客様自身が掃除する仕上がりとなる。
●サービス従事者は、なぜか女性が多い。

このように、大きく異なるサービス内容をまとめてみました。
お気づきの方も多くいるかもしれませんが、「家事代行」と呼ばれるサービスは「お客様自身が本来は自分で行う家事を代行する」のです。そう考えてみると、「家事代行」と呼ばれるサービスは「メイド」にどこか似ている気がします。ですが、日本にはメイド文化がそこまでないため、「メイド」という言葉をあまり使用したがらないのかもしれません。

しかし、この「ハウスクリーニング」と「家事代行」の区別は、日本の区別であり、海外では異なります。

「ハウスキーピング」

翻訳機に「家事代行」と入力してもらえるとわかるのですが、「ハウスキーピング」とという言葉に翻訳されます。日本ではあまり馴染みのない言葉かもしれませんが、皆さんも「ハウスキーパー」という言葉を一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。ハウスをキープするので「家事代行」と意味は同じですが、僕は「どこか少し違うなあ」という印象を持ちました。

この違和感は言葉にあると自分の中で結論づけました。日本人は外来語の場合、カタカナを使って表現することができます。例えば、パスタとかテーブルとかソファーとかアイスクリームとかが外来語です。パスタはパスタです。私はアイスクリームが好きですが、アイスクリームは日本語でもアイスクリームで他はありません。このように外来語は通常そのまま受け入れられます。

しかし、「ハウスキーパー」または「ハウスキーピング」という言葉が日本にはない外来語なのにも関わらず、「家事代行」と呼ばれる言葉が日本では使われている、つまり、これらの言葉は微妙に違うということを意味しているのです。理由はわかりませんが、日本が今まで歩んできた歴史や文化がここには関係しているような気がします。

「ハウスキーピング」と「メイド」

海外では、この「ハウスキーピング」は「メイド」と同じ位置にあります。提供されるサービス内容は日本で言うところの「家事代行」と同じです。サービスを提供する会社によって「ハウスキーピング」や「メイド」と言い方を変えているだけです。しかし、「メイド」というと「家の主に遣われる人」という印象があるせいなのか、最近は単なる「メイド」という呼ばれ方は避けられ、「メイドサービス」という表現を使う業者が多い印象です。

このように、「メイドサービス」と「メイド」、「ハウスキーピングサービス」と「ハウスキーピング」も微妙な違いが存在するわけです。私が抱く印象ですが、「サービス」がつくと一回一回の利用であり、あくまでサービス業であるというニュアンスが出ます。一方、「メイド」「ハウスキーピング」と言い切ると、提供する人は住み込みのような印象があり、サービスというよりも一家のメンバーのような存在に変わります。「メイド」の方が、家の持ち主よりも詳しいなんてことは海外ではよくある話です。

このように言葉は微妙に違えど、行うサービス内容は「家事代行」です。「自分の代わりに掃除や洗濯や料理を代行してくれる人」なのです。

海外における「ハウスクリーニング」

では、海外では「ハウスクリーニング」と言うとどうなるのでしょうか。
実は、海外で「ハウスクリーニング」と呼ばれる業者が来た場合、「メイド」や「ハウスキーピング」と同じようなサービス内容になります。もっと明確にお伝えしますと、「掃除をメインで行うが、お客様が自分でやる掃除を代行で行う」というのが正しい回答だと思って下さい。つまり、「掃除専門の代行」ということです。

ここまで行くとすごく微妙な違いになってきます。言葉が分かれる以上、日本のように明確に分かれるのではないかと考えられるかもしれませんが、そうではありません。「どれもほぼ同じなんじゃない?」という認識を引き起こします。
そのため、今私はベトナムにいますが、ベトナムで「ハウスクリーニング」と言うと、「あー大体1時間とか2時間で部屋全体をパパッと掃除してくれるやつね」と認識されてしまうのです。

共通点は代行サービス

なぜこのように、「ハウスキーピング」も「メイド」も「ハウスクリーニング」も同一視され、「どれもほぼ同じなんじゃない?」という認識をされるのでしょうか。そこには共通点があるからだと私は考えています。その共通点とは、すべて「代行サービス」であるということです。

海外における「ハウスキーピング」「メイド」「ハウスクリーニング」の3つの共通点は、「お客様自身が時間を有効活用するために、第三者にお願いして自分の時間をつくる」ということです。自分以外の誰かにやってもらうことで、その人は仕事や遊びに行けたりするわけであり、あくまで「自分の代行者」なわけです。まさに「時間をお金で買う」ということです。

もう一度日本の「ハウスクリーニング」を考えてみる

ここでもう一度よく考えたいことがあります。
日本の「ハウスクリーニング」は掃除を専門としたプロです。そのため、お客様は「自分の時間を得るために利用する」だけではなく、「自分では落とせない気になる汚れを落とすために利用する」という存在でもあるのです。

実際に、日本の「ハウスクリーニング」会社の注文内容のほとんどはエアコンの洗浄です。エアコンを分解して中まで洗浄することは普通の人にはできません。専用の機械や分解して元に戻す知識が必要です。そう考えると、お客様は「自分の時間を得るために利用する」だけで注文しているのではないことがわかります。

確かに、「自分の代わりにやってくれれば良い」という方もいます。ですが、そのような方のために、日本では「家事代行」が用意されていて、金額もサービス内容も「ハウスクリーニング」とは異なる設定を設けられているのです。日本の「ハウスクリーニング」は掃除のプロであるため、知識や技術が必要になります。汚れを落としきるためには、汚れの種類と洗浄剤の成分を理解して使い分けることや、汚れが付着したタイルは何でできているのかといったことを理解していなければなりません。

一般的に言って、主婦(主夫)の人がそこまで考えて掃除をするでしょうか。私もこの業界に入るまではそこまで考えて掃除はしていませんでした。
日本の「ハウスクリーニング」の場合は決して海外で一般的に多くの人が認識しているような「代行者」ではないわけです。ここには日本人が持つ「掃除に対しての考え方」が関係しているように私は考えます。

日本人が持つ掃除の捉え方

日本では、昔から「子供のしつけに掃除をさせる」という風習があります。子どもの頃から掃除をする機会が多いのはしつけだけではありません。日本の場合、授業が終わった後の教室の掃除は生徒たちで行います。これも自分が使ったものは自分でKIREIにするということですが、掃除を通して学ぶことがたくさんあるという考えを日本人が持っているからに他ならないのです。掃除は「汚れをとる」だけでなく、「徳義心を養うもの」とホンダの創業者である本田宗一郎も文書を残しています。それだけ、日本人にとって掃除は人格形成の1つとして捉えられており、大切な活動なわけです。

そのような精神で掃除をすると、自ずと家の中だけでなく、街全体も、そして国全体も非常に清潔になっていくものです。一度KIREIになると人は汚いものを見ると敏感になります。きっと日本で「ハウスクリーニング」が「自分では落とせない気になる汚れを落としてくれる存在」になったのも、このような考え方が背景にあるのではないでしょうか。

ベトナムのおしん

皆さんは、「おしん」というテレビドラマをご存知でしょうか。「おしん」は1983年、日本で放送されていたテレビドラマです。『戦中と戦後の混乱期を逞しく生きた女一代記』であり、明治〜現代に至る80余年の激しい時代のうねりを背景に、主人公のしんが、奉公、髪結い修業、結婚、戦争、スーパーの経営などのさまざまな辛酸をなめながら、女性としての生き方、家族のありようを模索しつつ必死に生きる姿を描いたドラマだとNHKの紹介文書には記載されています。

また、「おしん」を脚本した橋田壽賀子さんは、自身が戦争時代を経験した経緯から、「おしん」は単に女性が懸命に生きる姿を描きたかったのではなく、一般庶民が戦争に協力していかざるをえなかった時代の恐ろしさを伝えたかったそうです。実はこの「おしん」ベトナム語にもなっています。

ベトナム語で「おしん」は「ô-sin」と書き、意味は「家事労働者」という意味で使われています。「ハウスキーパー」のことを意味することもありますし、家族の中で妻が掃除をはじめとした家事をすべて請け負っている時に嫌気が差したときに、夫に対して「わたしはおしんじゃない!」という表現をすることもあります。つまり、ベトナムの「ô-sin」は日本のドラマの奉公シーンの一部を切り取られて使われており、橋田さんが本来伝えたかった内容はベトナムには伝わっていないわけです。このあたりもベトナムでの掃除を含めた家事への意識と日本での意識には大きな違いがあることが垣間見れます。

言葉の区切り方

これまで、掃除に関する言葉を伝えてきましたが、言葉はすごく面白いことがわかります。人は、言葉で物事を区切って理解します。言葉に表現できない新しいものが目の前に現れたとき、そのものに新しい名前を付けて理解します。人は言葉を使ってコミュニケーションを取る生き物がゆえに、言葉で物事を区切らないといけないわけです。これは世界共通です。

私は今ベトナムにやってきて、自分のやっている仕事を「ハウスクリーニング」と伝えても、多くのベトナム人には上手く伝わりません。それは「家のことをやってくれる人=自分でやることを代行してくれる存在」にしか見られないのです。というのもこれは、日本のような「ハウスクリーニング」業者がいるいない以前の問題で、「自分では落とせない汚れを気にしない」慣習から来ているのだと思います。日本のように子供の時から掃除を通して育ってきた文化と、そうではない文化とでは乖離が生じるのです。

そうなると、違った言葉で認識してもらう必要があると考えています。そして並行して、日本のKIREIを理解した上で、そこに一体どんな価値があるのかを理解してもらう必要があるのです。

日本のKIREI

日本人はKIREIな環境に慣れてしまっています。そのため外国に行った途端、衛生面の心配をする日本人は数多くいます。ですが、KIREIな環境は間違いなく良いと言えます。

日本では水道をひねれば飲める水が出てきます。
外を歩けば青空が見えます。
KIREIな環境では感染症の心配もなくなります。

KIREIが持つ価値を知らず知らずのうちに理解している日本人と、KIREIな価値がよくわからない外国人にKIREIの価値を伝えながら、新しい言葉で自分のサービスを伝える、これがまさに私が今やっている海外の開拓です。

いつかKIREIが世界共通語になることを夢見て。

最後まで読んで下さった皆さんに質問があります。
あなたの仕事はなんですか?

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