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「白銀の輪舞」第十一章「輝く街角」


 第十一章 「輝く街角」

「鋭次郎くーん! こっちこっちー!」

「はーい、ただいま!」

 粉雪が舞う中、海沿いの公園のベンチで大きく手を振る魅雪へ、鋭次郎がソフトクリームを両手に持って走る。白い息を吐きながら雪を踏みしめ、少女の隣に腰掛けて左手のアイスを渡した。

「はい。そこのオープンカフェ名物の、コーヒーとバニラのミックスです」

「ありがとー」

 魅雪は、包帯を巻いた右手でソフトクリームを受け取った。鋭次郎は、自分を助ける為に怪我をしたという魅雪の手に、思わず目を吸い寄せられる。

「うわっ」

 冷たい潮風とともに雪が吹きつけてきた。鋭次郎は体を縮み込ませたが、隣の少女は全く意に介していないようだ。

 ベンチのすぐ前は港になっており、何隻かのカラフルなフェリーや海上保安庁のねずみ色の船が停泊している。上空は鉛色で、粉雪がずっと降り続けている。今日も四月とは思えない真冬並みの寒さだった。海の色も凍りつきそうな暗い青色で、風が強い為に白波が立っていた。目の前をカモメが強風で流されていく。

 海沿いにはいくつかの商業施設や美術館などの公共の建物が点在しているので、悪天候の平日の昼間にも関わらず、公園内の人通りはそれなりに多かった。

 寒そうに歩く人々が、ふたりを物珍しげに眺めて行く。雪が舞う中、暖かい店内ならともかく、屋外のベンチでソフトクリームを食べている物好きなカップルは鋭次郎と魅雪くらいだろうから、仕方がない。

 鋭次郎は隣の少女を眩しく見つめた。ソフトクリームを幸せそうに嘗める横顔を見ていると、とても鬼と闘う数奇な運命にあるとは思えなかった。白いダッフルコートに黒のロングブーツを履いた彼女は、雪の妖精のように美しかった。モノトーンカラーが、魅雪の美しさをかえって際立たせているようだ。

 鋭次郎は小さく溜息をついた。魅雪と茶色い革ジャンパーの冴えない自分とでは、不釣合いなことは明白である。彼女と出会ってからは、何だか溜息ばかりついている気がする。

 ――今日は、ちょっとお化粧もしてるのかな。

 年相応のナチュラルメイクがよく似あっている。桜色の口紅がつややかだった。メイクも演技の内なのだろうか。

 ふと、昨夜の雪と戯れる彼女のしなやかな肢体が頭をよぎり、慌てて目をそらす。

「どうしたの?」

 魅雪が、きょとんとした目で見る。

「いえ……」

 ごまかそうとしてソフトクリームを一気にほおばる。そのまま飲み込んだら、こめかみが激しく痛んで呻き声をあげてしまった。アイスクリーム頭痛というやつだろう。脳が『冷たさ』を『痛み』と勘違いして起こるんだとかどうとか。

「馬鹿ね」

 鈴が転がるような声で美少女が笑った。

「慌てるからよ。子供みたい」

「はあ……すみません」

「まだ痛い?」

 魅雪が鋭次郎の頭に手を伸ばし、こめかみを撫でた。氷のような冷たさを予想して、鋭次郎は一瞬体を硬くしたが……彼女の手はほんのりと暖かく、柔らかだった。

 鋭次郎の反応に気づいた魅雪は少し傷ついたような顔になったが、すぐに明るく笑い飛ばした。

「失礼ね。冷蔵庫じゃあるまいし、いつも冷たいわけじゃないわよ!」

「はあ……すみません」

「また謝ってるし!」

 今日の魅雪は不機嫌なところが無く、よく笑った。

 朝からふたりで市内の公園を巡っている。まだ昼前だが、この海辺の公園で早くも四つ目だ。

 少女は落ちてくる雪を捕まえようとして走り回ったり、コンビニでスナック菓子を買って鳩に餌をやったりと、まるで幼い子供のようにはしゃいでいた。鬼を探す為の偽装であるはずなのに、鋭次郎には魅雪が『架空のデート』をまるで心から楽しんでいるように見えた。

 今も少女の黒いブーツは、リズムを取るように足元の小石を蹴っている。

「あのう、魅雪……ちゃん」

 美しく成長した彼女をちゃん付けで呼ぶのには、まだ抵抗があったけれど、少女は目をきらめかせて鋭次郎を見た。

「なあに?」

「こんな調子で街をブラブラしていて……本当に、あの『號羅童子』が取り憑いた人間が見つかるんでしょうか?」

 鋭次郎がひそひそ声で尋ねると、魅雪はコーンをかじりながら、

「そんなの分かんない」

 と、あっさり切り捨てた。

「え?」

 短く切りそろえた前髪の下の琥珀色の瞳が、悪戯っぽく鋭次郎を見つめる。

「それは……鋭次郎くんの嗅覚次第なの!」

「はあ」

 嗅覚次第と言われても、自分ではどうすればいいのかさっぱり分からない。

「そんなことより鋭次郎くん」

「なんでしょう?」

「いい加減、丁寧語は止めてよ」

「え?」

「だってこれデートなんだよ、デート。不自然よ」

「あ、ああ……そうでしょうか」

「わたしが普通に喋ってるのに、鋭次郎くんがかしこまってたら、わたしが凄く威張ってるみたいに周りに聞こえちゃうでしょ?」

 ――それはある意味、その通りなんだけど。

 と思いつつ、鋭次郎は次第に少女との上手な付き合い方を学んでいた。要するに、常に「上から目線な少女」の言いなりになれば良いのである。

「えーと。じゃあ……ごめんね、魅雪ちゃん」

 ちょうど目の前を観光客らしき集団が通りかかったので、鋭次郎は少しもじもじしながら言った。恋人同士の「フリ」とはいえ、やっぱり気恥ずかしい。

「よろしい」

 少女は急に立ち上がり、ベンチに鋭次郎を残して駆け出した。

「今度はCDショップ行こ! ぐずぐずしてると置いてっちゃうよー」

 石畳の舗道を走りながら振り返り、手招きをする。鋭次郎は残りのソフトクリームを口に押し込み、こめかみの痛みに耐えながら、足の速い少女の後を追いかけるのだった。

 すれ違う人々が皆、魅雪を振り返る。長い黒髪をなびかせながら走る少女の姿は、それだけで映画のワンシーンのように印象的で、振り返ってもう一度見るだけの価値があった。

 ちゃりん、と石畳に金属が落ちる音がした。

 鋭次郎が拾い上げると、外国の小さなコインをペンダントにしたものだった。鎖が切れたのではなく、留め金が外れただけのようだ。魅雪が落としたのだろうか。

「あ、ごめんごめん。ありがとー」

 少女が戻ってきて、息を弾ませて言った。

「可愛いペンダントだね」

 魅雪は琥珀色の瞳で、鋭次郎の顔をしばらく見つめた。

「これはね。昔、とても大切なお友だちにもらった、わたしの宝物なの」

「大切な友だち?」

「そう。もう随分長い間、会ってないんだけど……わたしが世界で一番、好きなひと」

 魅雪は手のひらの銀色のペンダントを、そっと撫でた。

 愁いを帯びた琥珀色の瞳を見ながら、鋭次郎は、自分の心の深いところで何かが疼くのを感じた。何故だか、初めて見るそのペンダントのことを知っているような気がした。

 だが、彼はすぐに「気のせいだ」と頭の中で打ち消した。

 ――ロマンチックな雰囲気を勘違いしそうになっているだけ、さ。

 鋭次郎は気を取り直して言った。

「きっとそのお友だちも、魅雪ちゃんのこと、大事に思ってるんじゃないかな?」

「……そう思う?」

 何故だろうか。少女の表情は、まるで鋭次郎にすがっているかのように見えた。気丈な彼女にはまるで似つかわしくない不安げな顔だったのだ。

 だから鋭次郎は「うん。絶対そうだよ」と力を込めて言った。

「ありがとう」

 鋭次郎の言葉はほとんど社交辞令のようなものだったが、少女の瞳には涙が滲んでいた。

「そのペンダント、とっても似合ってる」

 気遣って笑いかける鋭次郎に、少女もとびきりの微笑みを返した。

「ありがと。すごく嬉しい!」

 少女は涙を指で拭い、両手を後ろに回してペンダントを首からかけ直すと、再び走り出した。

「あ……待って」

 慌てて魅雪を追いかける鋭次郎は、昔こうして彼女と走ったことがあるような感覚……『既視感』を再び味わっていた。

 ――やっぱり俺たちは……。

 昨夜見た夢。

 五才の魅雪と過ごした、少年時代の思い出。

 ――あれは夢だけど、きっと本当にあったことなんじゃないだろうか……。

 鋭次郎はきょうのデートで、何度か魅雪に子供の時代のことを聞こうと試みた。

 だが結局、聞けなかった。

 何故だか分からないけれど、それを聞いてしまったら、今のこの楽しいひと時が夢から覚めるように消えてしまいそうな予感があったのだ。

 ――期待し過ぎなんだよ俺は。

 鋭次郎は、いささか自嘲気味に考えた。

 ふたりが親友だったとしても、それはもう十年以上も前のこと。所詮は、子供時代のことだ。

 今の自分は田舎町の下っ端警察官で、彼女は深窓の美しき令嬢。吊り合う筈がない。

 ――このデートだって、鬼狩りの為のカモフラージュなんだ。彼女が楽しんでるように見えるのだって、別に俺が相手だからじゃない。

 ――勘違いするな、鋭次郎。彼女はお前の本当の恋人じゃない。捜査の協力者であり、護衛任務の対象者なんだ。

 ――そもそも警察官には、勤務中の恋愛なんて許されない。本気になるな……。

 彼は首を振って、これ以上考えるのを止めようとした。

 その時、もうかなり前を走っていた魅雪が立ち止まり、鋭次郎を振り返った。華奢な体全部を使って、大きく手を振って見せる。満開の花のような笑顔。

 その姿に、鋭次郎は心の奥底が大きく震えるのを感じた。

 ――ああ。

 ――そうか、そうなんだ。

 鋭次郎は、漸く気づいた。

 ――一目惚れなんかじゃ、なかった……。

 ――ずっと思い出せずにいたけれど……離れていた十三年の間も、きっと俺は魅雪ちゃんに恋をし続けていたんだ……。

 無意識ではあったが、彼は少女の為に命を投げ出す覚悟を胸に秘めたまま、これまでの人生を歩んできたのだった。警察官になったことも、もしかして彼女のことを守ろうとした結果なのかもしれない。

 ――胸の奥深いところで、俺は彼女が、ずっと好きだった。

 名前すら覚えていなかったというのに。

 ――こんな不思議なことが……。

「奇跡、だな」

 だけど。

――こんな奇跡なら大歓迎だ。

 鋭次郎は、手を振る魅雪に向けて走る。

 まるで離れていた十三年の時間を追い越そうとするかのように、懸命に。

 彼が追いつくのを待って再び走り出した魅雪は、湾岸沿いの大型商業施設に向かっているようだ。そこはスーパーや様々な専門店が集まった七階建てのビルで、館内に複合映画館や水族館まである巨大な建物である。

 程無くたどり着いて一階のエントランスを抜け、エスカレーターに乗って三階のCDショップへ向かう。

 魅雪は平気な表情だったが、鋭次郎は息を切らしていた。二ヶ月も寝たきりだったのだから体がなまっているのは仕方が無いのだが、鋭次郎は思い通りにならない自分の体にゲンナリしていた。

 ――まったく……これじゃあ、魅雪ちゃんを守るどころじゃないぜ……。

 隣の魅雪は目を輝かせて、吹き抜けになっているエスカレーターから、階下の眺めを楽しんでいた。

 三階で降りると、すぐ目の前がCDショップである。店内は十代の若い客が多いみたいだ。

 ふたりは、店頭のデモに足を止めた。

 ギターを抱えた男性ミュージシャンのポスターが貼られていて、CDラジカセからはギターの弾き語りが流れている。アコースティック・ギターに、印象的なハイトーンのボーカル……。

「この歌声!」

 ふたり同時に声を上げる。

「僕が撃たれたときに、聞こえていた……」

「鋭次郎くんが倒れていたときに、聞こえていた……」

 ふたりで顔を見合わせ、笑い合う。

「もう一度……」

 またふたりで同時に喋り出してしまう。

「魅雪ちゃんから、どうぞ」

 彼女は笑いながら続けた。

「わたし、もう一度この人の演奏を聞きたいって思ってたの」

「僕も。CD出してたんだね」

 名前は、滝沢キョウイチ。聞いたことのない名前だった。モノクロのポスターには、サングラスをかけた痩せぎすの男がギターを大事そうに抱えて写っている。

 ふたりの会話を聞きつけ、カウンターの中からアルバイト風の女性店員が出て来た。

「ファンの方ですかぁ?」

 縁無し眼鏡をかけた店員は、にこやかに話し掛けてくる。

「ご存知だと思いますけど滝沢さん、今度メジャーからデビューが決まったんですよぅ。この近所のバーで歌ってたら、たまたまレコード会社の人が飲みに来てて。滝沢さん、もうすぐ四十なのに……夢って、諦めなかったら叶うもんなんですねぇ」

 店員はしみじみと話した。

 ポスターを見直して見ると『遅咲きのシンガー、ついにN市からデビュー!』とマジックで大きく書き足してある。

「この、今流れてる曲のCDはありますか?」

 鋭次郎の質問に、店員は残念そうに首を横に振った。

「まだ発売前で、いま流れてるのはサンプル盤なんです。でも予約して頂ければ、今夜のワンマンライブの招待券がついてきますけど……」

「今夜、ライブがあるんですか!?」

 魅雪が勢い込んで聞いた。

 店員は、少女の迫力に圧倒されながら頷いた。

「え、ええ……故郷へのお礼の意味を込めたラストライブだそうで……恋人同士で行かれる方も多いみたいですよ」

「恋人同士?」

 魅雪が呟く。

 嬉しそうに見えるのは、多分気のせいだよなと鋭次郎は思った。

「おふたりも、今夜のライブいかがですか?」

「あの、わたしたちって……恋人同士に見えますか?」

 女性店員は戸惑ったように頷く。

「そう思って声をおかけしたんですけど……すごく可愛い彼女さんで、良かったですね!」

 鋭次郎に笑いかける。

「は、はい。いやあ。その、どうも」

 ふたりの頬が赤くなった。

「します!」

 魅雪が大きい声で言った。

「はい?」

「CD二枚予約しますから、招待券をください!」


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