思考めも

今年の目標というほで明確ではないし、そもそも目標を決める、コツコツすることが苦手だ。
真面目とは言われるけど、計画性はない。
スケジュールもできるだけ埋めたくない。
手帳をもつと息がつまるから、手帳に憧れはあれど、できるだけ必要ない生活を選んできた。

話がそれたけれど、目標みたいな、日常でときどき思い出すテーマは「自分の機嫌は自分でとる」こと。
これはいろんな人の意見だとかを読んで、ああいいな、と思ったから取り入れている。
ふわっとした感じで、そうなれたらいいと思っている。
なるためにはじゃあどうする?
実際に落ち込んだときに、あ、今だ、落ち込んでる。と思えるようになった。
たぶんこれだけでもすごい。(当社比)
それからなぜ落ち込んでいるのか、課題の分離というやつも意識しながら、それとなく考えて、まだまだ機嫌はとれていないけれど、落ち込みの比重は少し軽い。
機嫌をとる、というのは低くなったテンションを無理矢理上げるのではない。きっと。
以前ならそう思っていた。
テンションは高いほうがいい。高くて一定。
でも一定でいられないから、テンションの低い状態が自分の素であるかのように振る舞って、笑わないようにして、いつも冷静なキャラクターを選んでいた。

感情の揺れは少ないほうがいい。
一方で、わたしはテンションの上がり下がりが激しいと自覚していた。
感情の波が激しい。
素直に出せば奇異な目でみられるだろうと予測がつく。
でもそうか、感情の波が激しいのは、自分の機嫌がとれていなかったからだ、と今しがた気づいた。遅い。
課題、目標、原因みたいな物事の順序がおかしくて、それがわたしらしくて笑ってしまう。
思いつきだとか目に止まったことをしていると、あとから今していることは、こういう理由だったのか!なんて気づく。
無意識下で選択しているのか、なんなのか。
とにかく順序がばらばら。

感情の波が激しいのは、それをよしとしていたから?
自分の機嫌をとらずにいたせいなのは確定だろう。
わたしの気持ちに対して、なぜそう思ったの?と聞いて来なかった。
他人にはすぐにするのに。

できれば感情の振り幅は一定でいたい。
なにか、そのほうがいいから。かっこいい気がするからなんて、しょうもない理由だ。
たぶんわたしの根本がカオス状態だから、ないものねだりのようなものだろう。
だけど、ないならないで、訓練していけばいいし、自分のキャラクターを決めて枠に入れ込むのではなく、わたしのできる範囲でわたしのしたい方向に行けばいいのだ。
ねえ、そうでしょう。
その言葉は他人ではなく、わたしに聞けばいい。

(まだまだ正解不正解を求めがちだけど。
そういう思考をする時点で、他人に聞きたがっている自分がいる。と自覚した。)

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