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小説「遊のガサガサ冒険記」その4

 その4、
 遊は必死に自転車のペダルを漕ぐ。
 長靴履きで、自転車の前かごには折り畳みのタモ網とバケツを積んでいる。
 翌日曜日、遊は渡良瀬川にガサガサに行くことにした。
「独りで危なくない?お父さんと一緒に行ったら」
「大丈夫だよ、心配しないで。水の深いところには行かないから」
「あなた、何か言ってよ」
「いいじゃないか、行かせたら。今度こそ、ギバチを捕まえてこい。ただ。とにかく水には気を付けるんだぞ」
 出かける際、イリエス親子の間でこんなやり取りがあった。
 遊が出かけた後、イリエスは妻の映見に理解を求めた。
「遊を信じて、静かに見守ってやろう」
 遊の脳裏には昨日の光景が焼き付いている。外来のブルーギルやミシシッピアカミミガメが我が物顔でのさばり、在来魚を貪り食う。強者が弱者を駆逐する。彼は自身の身の上を重ね、どうにも我慢ができなかった。在来種の魚1匹でも捕まえて、家の水槽に保護しようと思った。
 鹿島橋の袂に着いた。昨日のガサガサ地点から約500㍍下流に当たる。空き地に自転車を止め、道具を手に土手を越え、川に急いだ。
 陽光に川面がキラキラと輝いている。突き抜けるような青空から、トビのおおらかな鳴き声が落ちてくる。
(フナでもハヤでもクチボソでも何でもいいから)
 遊は祈りを込め、岸辺の水草の中にタモ網を差し入れた。
 網の底で、数匹の小魚が蠢いている。遊はタモ網の底を右手で押し上げ、1匹の魚に目を凝らした。背中の体色が暗緑色で、側線に沿って黒い斑紋が続いている。口は大きく、下顎が出ている。
(今度はブラックバスか)
 遊は肩を落とした。小魚はすべてブラックバスの稚魚だった。予想はしなくもなかったが、昨日のブルーギル、ミシシッピアカミミガメに加え、在来魚の敵がいとも簡単に網に入る。人気TV番組「緊急SOS!池の水ぜんぶ抜く大作戦」にお願いして、水流を止めてかいぼりし、外来種を駆逐してもらえないだろうか。
 ブラックバスは北米原産でブルーギルなどともに在来魚の脅威になっている。大正14(1925)年、日本に持ち込まれ、その後、釣りの対象魚として人気を集め、全国の河川、湖沼に放流された。在来魚を食い荒らし、生態系に深刻な影響を与えるとして、国の特定外来生物に指定されている。
(バスが悪いんじゃない。持ち込んだ人間が悪いんだ。でも、ごめん)
 遊は泣きたい気持ちで、河原に捨てた。バスの稚魚は砂礫の上で跳ね回っている。彼はいたたまれず、目を逸らした。
 気を取り直して、遊はガサガサを繰り返した。ブラックバスのほか、ビニール袋、空き缶、枯草類などが入るばかりだ。
 毎年、地元漁協がアユやサケの稚魚を放流しているが、動きの鈍い養殖魚は外来魚の格好の餌食になってしまう。清らかな水の流れの中では、在来魚の姿が刻一刻と姿を消している。渡良瀬川に限らず、日本の川や湖沼は死につつある。遊は気持ちが萎えるのを止められない。
 もう帰ろうか。遊は水流でタモ網を洗おうと身を屈めると、水中の石と石の間に1匹のカメが蹲っている。
(どうせミシシッピアカミミガメか、同じ外来種のクサガメだろう)
 遊は投げ遣りな気持ちで、水中にタモ網を入れ、そのカメを掬い上げた。
甲羅は黄色っぽく、尾の近くの縁がギザギザしている。裏返して見ると、腹甲は黒っぽい。
(これって、もしや幻のニホンイシガメ)
 ニホンイシガメは日本固有種の貴重なカメだ。河川環境の悪化、外来種ミシシッピアカミミガメとの競合、交雑による遺伝子汚染などが懸念されている、国のレッドリストで準絶滅危惧種に指定されている。
 外来種の占領に屈せず、この渡良瀬川でしぶとく生き残ってきたのだろう。
(早く持ち帰って、父さんに見せなくちゃ)
 逸る気持ちを抑えてバケツに取り込もうとして、カメの様子がおかしいのに気付いた。右前足と尾の先が何者かに食いちぎられたようで、桃色の肉が一部、露出している。カメは甲羅に首をすくめ、黒い瞳に涙を浮かべたように光っている。
 アライグマの仕業に違いない。アライグマは手先が器用で、カメも捕食するという。ユーチューブで外来種ハンターの投稿動画を見て、琵琶湖周辺でのイシガメの被害を訴えていたのを思い出した。
 アライグマも中南米に住む外来種で、約60年前、飼育中の個体が逃げ出し、日本国内で野生化したとされる。イシガメのほか在来のサンショウウオ、カエルの捕食、農産物の食害などの深刻な影響が出ている。生態系に深刻な影響を与えることから国の特定外来生物に指定された。
 岸辺近くに戻すと、またアライグマの魔の手につかまってしまう。前回は必死に抵抗して、どうにか逃げ切ったのだろう。でも今度捕まったら、命はない。持ち帰って飼おうか、とも思ったが、カメは飼育したこともなく自信がない。在来の生き物は元居た環境に戻すのが鉄則だ。
(浅瀬に近寄っちゃダメだよ)
 遊は慈しむように両手で抱えて、流れのある瀬に放すことにした。
 流れに中央に一歩踏み出すごとに、水の勢いが増し、足を取られそうになる。長靴の上から水が入り込んできた。そろそろ放してやろう。イシガメを持ったまま腰を屈めた途端、左足が滑った。そのままずるずると流され、水の深みにはまり、倒れてしまった。
 仰向けになったまま、水流に体が流される。もがこうとしても体の自由が利かない。早く岸に辿り着かないだろうか。
「誰か助けて、助けて」
 必死の叫び声も、青空に空しく吸い込まれていく。
 イシガメはしっかりと持っている。どうしよう、このイシガメ。僕もこのイシガメもどうなるんだろう。
 やがて激しい水流に飲み込まれた。体が沈み、息苦しい。水流はますます増し、遊は螺旋状に地の底に落ちるように感じた。

 どのくらい経っただろう。まぶしい陽光に瞼を開けた。青空が広がっている。慌てて体を起こすと、河川敷だ。どうやら気を失って、倒れていたらしい。
 確か、怪我を負ったニホンイシガメを逃がそうとして、水流に流され、溺れて。
(僕は生きているの、それとも、ここは一体どこ)
 周辺を注視すると、何となく趣が違う。中州や河畔の林は広大で、鹿島橋らしきものもあるが古びた木橋だ。河川敷には葦が生い茂り、土手越しに見えるはずの日赤病院や足利大学の高層建造物が見えず、橋梁を走る車も少なく、時折、通過する車の姿もどこか古ぼけた感じがする。
 野球帽に青のTシャツ、ベージュの半ズボン、長靴は自宅を出た時のままだ。傍らにはタモ網、バケツが置いてあり、網には水草の葉が数枚絡みつき、ガサガサをした形跡が残っている。
(そうだ、あのイシガメは逃がしたのかな)
 遊はタモ網を持ち、足元の川辺を探り始めた。1回目から小魚が躍る。ハヤにキンブナ、スジエビだ。喜び勇んで獲物をバケツに収め、再度、網を入れた。今度はシマドジョウが体をくねらせている。在来魚ばかりだ。あんなにいたブルーギルやブラックバスの姿がない。どうしたんだろう。さっきまでたくさんいたのに。
 数歩離れ、流木の下に網を差し込んでみた。また手ごたえがある。体長数センチ程で、魚体が青や赤で虹のように鮮やかに輝き、少し体高がある。
(なんだ、タイリクバラタナゴか)
 遊の落胆と同調するように、抑揚のない舌足らずな低音の囁きが彼の耳に入った。
「その通り、外来種のタイリクバラタナゴじゃ」
「えっ」
 遊は辺りを見回したが、人影はない。空耳だろうか。
「ここじゃ、ここ」
 また同じ声がする。声のする下流に目を向けると、流れから突き出た石の上に1匹のカメがいる。また二ホンイシガメだ。
(まさかカメが……)
 遊は両目を見開き、そのカメを凝視した。
「そうじゃ、わしが話しておるんじゃ、分かったか」
 カメが口元をもごもご動かしている。カメがしゃべる、どうして。遊は半ば放心状態になった。
「そんなに驚くな。わしは亀吉っていうんじゃ。君は遊じゃったな」
(何で僕の名前を知ってるの)
 頭の中に疑問符が飛び交い、遊は言葉を発せない。
「やっぱり、遊じゃな。順序立てて事情を話すから、まあ、その石の上に腰かけんか」
 亀吉に言われるまま、遊は傍らの大きな石の上に座った。
「まず遊にお礼を言わなきゃいかんな。ここでイシガメを助けてくれたな。あのまま岸の近くにいたら、またアライグマに襲われるところだった。本当に世話になった」
 亀吉と名乗るイシガメには前足も尾もついており、怪我をしている様子は微塵もない。
「違う、違う、わしじゃない。遊が助けてくれたのはわしの子孫なんじゃ」
「子孫って?」
「まあ、無理もない、事態が飲み込めないのは。遊は時代を遡ったんじゃ、つまりタイムスリップ。ちょうど60年前、昭和38年5月、西暦だと1963年の世界にいるのじゃ。東京オリンピックの前の年のな」
「東京オリンピックって、この間、やったばかりじゃん」
「遊が見たのは2年前の大会。わしが言っているのは、60年前、初めて東京で行われたオリンピックのことじゃ。むろん、遊は生まれておらんが」
 学校の図書館で借りた本でタイムスリップを体験した昔話を読んだことがある。60年前の世界か。見渡すと、確かに日赤病院や足利大の高い建物はなく、木橋の鹿島橋、どこか古臭い車の姿、形。身の上に降りかかっている状況を、遊は少し飲み込めてきた。
「でも、何で僕はやってきたの?60年前の世界に」
「遊が望んだし、遊が選ばれたからじゃ。60年後の世界で外来種がのさばるのに憤り、どうにかしたいと思っておるだろう。違うか?」
「そうだけど、選ばれたってどういうこと」
「遊が未来を変える使者に指名されたのじゃ。自制の神に仕える大神使、阿玖羅命様が、遊に白羽の矢を立てたのじゃ」
 遊は両頬を膨らませ、両手で顎を支えた。
「まあ、そうじゃな、突然、こんな重要な使命を言われても理解できるわけないか。実は遊がタイムスリップしたこの60年前の世界は、とても重大な時期に当たっておってな。人間とわしら生き物が共存するためにな」
 亀吉は滔々と事情を説明し始めた。
 太平洋戦争が終わり、日本は高度経済成長の真っ只中。人々はより良い暮らしを求め、自然破壊を続けている。田畑は潰され、山は削られ、工場や宅地、道路に姿を変え、工業廃水や生活雑排水で海や河川は汚染され、大気汚染も甚だしい。その上、食糧やレジャー目的で外来種も持ち込まれ、在来の生き物は急速に生息地を奪われ、その数を減らしつつあるという。
「外来種だってもう、この時代に問題となっておるんだ。さっき捕まえたタイリクバラタナゴは戦前、食用目的で中国から移入されたハクレンに混入してしまって、今じゃどんどん増え、在来のタナゴを追いやってしまいおって。このまま人間に好き勝手やらせたら、わしらは絶滅するだろうし、巡り巡って、遊ら人間が自分の首を絞めることになりかねない。そう思わないか?60年後の世界はもっとひどいだろう。遊は知っておるであろうが」
 亀吉の指摘通り、渡良瀬川はブラックバス、ブルーギル、ミシシッピアカミミガメに占領され、在来種は青息吐息の状態になっている。
「じゃあ、どうしたらいいの?未来を変えるには」
「原因は、人間の飽くなき欲望じゃ。それを止めなくちゃならない」
「どうやって」
「幸い、人間は理性、自制する心も持ち合わせておる。だから自制の心で欲望を抑え込ませるんじゃ。遊、君が先頭になってな」
「何を言ってるの、そんな大役を僕ができるわけないって」
「君は大神使、阿玖羅命あぐらのみこと様の申し子なんじゃよ。未来を変える使命を背負っているんだ。今から行くぞ、阿玖羅命様の元に。もう、迎えが来るはずじゃ」
 亀吉が首を逸らし、上空を見上げた。亀吉の視線の先、山の連なる方向から大きな翼の生き物らしきものが飛んでくる。鳥にしては奇妙の姿だ。馬のような顔、足も4本ある。その得体のしれない生き物は大きく羽を広げると、ふらりと河川敷に降り立った。
 童話で見たギリシャ神話のペガサスそのものだが、馬体はポニー程しかない。全身は艶のある褐色の毛で覆われ、背中に翼を畳んでいる。
「僕、磨墨するすみ。亀吉と同じ神使さ。遊でしょう、いらっしゃい。僕は小さいから乗りやすいよ。さあ、手綱を持って、左足を鐙に乗せて、自転車に乗るみたいに跨るんだ」
 磨墨は長い首を上下に2度、3度振り、促した。
 言われるまま、遊は手綱を掴んで、磨墨の背に跨った。
「じゃあ、行くよ、しっかり捕まっていて」
 磨墨は翼を広げ、数歩走ると、上空に舞い上がった。
 遊は馬の背中にしがみつきながら、下界を見下ろす。土手に沿って雑木林が広がり、田や畑の中に集落が点在する。見慣れた民家や工場の密集する風景とは随分と違う。あれは僕の通う城西小じゃないか。煤けた瓦葺の木造校舎が見える。校庭で数人が野球をやっている。上空から見る学校は広大な大地の1区画に過ぎず、人間は蟻のように見えた。
 遊を乗せた磨墨は学校裏の大七山だいしちやまを越え、足尾山地の方に向けて緑深い山々の上空を悠々と飛んで行く。
                         その5,に続く。

その5:小説「遊のガサガサ冒険記」その5|磨知 亨/Machi Akira (note.com)

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