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小説「遊のガサガサ冒険記」その24

 その24、
 
天空にある自制の神の社はヒノキの素木が清々しく、萱葺の簡素な佇まいだった。白雲に乗り社殿の前に降り立つ。スダジイやケヤキの社叢林が静謐で荘厳な趣を醸し出している。巫女に従い、遊は拝殿の中に入り、控えた。
 要望の悪魔の手先らを打倒後、既に夕闇が迫っていたため、遊ら一行は一度、自制神社に戻り、大神使、阿玖羅命に経緯を報告。阿玖羅命の指示で日を改め、剣が峰山頂に舞い戻っていた。
 雲一つない快晴のこの日、遊が祈念すると一塊の白雲が迎えに来て、ここにやって来ている。
 拝殿に遊が着座して間もなく、幣殿奥の本殿の両扉が静かに開いた。神鏡が光り輝き、その眩い光線が光量を増し、放射状に広がる。逆光に、人らしき姿が浮かび上がり、やがて、光の洪水が徐々に収まった。
 白装束の女性が凛として佇んでいる。黒髪は腰に着くほど長く、瓜実顔に切れ長の両目が美しく、穏やかな笑みをたたえている。肩からショールのような薄い布をまとう。自制の神、恵夢俱良命えんぐらのみことだ。自制の神はしずしずと拝殿に入った。
 神々しさに圧倒され、遊は慌てて平伏した。
「大神使、阿玖羅命の使いと聞いています。面を上げなさい」
 凛として艶のある声が、遊の鼓膜を震わせた。
「上清水遊と申します。自制の神にたってのお願いがあって参りました」
「わざわざこの天空まで来たのですから、重大な願いであり、決意なのでしょう。結論からお話しなさい。この私にどうしてもらいたいと」
「人間が目覚め、自制の心を働くようして頂きたいのです。そのために禁断のワクチンを授けて頂きたいと」
「欲深き人間に自制の心を目覚めさせろというのですね。深い事情があるのでしょう。詳しくお話しなさい」
「今、人は欲に駆られて暴走しています。欲望のままに快適な暮らしを求め続ける余り、その結果、豊かだった森は消え、海、河川、湖沼、それに大気までも汚染し、太古の昔から生きながらえてきた生き物が急速に死に絶えようとしています、最早、一刻の猶予もありません。早く食い止めねばと、痛感しております」
「そなたが生き物の行く末を案じる気持ちはよく理解できます。ですが、人間はこの世に誕生して以来、そもそも欲深き生き物としてふるまってきたではありませんか。樹木を伐採し家や船を建造し、他の動植物の命を奪って食を満たし、危害を与えるからと生き物を問答無用に抹殺する。これまで、どれほど人の心に自制を働きかけてきたことか……」
 自制の神は両目に憂いを漂わせ、遊に語り掛けた。
「神が呆れ、憤られるのも当然かとは思います。いずれ、因果応報、災難は人間の身に降りかかって来るでしょう。既に地球温暖化、食糧や水不足、コロナに象徴されるパンデミックなど目に見えた脅威も噴出しています。まさに自業自得なのかもしれません。ですが、人間の悪い行いのせいで罪のない多くの生き物が絶滅し、さらに多くの動物や植物が今も悲鳴を上げ、助けを求めているのです。神のお力なくして、どうして人間の暴走を食い止めることができるのでしょう。お願いです。何卒、お力をお貸しください」
 自制の神が摺り足で、遊に近寄った。
「遊、よく聞きなさい。禁断のワクチンは必ずや増殖する欲望のウイルスに打ち勝つでしょう。しかし禁断であるがゆえに、相当の副作用も覚悟しなければなりません。自制のブレーキが想像以上にかかり、人々の生活が激変し、社会全体の活気も失われかねません。覚悟がありますか」
 神の問いかけに、遊は両頬を膨らませて考え込んだ。
 禁断のワクチンは遊のいる60年前、昭和38(1963)年の世界に散布されるという。時は翌年に東京オリンピックを控えた戦後高度経済成長の真っ只中で、ワクチンの影響、またその副作用の影響をうけ、昭和、平成、そして遊の住む令和の世界はどうなっているのか、想像すらつかない。最終局面、思いを巡らせれば、前代未聞、途方もない計画に恐れを感じ、背筋が寒くなる。
(でも、引き返せない。間違ってはいない)
 ニホンオオカミ、キタタキ、ミナミトミヨの悲痛な訴え、同志として戦って散った雷鷲の雄姿が思い浮かぶ。
「はい。地球上の生き物がすべて生きながらえるために」
 遊は袱紗を開け、EW報告書を神に差し出した。
「これは、絶滅した生き物、そして同志と私の血と汗の涙の結晶です。どうか、信じて頂きたい」
 自制の神は調査書を胸に抱き、穏やかな笑みを浮かべた。
                       最終その25、に続く。
最終その25:小説「遊のガサガサ冒険記」最終その25|磨知 亨/Machi Akira (note.com)


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