見出し画像

【大切な気持ちの備忘録】


ずっと気持ちを残しておきたくて、書いては消し、泣きを繰り返していたけど、どうせ書ききれないしまとまらないし、でもその時間で忘れていく感情の方が怖くて、全然まとまってないけど書いてみる。

11月末に、小学校からの大好きで大切な親友が亡くなった。
理由は自死だった。

12月1日、親友のお父さんから連絡があり、「〇〇、亡くなっちゃったんだ」と伝えてくれた。
全然理解できないし、全然現実味ないし、正直電話が来た時、悲しみも寂しさも溢れてこなかった。驚きが強く、現実と思えない気持ち、色んな感情が溢れて泣いた。

次の日、親友が眠っている葬儀場に向かった。
そこには、親友の家族、小学校ぶりに再会する地元の友達や友達の親が集まっていた。目の前に、親友は静かに眠っていた。
それなのに、なんでか現実味がなくて、目の前にいるのに抜け殻のような、本人ではないような気がして、周りの涙につられ泣いた。

ただ、その日から今日まで段々と喪失感が強まっていて苦しさを感じる。

私たちは、小学校こそ同じだったが、中学、高校、大学、社会人になっても連絡を取り続け、会い続け、いつもくだらない話をしては笑い合い、悩みを共有し合い、支え合って生きてきた。

亡くなった2週間前にも一緒にランチ、カフェを楽しんだ。
亡くなる前日にもLINEをしていた。

そんな身近で自分にとって大事な人が目の前から消えた。

その事実を時間が経てば経つほど、現実なんだって思い知らされているような気持ちになった。

駅から家までの道のりの電話、どうでもいい他愛ないLINE、特に用もないのにする連絡、それが叶わないことを日が経てば経つほど強く感じるようになった。

その途端に、胸がぎゅーっと苦しくなり、この思いをどこにぶつけたらいいのか全てにおいてやる気もなくなり、ただただ涙が出てくる日々になった。

最近は、年末年始の実家帰省で街を歩くたび、どこに行っても思い出全てが蘇ってきたり、女友達の2人組を見ると苦しくなったり、色んな気持ちが溢れてくる。
心がズドーンと闇に葬られたような感覚に陥る
もっと一緒にいたかったなとか、
もっともっと話したいことが沢山あったなとか、
自分達もあーやって沢山笑い合ってたなとか、
いろんなことを考える。

辛いのは、この感情をどこにぶつけたらいいのかわからないこと。
ぶつけたいわけでもない、理解してほしいわけでもない、だけど一人で持っているのが少ししんどくて一旦降ろしたくなる。
でもこの寂しさや喪失感、感情を誰かに伝えることも難しくて、自分でもまだうまく向き合えず言語化ができず、話すことをやめてはの繰り返し。

でも、その度に孤独感や喪失感が増していく気がした。

最近はそんな毎日を送っている気がする。

でもだからといって毎日が落ち込んで暗く希望のない日々を過ごしているわけではない。

私は親友と約束したことが沢山ある。
互いに悩みをぶつけ合い支え合う中で、「自分らしく、無理はしすぎずにぼちぼち生きていこう」と言い合っていた。互いを肯定し合い、支え合って生きてきた。

私は、去年の9月に転職した会社を去年11月末に会社都合退職となった。
試用期間の3ヶ月でクビになった。

でもそこで見えたことが沢山ある。

私が社会人になりずっとやりたいと思っていること、その答えがはっきりと見えた。誰かが正解とするものや、メディアが進めるキャリアの方向性ではなく、心の奥底から作りたいと思う社会を作ろうと決めた。

会社を退職した次の日に親友が亡くなり、その日の夕方に、自分が共に働きたいとずっと思って連絡をとっていた会社の方達との話し合いがあった。

そこで正直に偽りなく自分の作りたい社会を伝え、それに共感してくださった温かい仲間が見つかった。

私はそこで人の「心の拠り所、居場所づくり」をしていきたいと思う。

人との出会いが誰かの拠り所になり、居場所になっていく。
そんな出会いや空間をこの先の人生をかけて作っていきたいと思う。

喪失感、寂しさ、やるせなさ、後悔、いろんな思いがあるが、
少しずつ親友を胸に一緒に歩いていければと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?