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[天才音楽家と西洋音楽文化]浦久俊彦著「フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか」

19世紀初頭ヨーロッパに現れたピアノ音楽史に並び立つ双璧ショパンとリスト。日本ではショパンの人気が高く、残念ながらリストが語られることは少ない。しかし、リストの存在、功績を知ると、リスト抜きに、ピアノ音楽史を語ることは出来ないことがわかる。タイトルは、少々俗っぽさを感じさせられるが、本書は、音楽プロデューサー浦久俊彦氏による、リストの生涯、功績と、西洋音楽文化を重ね合わせ、より多くの人々が、西洋音楽を覗くきっかけになることを目指した労作である。以下、本書のレビューを記す。
 リストは、19世紀初頭、1811年東欧ハンガリーの小さな村で誕生する。父が音楽愛好家だったこともあり、幼いころからピアノに触れる。ここから、神童の神話が始まる。生涯最初の公開演奏会は9才。その後、ウイーン、パリと活動の拠点を移し、神童伝説を欲しいままにし、成功の階段を駆け上がる。当時の音楽家が演奏を行う場所はサロン(旧貴族とブルジョア層の社交場)。19世紀前半には、サロンでの文化活動は劇場へと広がる。当時のパリを代表する劇場は、オペラ座とイタリア座。リストは、13歳で、イタリア座で、パリで初めての演奏会を開く。途中、恋愛スキャンダルで、活動を停止した時期はあったが、サロンネットワークを通じ、リストの評判は、ヨーロッパ中に広がり、「リストフィーバー」と呼ばれる社会現象を巻き起こす。凄まじい集中力から発せられる響きの洪水に、人々は、ただ圧倒された。このころの演奏会の様子は、風刺画にも残っており、本のタイトル「失神したがる女たち」は、この様子から引用したものである。25歳になったリストは、その後、8年間にわたる史上最大のヨーロッパ・ツアーを行う。リストが公演のために訪れた街の一部を書き記すと、オーストリア、ハンガリー、チェコ、スロバキア、ドイツ、デンマーク、イタリア、フランス、ベルギー、オランダ、イギリス、アイルランド、スイス、スペイン、ポルトガル、ルーマニア、ポーランド、ユーゴスラビア、トルコ、ロシア。移動は馬車。公演回数は、およそ千回。訪問した町は260。平均3日に1回公演した。彼はこの収益の多くを学術振興や学生、孤児のために寄付を行う。比類なきピアニスト、慈愛に満ちた芸術振興への功績により、ピアノ界に君臨する絶対的な存在となった。また、この活動の中で、リストは、ピアノ音楽文化に、大きな足跡を残すことになる。
 まず一つ目が、ピアノ・リサイタルの発明。当時のコンサートは、ピアノあり、歌曲あり、室内楽ありの混合演奏型。現在のピアノ・リサイタルの姿である、ステージ中央にグランドピアノがたたずみ、湧き上がる歓声の中、ピアニストが登場し、ピアノを奏でる。これは、リストが初めて行い、世に広めたものである。
 二つ目がピアニストという職業を誕生させたこと。当時は、作曲を行う音楽家が、自分の作品を、観衆に伝えるための手段として、ピアノ演奏も存在した。しかしリストは、当時過去の音楽家であったバッハ、モーツアルト、ベートーベンらの、自分が心から感動した作品を、人々に聞いて欲しいと願い演奏した。また同時代で、当時は無名だったシューマン、シューベルトなどの作品も演奏し、ヨーロッパ中に広めたのもリストだった。自らの演奏によって、楽譜に書かれた作曲家の意図を、音にして響き渡らせる、現代のピアニストの姿を初めて行ったのもリストである。
 三つ目は、全ヨーロッパへの音楽の普及への貢献である。さきに書いたように、リストは、大都市はともかく、小さな町でも、コンサートを行った。当時は、ラジオも、レコードもない時代。リストの並外れた数のコンサートが、音楽の普及に大きく寄与したことは想像に難くない。
 しかしリストは、1847年、35歳という若さで、ピアニストを引退する。理由は諸説あるが、ピアニストとして頂点を極めた達成感によるものであろうか。その後は、現在のドイツ、ワイマールの宮廷楽長を務める。大成功を収めた音楽家が、薄給の公務員への転身である。当時、ワイマールは、重要な芸術・文化都市だった。著者は、リストの興味、関心が、次の時代の芸術、文化をどう育てるかに向かっていたことが理由ではないかと述べている。リストは、作曲、若い音楽家の育成に、その活動を向けることになる。最後は、54歳で聖職者となり、74歳で、その生涯を終える。
 以上が、リストの生涯、功績、西洋音楽文化へに与えた影響である。最後に盟友ショパンが夭逝した後、リストが執筆したショパンに捧げる書籍の一文に感銘を受けたので、以下に記す。「芸術の使命は、苦悩に満ちた現実を、天の高見に昇華させることだ」。現代を生きる我々は、明日を生き抜くための事柄に、目を奪われざるを得ないのが現実だが、一方で、さまざまな文化に触れ、魂を揺さぶられる感動を味わうことは、自分の人生を有意義なものとしてくれると改めて思った。


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