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自己受容と貞操観念

自己受容が上手くできずにいたから、貞操観念が薄かった。

私の幸せには、他者が必要だった。

愛されなくていいから必要とされたくて、まあやっぱり必要とされることが幸せなわけだから、呼ばれれば行くし、舐めてと言われれば舐めるし、出すと言われれば受け止める。

ことが終われば、まあ、この度はありがとうございました、また機会がありましたら是非ともよろしくお願いしますという気持ちなのだ。3時間前に浮気相手が寝ていたベッドでも、真冬のベランダでも、夜21時過ぎのオフィスのトイレでも、それは全く、寸分違いなく同じ気持ちだった。ああ、今思えば、ですけど。

愛されているとは当時から思っちゃいない。たぶん。ホテル行こうよはセックスしようよと同義だと思ってる。そんなのそうに決まってる。メイビー。抱かれることは愛されることではない。きっと。そこまで非常識ではない。おそらく。

ただなー。一方で、私は止まり木……くらいは思ってたかもしれんな。

次の日彼女と仲良さそうにしているのを見た時、私にある感情は温かなものだったから。

だから、私のこと嫌いな人ってあまりいないんじゃないかと自負しているんですよ。

トイレから戻るついでにヘラヘラしながら「やばい、めっちゃ濡れてた」とかナチュラルに言えるし、向かい合ってる時に相手が条件反応で好きと言葉を発すれば、ちはやぶる神よろしく「私も」って返すことができる。報恩なんすかね。自己有用感……?世間のお役に……とか?あっ、いや、楽しい方がいいもんね。私さ、中学生の頃からお笑い好きだしさ。

そもそもさ、断らなければ嫌わないでしょ?断ったら嫌われるでしょ?モテ期だとか本気で思ってたよ。


もうすぐ34歳になる。

私は諦めることによって、自己受容の力を手に入れた。

まあこんなところでしょう。よく遊びました。嫌な思いもしましたが、案外何にもならなかったですもんね。この現代社会をぐるぐるウネウネ生きてる割には悪くない。ラッキーガール。

幸せになるのに、他者はいらない。

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