信じとるけん。

「私はもう信仰しないから」
それに対する父の応えが
「わしは、信じとるけん」
はぁ?

家の信仰は父で3代目。ここまでくると親戚一同信者になる。いや、信者以外の親戚とは絶縁しているだけ。4代目の私は生まれた時からそれ以外の価値観も正当性も知りようがない。進学も就職も結婚もその中で従ってきた。

この間には、地球上に並べてもまだ余る程の不条理がウヨウヨしている。それは又別の機会にして

子どもの発達障がいがきっかけとなり、50歳を過ぎてようやく
えっ?えっ?
幸せの形って一つではないんかも?
人の数だけ幸せの数はあるんちゃうの?
子どもたちにはあの子たちそれぞれの幸せがあって良いのよね?
という疑問が湧き出てきた。

それまでの人生が、価値観が、ガタガタ言って崩れ出した。
信仰によって人は救われ、信仰を保つ事こそが幸せだと。私達は唯一無二のアリガタイ信仰をさせて頂いている信者で、他のどの信仰に於いても浄土参りは出来ないが、この信者だけが救われ纏わりついている罪障を消滅することが出来る。この信仰こそを喜びとしなさい。

書きながら、彼方此方で怒りを買っているような…気を悪くしたらごめんなさい。
こう言われて育ったと、他の価値観を知らずに後期更年期まできてしまったと伝えたかっただけです。 

子どもから汲み取ったこと。
信仰は嫌。
私の願いは子どもたちの幸せだけ。

もう半旗振りかざすしかない!
しかしながら、親に歯向かう事を極悪とする信仰の中に生きてきた私は直ぐには動けなぃ。奥歯を噛み締めた。全てにイライラしてまう。売り言葉に買い言葉に乗っかって「もう信仰はせんから」と絞り出した私の決死の覚悟に対して
「わしは、信じとるけん」
???????????????????
父はいとも簡単に覆した。
今は、更年期やら子どもの事で頭が混乱しとるだけ。いずれマトモになって昔のように熱心な信者に戻ると言うのが父の見解。
???????????????????

どんなに美味しい食べ物でも好みが違うと美味しく感じないでしょう?それと同じ。信仰もどれだけ正しいと自分が大切に思っても価値観が違えば相手には受け入れられないでしょう?どれだけ勧めても世間のほとんどの人はやらないじゃない!

世間の人は放っとかなしゃあない。

なら、私も放っといてよ!

頼むわ。この通りじゃわ
と土下座でもしかねん手のひら返し
??
信仰って頭下げて頼み込んでしてもらうものなん?

違う。
そうでしょ。

すると今度は怒りだした。
分かっとんか!
臭っても親ぞ!
もっと婆さん大事にしたってくれ!
??
もう50年親孝行してきた。ずっと言う通りしてきた。もう十分。これからは、子どもたちの事を第一に考える。
だけんもう信仰はせん!
なんでもええけど、信仰って叱りつけて抑えつけてするものなん?

違う。
そうでしょ。
なら、信仰したい!って人達だけですればいいでしょ?

何を言よんな。他人さんにまで勧めよるものを、我が子や孫に勧めん親がおるか!
子孫が安生行くように願わん親がおるか!

私らのことを考えてくれるなら、もう放っておいて。自由にさせて。信仰はせんでもいいと認めてよ!

ほんなこと出来るか!
子どもが不幸になるんを、間違った道行くんを黙っとけるか!

もうえぇ。
爺さんは、好きなだけ信仰しなよ。
邪魔せんから、何ぼでもしたらいい。
私も子どもたちも、したくないんじゃ!
それだけ認めてや。


わしは、信じとるけん。

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