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私のジャーナル事情

ジャーナルを書き続けて2年くらいになる。

ほぼ、毎日書いている。


ノートはB5サイズのCampusノートなどを
使う事が多い。

カバンにすぽっと入って
手軽に持ち歩けるからだ。


ジャーナルの付け方は、
頭に浮かんだことをひたすら書いていく。
という方法です。


ネガティブな事、ポジティブな事

ただ思いついた単語なんかも
何も気にせず、ただひたすら書いています。

1日、1ページ~3ページくらい
ノートびっしりと文字を書きます。


後で振り返って見たとしても
大体の事しか分からず、自分でも?なコトも
書いてあります。

後で読み返す事を特に考えてないし
そうする事はほとんどありません。


文章よりも?(もしくはそれと同等に)
ただ文字を書く。
という行為が好きなのかもしれない。


自分が、書きやすい。と気に入った
ボールペンで、ただただ文字を書いていく。


そんなジャーナルのノートを買う時に
いつも迷ってしまう事があって。

それは、左側のページを書く時に
ストレスなく書けるかどうか。


リングタイプは少々右手が痛くなる。
ソフトリングタイプとかもあるし
それだと痛くないからいいけど、
ちょっと気になる。


どうせ読み返さないから。と
リングタイプのノートの左側の時は
上下逆さにして、右側に
もってきて書いていた時もありました。


結局、リングなしの大学ノートで
左側のページを書く時は
折り畳んで使う。に落ち着く事が多い。


それでも、右側の新しいページって
特別感があり気持ちのテンションが
違うのですよね。


字が特別上手い。とかでもないのだが
今日はいい感じに、
キレイに文字が書けているな。
と思う時は、何だか調子良くペンが進む。


最初は、頭の整理をするつもりが
途中で、何でこんなこと書いているのだ?

という、文字瞑想状態になる事もある。


深い呼吸をしながら
瞑想のみを集中して出来ると
気持ちが整いそうでいいなぁ。
と、挑戦した事もあったのだが、


せっかちな自分は
すぐに違う事が頭をさえぎってしまい
何だか上手く出来ない。

なので、湯舟につかって
ぼんやりしている時間と
ノートに文字をひたすら書いている時が
自分にとっての、瞑想タイムではないか。

と思ったりもする。

ジャーナルは瞑想も込み。と考えると
書きにくいという意識が入るのは
瞑想の妨げになるじゃないか・・・。


大学生の頃
(通っていた大学は仏教系大学で)
写経の時間があった。

静まり返った講堂で、皆で写経をする。

授業がどういう内容だったかは、忘れたのだけど
最後30分程が写経の時間でした。


墨の匂いが漂う中、文字を書いていく

その日は制服を着る事になっていて
皆、姿勢を正し、シンとした空気感で書く
その時間が結構好きだった。


家族がいない静かな休日

ノートにひたすら文字を書いている時は
あの写経の時間みたい。


こんなに一杯の文字を
キレイに書こうと埋め尽くしているのに
どうして、裏面のページもきっちり
書かないと勿体ないのか。と思った。


写経の方が文字も大きいし、
文字数も少ないのに、裏面使ってない。
墨だし、当たり前なのだけど。

習字は芸術だから
ただノートに書く文字とは違うけど

キレイに書きたいという
気持ちは割と同じなので、
それなら、裏面に書かなくてもOKかも

と、自分なりの理屈で、許可しました。


だけど、やっぱり左側のページに
何も書かれてないと、
もったいない精神が出てきて、
少々後ろめたいような気持ちになる。


以前、ジャーナルの書き方について
説明されているyou tubeを見ました。

その方曰く、
最初はまず、グルグルグル~!と
ひたすら自分の感情を吐き出すように線を書く。
と言われていた事を思い出し


左側は、グルグルページにしたらいいのでは。
と考えた。


これから書く左側に、グルグルがあると
それはそれで気になりそうだし、

1冊前のノートをグルグルノートとして
使えばいいかな。との思いに至った。


グルグルは力がかかる事があるから
鉛筆で書くのがいいそうなので、

子どもが使わなくなった鉛筆を
使ったらいいかも。

思いもよらぬところから
他の勿体ない問題も解決。


とはいえ、
結局、左側も使うのかもしれないけど

私なりの左側問題の対策が出来たので

これからは気がねなく、
真っ白なスペースに
つらつらと文字を綴れそうです。


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