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魔女狩り

https://youtu.be/4hBxDdgf-eo

この動画を見て、私は、私が「魔女」であることを心のどこかで確信した。


もちろん魔法なんて使えない。せいぜい多少絵が描ける程度だ。ここで言う魔女とは、「魔女狩り」における魔女のことだ。

この動画を見ていただけるとお分かりになるはずだが、ここで話されているのは、所謂空気。KYでお馴染みの空気の事だ。そして、そこで「空気」を読む能力のことを、科学的に「ノンバーバルコミュニケーション」と読んでいる。

そして、そのノンバーバルコミュニケーションの能力、戻すと空気を読む能力が何かと言うと、かつて、原始の時代に人間が群れで生き抜くために特に必要とされた能力である。マンモスを狩るにしても、猛獣から逃げるにしても、農業を営むにしても、いちいち言葉にせずとも雰囲気で動く能力が求められる。なければ、役立たずになるか、死ぬだけだ。

 もちろんそうなると、空気の読める人間ばかりが生き残ることになる。だが、時折KYも生まれる。.......そうなれば、村八分、魔女狩り、いじめの始まりだ。そいつをコミュニティから追い出し、ますます空気を読まなければならない空間を作り上げていく。それが、人間の社会の仕組みなのだ。


だが、時は過ぎ、人間の生活は便利になっていく。文明が進化していく。そうすると、KYでも死ななくて済むようになってくる。そう、それが我々KY。そして、時に「陰キャ」「ふしぎちゃん」「あいつ、悪いやつじゃないんだけどね.......」などと揶揄される存在だ。かつての魔女のような素晴らしい医療の技術は持っていない。だが、確実に、社会に忌み嫌われる存在だ。

さて、話を戻してノンバーバルコミュニケーションの話をしよう。動画でも話されているように、人間以外の動物でも、そのノンバーバルコミュニケーションで人間とコミュニケーションをとれる生き物もいる。ペットを飼っていればわかるかもしれないが、彼彼女らはわかりやすい。ごはんが欲しければ、鳴き声を出したりするし、皿をひっくり返したりする。嫌なことがあれば威嚇するし、ドアを開けて欲しければこちらをうるうるとした眼差しで見つめる。まさに、これがノンバーバルコミュニケーションだ。

これは、人間界でもあることだろう。あの人は教科書を貸して欲しそうだな、あの人は人と遊ぶのが好きそうだな、あの人は今からバスケがしたいのかな。ノンバーバルコミュニケーションだ。そうやって、周りに自分の意志を雰囲気で伝えられれば、周囲もそれを察知して、合わせるのだ。

逆を言えば、ノンバーバルコミュニケーションが出来ない人間は意志の図れない、それこそ不気味な魔女だ。それに立ち会った「人」は、基本ノンバーバルコミュニケーション的なものさししか持っていないがために、相手の意図が計測不能になり、あの人は何だか人と喋りたくないのかな.......?、あの人は何だか近づきづらいな、あの人は何考えてるかわからないなあ、などという印象を受け取ってしまう。


私は10年間を合わせても両手両足で足りるほどしか遊びや外出に誘われていない。(事前にこの時期になったら遊ぼうねと釘打った場合は例外だが。)なので、基本私から声をかけるようにしている。そして、なんとこれは両親ともにそうだ。....もはや父に至っては友人と遊ぶとこすら見たことがない。

ここで大事なのは私がこれを僻んでいる訳ではなく、これが  遺伝である  と言うことだ。両親ばかりでなく、その兄弟もそうだというのだから、よりKYは人間社会で「たまたま」生き残れるようになった劣勢遺伝であることがわかるだろう。


私は結局何が言いたかったのか、僻みか?逃げか?不幸自慢か?

否、私は知りたかったのだ。なぜ、私はこんなにも考えすぎだと言われ続けるのか。なぜ、私はどこのコミュニティでも馴染めないのか。なぜ、私はこんなにも人の顔が覚えられず、人の物に興味がわかず、あまつさえ、憧れすら持ったような「人」の私的な部分に一抹の興味すらわかないのか。

なぜ、私は、いや、親友も含む我々コミュ障は生まれ、そして明らかに人間社会で浮くのか。


遺伝なのだ。全て、遺伝なのだ。そして、我々は、人類が生き残る上で足枷となっていた劣等種の生き残りなのだ。だから、周りの「優等種」は本能で私たちを排斥するのだ。


みな不思議な顔をしている。なぜ、見た目の同じ私たちが、当たり前を当たり前にせず、小難しいことを考え、群れで動かないのか。

当たり前のことだ。結局のところ、わからないのだ。本能に生きる彼彼女ら「優等種」は、強いものに媚び、群れで生き、足並み揃えて軍隊のように行進する術の他を知らないのだ。


だが、残念なことに、優等種は優等種ゆえに人間社会のほぼ全域を占める。そして、優等種が生きやすいように社会はでき、動いている。自由の国、アメリカですら、それは変わらない。きっとそこでだって、優等種は「自由でなければならない」という雰囲気に合わせて動いているに過ぎない。

一生分かり合うことはできない。私は悟った。だが、ゆえに、楽になった。根本の感覚から合わなかったのだ。もう考えなくていい。私は劣等種だ。相手の優等種はほぼ本能のようなものだ。つまり、私の相手は人間ではなく、ノンバーバルコミュニケーション、人間の本能だ。




 ※今回、優等種、劣等種という言葉を使いましたが、「人類が生存する」という一点に絞った際の優劣というニュアンスで使いたかったのであり、そこにディスの意味合いはありません。失礼しました。

※この動画の主は、適当に検索にひっかかった馬の骨ではなく、普段より信頼のおけるソースだったため引用しました。だいたいこういう系の動画はロクでもないので検索はオススメできません。

 

(端書き)

人間にとって社会がクソなのではなくて、コミュ障にとっては、社会は人間の本能に監視されたいつでも排斥される恐ろしい場所だったのかもしれませんね。こわいこわい。でも、我々も人間である以上、ノンバーバルコミュニケーション力の欠如があっても人間の中で生きていかないと生きてる気がしないものです。圧倒的神様の設計ミス。

あと私は圧倒的魔女サイドなので魔女狩りにあう側の人間が大好きです。最近は見たら分かるとこまで来ました。最高ですね。

この動画を見てから丸2日ずっっっとこんな考えに支配され続け落ち着かなかったため殴り書かせて頂きました。少々攻撃的な文章になってしまったことをお詫び申し上げると共に、読んでくださったことへの感謝を述べます。おやすみなさい。

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