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自由でいたい!自由に生きたい!

私は自由を束縛された子ども時代を過ごしました。
親がどう思っていたかとか周りの大人がどう接していたかとかそんなことを言いたいわけではなくて、小学校5年生の頃からずっと自由を追い求めています。どうやったら自分の思う通りに心のままに生きていけるのかそればかりを考えています。

54歳になったいまも自由を阻害する出来事にとっても敏感で、そのような場面をみたり、抑圧の言葉を投げかけられたりすると、過剰反応して一瞬理性を失ってしまうくらいです。

10歳の頃から、親が絶対で教師が絶対で、自分よりも年長者が絶対だという押し付けから逃れたくてどうやったら自立できるのかそればかりを考えていました。町の図書館で自立できる方法を必死に探していた場面を写真のように鮮明に覚えています。

世の中でおこっている数々の悲しみのひとつひとつを我がことのように感じてしまうと辛すぎるので、いつもは大抵蓋をして見ないふりをします。
そんなことに首を突っ込んでしまうと、社会から「変わったひと」だという目で見られて、自分の自由が奪われてしまう可能性があると感じています。だから、何らかの形で応援はするけれどこのままひっそりと息を潜めていたいと思っていました。

オンラインでいろんなことを学び始めてから、さまざまな分野を変革したいと活動している方々と出逢い続けています。医療・教育・環境・地域・介護・・・ほんとにいろんな課題があったのだと知ることになりました。
テレビやニュースでは知ることができないリアルな世界をオンラインで知ることになるとは想像していませんでした。

「いばらき原発県民投票の会」もそのひとつです。
あやこさんと知り合ってから、「県民投票」にこぎつけるまでの大変さを聴きました。県民投票が行われるまでにどんなに大変な手続きがあって、ひとりひとりに署名を集めて、やっと県議会に提出できるそうですね。
そして県議会で「民意を問うかどうか」「県民投票をするかどうか」を議論してもらってやっと県民投票が行われるかどうかが決まるんです。

仮に県民投票で「原発再稼働」となっても「原発は稼働しない」となってもその投票内容の結果に法的拘束力はないそうです。
それなのに、なぜ平方さん達は活動をやめないのか。諦めないのか。

それはみんなで対話しましょうよ。
反対の人も賛成の人もわからない人も興味がない人も・・
みんなでじっくり考えてみましょうよ。ということなんですよね。

今月23日のいばらき県議会の本会議で「県民投票」をするかどうかが採決されるそうです。この国に暮らしているすべての人にとって、このことは他人事だと蓋をしていい問題なのかなぁ・・と思ったので今日はこのテーマを書いてみました。

徳田太郎さんが県議会でお話されている動画ものせてみます。



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