#課題小説を読もう

自分用のメモです。

“太宰治「メリイクリスマス」の分析をしてみませんか?”と、yosh.ashさんがつぶやかれていたのでこっそりトライします。
小説の分析なんてやった事がないけれど、短くてもいいと書かれていたし、いまの自分にとって割と必要なことのように思われたので。まあ、下手でもやることに意義があると言うか、やらんかったらゼロなので。

取り敢えず話を簡単に4つに分けて説明をつけてみます。

1:東京に舞い戻ってきた男が
2:偶然、旧知の女性の娘と再会して、娘と連れ立って母に会いに家へ向かう。
3:けれど、実は母が亡くなっていると知らされる。娘は言い出せなかった。
4:「母はうなぎが好きだったね」とふたりでうなぎ屋へ行き酒を飲む。

こう書くと、なんとも淡々とした話ですが‥
男は女にだらしない感じのダメ男です。その設定込みでもう少し詳しく説明すると以下の感じになります。

1:東京に舞い戻ってきた妻子持ちの男が、
2:偶然、旧知の女性の娘と再会。娘と連れ立って母に会いに家へ向かう。男は昔東京で女を追っかけたり追っかけられたりしていたが、娘の母は唯一ホレた腫れたのない安らげる人だった。娘は母の話を振ると暗い顔を見せる。男はそこで妄想する。実は自分にホレていて自分を母に会わせたくないと思い悩んでいるからかもと。
3:けれど、実は娘は母が亡くなっていると言い出せなくて暗い顔をしたのだった。恋も嫉妬もなかった。
4:「母はうなぎが好きだったね」とふたりでうなぎ屋へ行き酒を飲む。

話を作るには誰かがウソを付いていることが大事と聞いたことがありますが、この話の中での裏切り(「読んでるうちはこうだと思っていたけど最終的には実は全然ちがった」と思わせる何か)は、娘は母が亡くなっている事実を言い出せなくて暗い顔をした、恋も嫉妬もなかった。という点でしょうか。そのウソに気付かせないようにしている細工が、恋か嫉妬かとウキウキする男の勘違いといったところでしょうか。

キーになるウソと、ウソを隠すための「何か」。
それらが物語を動かす?
いままでは、実際に物語を書くとなると、そのウソをひねり出すのが困難だ、と思っていたのですが、実はウソを隠すための「何か」を見つけることのほうが難しくて、話の方向性の大半を決めてしまうのやもしれません。唐突にそんな気がしました。

以下に、読み進めながら頭に入ってきた情報&あとから気付いた事柄をごちゃまぜで書き記していきます。分析といえるものではなく、単に「どこを読んでどう感じたか」を書き出してる感じです。

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冒頭

東京に男が妻子を連れて舞い戻ってきた。
男は田舎の誰かにあてた手紙に「東京」を説明している。
「久し振りの東京は、よくも無いし、悪くも無いし、この都会の性格は何も変って居りません。もちろん形而下の変化はありますけれども、形而上の気質に於いて、この都会は相変らずです。馬鹿は死ななきゃ、なおらないというような感じです。もう少し、変ってくれてもよい、いや、変るべきだとさえ思われました。」

男は12月初め映画館に行って、アメリカ映画をみる。この辺りを読んでいると、敗戦国日本にアメリカががっつり入り込んでいる感が出ている。国が暮れている感じが滲む。ここまでは割と淡々と状況を拾い読む感じ。
「東京の生活は、やっぱり少しも変っていない。」という一文を合図に、話が動きだす。

「若い女のひとが、鳥の飛び立つ一瞬前のような感じで立って私を見ていた。口を小さくあけているが、まだ言葉を発しない」ここで一気に緊張感。さらにつながるフレーズが、非常に短いことばで、
「吉か凶か」。
いままで澱みなく読ませていたのに、唐突に「考える余地」が与えられる。何が吉か凶かなのだ!?と読み手側に考えさせる。

そして次の行で、落とす。
「昔、追いまわした事があるが、今では少しもそのひとを好きでない、そんな女のひとと逢うのは最大の凶である。そうして私には、そんな女がたくさんあるのだ。いや、そんな女ばかりと言ってよい」
私はこの時点で、この話にというかこの男に引き込まれています。
吉か凶かなんてシリアスにいうから、なにか重大な話かと思ったのに、それって単に身から出た錆じゃないか、この男はダメ男だなあ(笑)と。この男、妻子もいますし。
「こうだと思ってのに全然違った」という展開には強い吸引力を感じます。わざとこういう作りにしてあるんでしょうね。
さらに、「新宿の、あれ、……あれは困る、しかし、あれかな?」のダメ押しの一文。あるのとないのとでは後の文の印象がだいぶ変わります。むしろないといけない感じです。トボけたダメ押し大事。

若い女のひとの服装は赤と緑の派手な色合い、クリスマスカラーです。戦後派手な服装をしていた女性ってことは米兵の恋人かなにかかもですね。朝ドラでもそういうのを見た気がします。誰も作中でそのことに触れないですが。
夕暮れに霧の中を黒衣の人々がいそがしそうに往来する師走という時期とこの服装との対比は、多分ものがたりの象徴ではないかと。それも含めて「東京」なのかも‥?しかし、黒緑赤とは、色のコントラスト強いです。

若い女のひとはシズエ子ちゃんという、男の昔の顔見知りということが判明し、シズエ子ちゃんの母のことがひとしきり語られます。
男にとってシズエ子ちゃんの母は「唯一やすらげる人」でした。その理由を男は四つ上げています。
彼女はきれい好きで、お互いにホレた腫れたでないのが気楽で、いつも男の心に沿った話をしてくれた、‥。私は、ほうほうなるほどそれなら分かるよなどと頷きながら読んでいたのですが、「これが最も重大なところかも知れないが、そのひとのアパートには、いつも酒が豊富に在った事である」と四つ目で落とされて、やっぱりダメ男なのだと強調されます。三段階あがって四段目で大きく下げるこのギャップに強い吸引力を感じます。さらに、「ダメ男だ」と思い込まされることが次の展開への布石にもなっています。

男はシズエ子に、いまから母親に会いに行こうと提案し、シズエ子は沈んだ顔をします。すると男はその様子に、
「私は自惚れた。母に嫉妬するという事も、あるに違いない。」
と思い始めます。いや、自分妻子いますよね。

私は、この男またアホなことを言い始めたわとちょっと笑いつつ、どういうすっころびかたをするのかを見たくて読み進めます。
男はまんまと恋のことばかり考え始めて、
「メートルならば、実感があるだろう。百メートルは、半丁だ。」と教えた後に、「何だか不安で、ひそかに暗算してみたら、百メートルは約一丁であった。しかし、私は訂正しなかった。恋愛に滑稽感は禁物である」と、滑稽なことを言い出します。
男は終始浮かれていて、「僕があのもう一分まえに本屋から出て、それから、あなたがあの本屋へはいって来たら、僕たちは永遠に、いや少くとも十年間は、逢えなかったのだ」などと言うのですが、シズエ子にしてみたら、この男は母とそれほどにも会いたがっていたのに母はもう死んでいるのだと言い出せなくて、きっと心が潰れそうになっています。ですが、現時点ではその事実は伏せられているので、読んでいるこちら側は、この男のアホさ加減が愛おしいくらいだなあと気持ちが緩み切ります。

その直後。シズエ子が沈んだ顔をしていた理由が明らかになります。ここも文章が端的なのですが、読んでるこちら側の気持ちが切り替わってしまう前に「母は広島の空襲で死んだ」という事実を叩き込んできてると感じます。鉄は熱きうちにコレを打て、くらいのスピードです。スピード大事なんですね。緩急が。

 「娘は棒立ちになり、顔に血の気を失い、下唇を醜くゆがめたと思うと、いきなり泣き出した。母は広島の空襲で死んだというのである。死ぬる間際のうわごとの中に、笠井さんの名も出たという‥(略)」

シズエ子がひと通り話し終えると、二人はうなぎ好きだった母を弔うように、うなぎ屋でうなぎ串を三人前と、酒のカップを三人前頼みます。そこで場違いな酔っ払いが陽気に騒ぐのですが、その一文がとにかく長い。

「実につまらない、不思議なくらいに下手くそな、まるっきりセンスの無い冗談を言い、そうしてご本人が最も面白そうに笑い、主人もお附き合いに笑い、「トカナントカイッチャテネ、ソレデスカラネエ、ポオットシチャテネエ、リンゴ可愛イヤ、気持ガワカルトヤッチャテネエ、ワハハハ、アイツ頭ガイイカラネエ、東京駅ハオレノ家ダト言ッチャテネエ、マイッチャテネエ、オレノ妾宅ハ丸ビルダト言ッタラ、コンドハ向ウガマイッチャテネエ、……」という工合いの何一つ面白くも、可笑しくもない冗談がいつまでも、ペラペラと続き、私は日本の酔客のユウモア感覚の欠如に、いまさらながらうんざりして、どんなにその紳士と主人が笑い合っても、こちらは、にこりともせず酒を飲み、屋台の傍をとおる師走ちかい人の流れを、ぼんやり見ているばかりなのである。」

なぜこんなにも長いのか。これが男にとっての「東京」の一面だからかなと思います。冒頭で手紙で「東京」を説明し、話の終わり頃に別の形で「東京」を説明している。そうして「ハロー、メリイ、クリスマアス。」と酔っぱらいが叫ぶところもまた「東京」らしさなのか。

結び
うなぎ屋で居合わせた酔っ払いが、通りすがりの米兵に「ハロー、メリイ、クリスマアス。」と叫びます。舞台は12月初旬。まだクリスマスではない。酔っぱらいは揶揄なんだか一緒に盛り上がろうぜとでも言いたいのだかは分からないが陽気に言い、米兵は首を振って去っていく。その一連のやり取り(=東京の一面を表す)に男はどうしてだか笑ってしまう。そして物語は「東京は相変らず。以前と少しも変らない」と締めくくられます。

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読後感。
失われていくことへの寂寥の中に、妙なおかしみが滲む。酔っぱらいの妙なへこたれなさが、ズレた明るさが、哀しくもあるけれど滑稽な笑いを誘う。

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思ったこと。
東京に戻って「唯一のひと」の娘と再会して母の死を悼む、だけではものがたりとしては不成立で、男があれやこれやと余計なことを滑稽に考えた先に、
その死の無情さをにじませる「広島の空襲」と、酔っぱらいの米兵に対する「ハローメリイクリスマス」があるからこそのものがたりなんだろうなあと。
人の情念が入り組んでいる感じ。陰りと鮮やかさが入り混じっている感じ。なんだか滑稽で、どこかおどけている空気。




このテキストはこれでおしまいです。取り留めがなさすぎるので、そのうち消してしまうかも。けどこういう試みいいですね。

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