ゲームブックをプリントアウトして解く話と、行き先に目印を付けていく話。

夫がテーブルの前で三枚のB5サイズの紙とにらめっこをしていた。

手元の紙を覗くと、米粒みたいに小さな文字でびっしりと埋め尽くされている。裸眼で読めるだろうかとそこはかとない不安が生じるほどの細かさだ。

「それはなんですか」

「ああ、これ? ゲームーブック。ネットで個人の趣味で作ったのを公開してる人がいるのよ」

「ゲームブックかぁ、懐かしい」

小学生の頃、文庫本サイズのアドベンチャーゲームブックでよく遊んだ。文章を読み進めていくと途中で選択肢が出てきて、指定されたページへ進みながら、ダンジョンを攻略したりモンスターと戦って冒険するのだ。サイコロを振って出た目の合計で、自分の基礎体力や攻撃力、技術点などのパラメーターを設定したり、進む先やストーリー展開、相手に与えるダメージが決まる。

言うなれば、冒険に先立ってはサイコロが武器よりも地図よりも重要な装備になる。家の引き出しにいつだってサイコロが常備されているとは限らないのだけれど、そこはゲームブック、機能的なもので、本がサイコロの代わりもしてくれる。

ゲームブックのページの左右には、サイコロの目が印刷されている。本を一旦閉じ、エイヤと開いたページのサイコロの目を足すことで、手の平の上で物理的にサイコロを振らなくても解き進める。紙と鉛筆と本一冊あれば、すぐさまファンタジーの世界へ冒険に出られる間口の広さと、ずっと遊んでいられる奥の深さが、子供心に楽しかった。

私は懐かしさを噛みしめつつ尋ねた。

「こういうのは、どうやって手に入れるの?」

「コンビニのネットプリントで印刷してきた」

「へえ。行き先の番号とページが書いてあって、そこへ進むんですよね」

「よくできてるのよ」

すると私たちのやりとりを近くで見ていた娘が、

「私もやってみたい」

と言い出した。

「どうすればいいの」

「文章の中に書かれている情報と地図を見ながら、自分の今いる場所を予測する」

娘は夫に短く問うと、筆箱から鉛筆を取り出して、すぐさま取り組んだ。面白そうと思ったらまずやってみる。好奇心の固まりなのだ。
それでいて慎重なところもあって、まず最初に目に飛び込んできたものを分析しようとする。

「十字路も丁字路も、どこかわからない」

分からないので、ここを先に確認しておいた方が良さそう、とか、印を付けておこう、と冒険の準備を始める。

以前、娘に「無人島に一つだけ持って行くなら何にする?」と質問したら、「地図」と答えた。

「なんで?」

「自分が今どこにいるのかを知っておきたい」

その時も、なるほどと思った。娘は自分の立ち位置に重点を置いていて、まず状況を把握したいのだ。

文字を追いかけている横顔を少し離れて眺めながら、私は、自分の現在地がわからないまま歩いているイメージを頭に浮かべる。

ダンジョンの入口に立って、地図を見る。

行き先は真っ暗だ。

自分が本当に地図通りに歩けているかも分からない。

実際の出来事のように迷子になってしまう感覚を体験できるのは、映像が見えない文字ならではだと思う。

彼女は頭の中で、地図と現在地を徐々に描き始めている。幼い頃、車の窓から外を眺めては、道路案内の看板に書いてある文字を読み上げていた。そこに文字が書いてある、という漠然とした把握ではなくて、

「日本橋、矢印が二個」

と、情報を素早く読み取っては口にしていた。好奇心旺盛な上に、目がいいのだ。

そうして、好奇心があるが故に、今、目の前にあること以外へ意識が向けられなくなるところがあった。

娘自身も、

「他のことは全部忘れる」

と言っていた。

例えば、彼女が学校から家へ帰ってきてから一時間後に部屋を覗くと、床に物が散らかっている。それを全部読み解くと、何をしていたのかが大体分かる。絵を描いていたスケッチブックが机の上に広がっている。机の足下には、DSの電源を入れたままで床に置きっぱなしになっている。ランドセルが部屋の真ん中に無造作に置かれていて、中から教科書がなだれている。そうして娘は揺り椅子に座って、スイッチで遊んでいる。

部屋の様子から、絵を描いてDSをして勉強をしてからゲームで遊んでいるのだな、という一連の動作を見て取れる状態というのは、ある意味では、とてもわかりやすく目印を付けて、「やった作業と通った道の見える化」とも言える。

棚の本をきれいに並べたり、放課後の学校に残って教室の机を並べ直したりするのは気持ちいいと言う子だった。
その一方で、次の事をする前に片付けないのは、集中力が高い故だなとも思う。興味があるものを見つけた時、「それをやる!」と気持ちが瞬時に切り替わって、一つ前にやっていたことは、もう記憶から消えて見えないものになっている。片付けるという概念がないのではなくて、意識に残っていないのでやらないだけなのだ。

ものがたりに出てくる博士みたいな子だな、などと時々思う。机の上に書物や書類を堆く積んで積んでは、助手のひとに、

「もう!また散らかして!」

なんて日々怒られる。

私はさしずめ、博士がこぼした書類を拾って歩く助手である。今朝は娘が畳み忘れたパジャマのズボンを拾った。床の上でミッキーマウスのズボンみたいな形を保っていた。立った姿勢でストンと脱いで、そのままほったらかしにしたらしい。まるで「この場所で脱ぎました」と一目で分かる目印を付けたみたいだ。

なんでこんな風に形状記憶したままズボンを脱げるんだろうと、内心苦笑しながらも、昔は毎日、服を脱ぎ散らかしていたものだなと、少し懐かしく思うなどする。

200928-211201

お読みくださり、ありがとうございます。 スキ、フォロー、励みになります。頂いたお気持ちを進む力に変えて、創作活動に取り組んで参ります。サポートも大切に遣わさせて頂きます。