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ないものはもう、しょうがないものだ。

曖昧なことを書きます。独り言のようなものです。

思い返せば今から四年も前に結論が出ていたことを、それでも私は割り切れずに、昼となく夜となく考え続けていました。

そうして今から一年半ほど前、やはりもう結論は出てしまっているのだと、改めて思ったものでした。

結局のところ、最初から無いものだったのですが、微かにでも関係性の中に温かみが芽生えればいいと願っていました。もしくは、歪であっても、それがひとつの在り方で、それでなんとか体裁を保っているように見えるのならそれでもいいじゃないかと、納得しようとしていました。

けれど、似たようなことばかりが繰り返されていく中でよくよくわかったのは、言葉を交わしたところで、そこには何もなかったということでした。

スクリーンに映し出された虚構を見ているような距離感で渡された言葉は、触れた先から枯れてゆくようでした。鼓膜を震わせると、胸の奥がただ冷え込んで、寒々しく、血を凍らせるみたいにして温度を奪ってゆくだけでした。

その地点から現時点までを、割と長い時間を費やして振り返ってきました。文字を書くこともありましたが、殆どうまく文章にして結ぶことができませんでした。

そうして今になって漸く思うのです。無いものはもうしょうがないと。

願ったがゆえに傷ついたのだとしても、それは仕方のないことで、ないものねだりをした自分の浅はかさを責め続けるのも、あまり有意義ではないのだろうと思い始めています。

まだ胸の奥には冷たいかけらがチラチラと光っているのを感じます。けれど、少しずつ、朝と夜とを積み重ねて、少しずつ、砂時計の砂が落ちてゆくくらいゆっくりと時間を掛けて、落ち着いてゆくのだと思います。

もう少し見通しのいい言葉で心を綴れるとよいのですが、今は曖昧なまま、ここに残しておきます。
読んでくださってありがとう。

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