キミが家にやってきた日。

娘の成長の記録を書き留めたB6サイズのノートをめくると、「二歳半。太陽戦隊サンバルカンの歌を上手に歌う」と書いてある。



三年ほど前。誕生日の前日の夜に、娘と並んで自転車で、微かな雨が降る中を走っていた。絹糸を細かくしたみたいな雨足が、大通りを通り過ぎる車のヘッドライトに照らされていた。

翌日の私は所用で割と遅くまで外出する予定だった。家に着く頃には夕飯もお風呂もすっかり済んでしまっている。せっかくのお祝いの日なのに一緒に過ごせる時間が少ないので、

「前の日にどこかへ食べに行こうよ」

と、私から提案した。

照明に煌々と照らし出された真新しい店舗の裏手に自転車を止めた。娘は初めて来る店の前で、

「入口がどこか分からない」

と言ってウロウロしている。

普段はしっかりしている方なのに、と内心意外に思いながら、先導するように自動ドアをくぐる。黒いTシャツを着た店員さんが、明るい声で「どうぞ」と、奥のテーブル席へ右手を差し向けた。

私たちは向かい合わせに座った。娘はテーブルの脇に設置されたタブレットに映し出された店の紹介文を読み上げてから、ラーメンの画像を指先で撫でた。画面を左右に三度ほどスライドさせて、煮たまご付きのラーメンにメンマをトッピングして、チャーシュー抜きを手早く選ぶ。

「え、メンマ、食べられるんだ?」

「うん」

前は勧めても結構ですと断っていたのに。成長の過程をまたひとつ、目撃した気分だ。

「チャーシュー、食べないの?」

「うん」

眉間にはきっぱりと『結構です』と書いてある。相変わらず確固たる信念を持った眉だ。思わず笑いを噛みしめる。
一通り注文をし終えると、娘が身を乗り出すようにして話し始めた。

「この前、行ったスーパー、セルフレジだったよ」

「ああ。最近はコンビニにもあるねえ」

「買い物かごに入れた物と鞄を左右にそれぞれ置くところがあってね。機械が重さを計ってくれるの。ひとつ商品を移動させて鞄に入れると、その重さを足して計算して、違う重さだったら、あ、途中で計算しないで抜き取ったなってわかるの。すごいよね。私、鞄の中に水筒を入れたままだったから、邪魔になるかなと思って取り出したら、戻して戻してって言われた。重さが変わっちゃうから」

「はあ。それはすごいねえ」

テクノロジーも勿論だけれど、原理がよくわかった上で説明しているのが偉いものだと思う。

そうしているうちに店員さんが、

「飲み物を先にお持ちしました」

と、瓶に入ったコーラを運んできてくれた。娘は瓶が珍しかったようで、

「おお!」

と嬉しそうに声を上げた。
ほどなくしてラーメンどんぶりが二つ運ばれてきて、目の前に置かれた。娘は割り箸を割って、麺を頬張ると、驚きと感動で目をきらきらと輝かせた。

「ここのラーメン、めっちゃ美味しい。凄い。」

凄い、美味しい、と、ラーメンを絶賛しながら、煮たまごも麺もスープも残さず一人で全部平らげた。

「クラスの皆が美味しいって言うわけがわかった」

「こんな美味いもの生まれて初めて食べた」ってかんじだねえ」

初めての感動に触れた瞬間の笑顔は、見ていて気持ちがほくほくする。

小さい頃は小食で、人参とキュウリとうどんを少々食べるくらいだった。栄養的に大丈夫なのかと困惑していたけれど、小学校でクラスの皆と給食を食べるようになってから、食べられるものがひとつずつ増えていった。一人前のラーメンを平らげて満足そうにしてる姿を目の前にしていると、本当に大きくなったものだなと感心する。私はしみじみと思い返しながら娘に言った。

「まだこの時間は産婦人科の看護士さんに腰をさすって貰ってたんだよね。キミは朝の10時だか11時前に生まれたんだよ」

すると、娘はにこにこと笑いながら、

「じゃあ、学校に行く時間にはまだ生まれてないね。友達に誕生日おめでとうって言われたら、私まだ生まれてないよって言えるね」

と、頓知と屁理屈の中間みたいな台詞を返した。

生まれた日は、どんな一日だったろう。私はすっかり日が落ちて暗くなった窓の外に目をやりながら思い出しつつ、かいつまんで娘に話した。

出産予定日を7日過ぎても生まれる気配がなかった。促進剤を点滴して陣痛を早めた。
子宮が収縮する痛みが陣痛で、赤ちゃんがいる子宮の出入口が適切なサイズまで開くまで、その痛みは目減りすることなく着々と嵩増していく。子宮からでてきた赤ちゃんは、産道で体をくるくると回転させながら、力を振り絞って外の世界へと出てくる。出産とは大体そんな感じだったかと記憶している。

思い返してみると、朝の九時から入院して、午後八時。子宮の出入り口が9センチまで開いたところで、
「一旦、点滴を止めますね」
と声を掛けられた。説明は特になかったので、理由は不明瞭なのだけれど、その時は、痛みを堪えながらも、『よく分からないがそういうものか』と、気にもしなかった。
多分、助産師さんの方では、このまま陣痛が進んで夜中には生まれる予測が立っていたのではないかなとも思う。けれどそのままの状態で14時間近く、進行が止まったままだった。

夜の間中、お腹というか体の内側全体を暴れん坊の鉄球が跳ね回っているみたいな感覚で、それはもう痛いという言葉の範疇を超えて、語彙も吹き飛ぶ有様だった。多分、夜が明けるまで、ゆうに百回は痛いと言って呻いていた。
痛みが鎮まっている数分の切れ間にうとうとしては、激痛に叩き起こされた。疲労で朦朧としながらも延々と繰り返されるので、ストレスなのか、明け方近くに苦い血の固まりを二回ほど吐いた。
出産ってこんな風なのか。と、ボロゾウキンみたいにくたくたになりながら噛みしめていた。

翌朝、様子を見に来た担当医が感心した風に言った。

「我慢強いですねぇ。大体、みなさん、あんまり痛いから帝王切開に切り替えてとか、この痛みをどうにかしてくださいって、言われるんですよ」

私は力なく、

「はあ……」

と返すのが精一杯だった。
出産の処置に関しては医師にお任せするしかないので、最終的に切りましょうとなったら、それもそれでお任せだなと、まな板の上の魚のような気持ちでいた。結局、そのまま陣痛が進んで切らずに生んだ。


「生まれた時は大声で泣くものかなと思ってたんだけど、ホギャッ、って小さく二回泣いただけでね。凄く静かだった」

私が一通り話し終えると娘は言った。

「寝てたのかな」

「疲れたんだろうね」

生む方も大変だけれど、生まれてくる方も、長い時間をかけて出てこようと試みていた。それはそれは大変だったに違いない。

新生児の頃は昼夜を問わず泣いて、寝転がる以外はすべてお世話が必要だった。それが、やがて両手をついて、立ち上がって、歩き出して、知らない音を聞いて、理解して、言葉を話すようにまでなった。生まれただけでも凄まじいのに、日ごとに経験を蓄積し、獲得して、短期間でアウトプットするのがさらに凄まじい。

何もないところから、皆、生まれ、自分も含めて、様々なものを得てきたのだと、改めて知る。ならば、いつでも何か新しいことをゼロから始めてもいいんじゃないかという想いが芽吹く。

日々成長していく。また一つ歳を取り、背も伸びて、面影を残しつつ大人びていく。

「大きくなったね」

「大きくなったでしょ」

小柄な娘が嬉しそうに笑う。

「きみが高校生になっても、大人になっても、事ある毎に『大きくなったね』って言ってしまうと思うわ」

「いいよ」

と、それとなく返す。その相槌が、なんだか嬉しい。

ラーメン屋さんでチャーシューとネギをもりもりにトッピングして注文する日も、そう遠くはなさそうだ。あと数度、季節が巡り、誕生日を祝う間に、私の背丈もきっと追い抜かしていることだろう。キミを見上げる日を楽しみにしている。


生まれてくれて、ありがとう。
ようこそここへ。よく来たね。
これからもよろしく。

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