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小山田圭吾『いじめ紀行』第三の男の記事

先日、小山田圭吾について書いた下の記事で
ネットで見つけたある記事について触れた

『クイック・ジャパン』で掲載された
いじめの内容を小山田が話した現場にいて
笑いながら話を聞いていた第三の人物
北尾修一の記事が23日無事にアップされた

ともすれば、アップされないのではと
危惧していたが予想を反して
02、03と2つの記事があげられていた

02の冒頭の部分には
公に発言する人間として目を疑う記述が

ちゃんと調査せずにオファーした大会組織委員会もうかつすぎますが、 
それを引き受けた小山田圭吾さんは、
「うかつ」という言葉では括りきれないかと
(小山田さん……
 一体どうしてしまったんですか……と)。

そう思っている筆者が書いている原稿だという点を踏まえた上で、ここから先が前回の続きです。

====
実は私は、問題の記事「いじめ紀行 小山田圭吾の回」(雑誌『Quick Japan』vol.3)を、刊行直後の26年前に読んだきり、
これまで一度も読み返したことがありませんでした。

で、さらに脱力する話で恐縮ですが、私の手元には現在、『Quick Japan』vol.3がありません。

なので、この原稿を書くにあたって、みなさんと同じく、記事をこちら(「孤立無援のブログ」)で再読しました。

……(中略)……

※「孤立無縁のブログ」は、
当該記事に編集を施した上で紹介しているので、実際の記事を読むと少し印象が違うのかもしれませんが、まあでも、きっと内容の大筋は変わらないと思うので、ここでは細部に拘泥せずに話を進めます。

ちゃんと調査をせずに組織委員会がオファーした
事を批判してるのに
自分は印象が違うと認識しながら拘泥せず??
その感覚が一応メディアに長年いた人間として
信じがたい

さらに!

何にせよ記事の現物を読む手段がないので、
腑に落ちない気分だけが残って、
それを解消する手段がない。

取材をする人間がそんなことあるわけないのだ
過去の雑誌を入手する、
閲覧する手段はいくらでもある
実際の雑誌を手に入れられなくても全文は読める

ただのお母さん(専業主婦?)をしている
私でも,読んでみたいと思って数分で
ネット上にあげられていた記事を目にできている
怠慢以外の何者でもない

この北尾の記事は期限限定だが02には
記事の全文が掲載されている

因に、私が見つけたのは以下のツイート

そして、北尾の記事全体には言い訳が目につく
保身なのか、それだけ今の世情が
小山田を擁護することに危険があるのか。。。
ただ北尾は次ように小山田について書いている

●ただ、自分は悲しいほど記憶力が悪いので
取材当日のことを覚えていないのですが、
少なくとも取材現場で自分が
「小山田さんって酷い人だなあ」と
思った記憶はないんですね。

そもそも何故、北尾が同席していたか?
『いじめ紀行を再読して考えたこと 
 01-イントロダクション』
では、主にその事について書いていた

この「いじめ紀行」小山田圭吾さんの取材現場に、太田出版入社2年弱だった私は同席していました。が、それはただのやじ馬(見学者)としての同席でした。というのは、この頃の私は、太田出版のまったく使い物にならないダメ新入社員だったからなのですが。

つまり、この記事の「当事者」として訳知り顔で発言すること自体、当時の自分をよく知る現在の自分からすると、出過ぎたマネかな、身の程知らずかなという中途半端なポジションなわけです。

確かに、『いじめ紀行』の発行に関しては
直接的な「当事者」ではないが
この最初のコンタクトに同席していた
その現場を知る「当事者」
ではあるし

さらに、記事が進むと
北尾はただの野次馬で同席しただけで
ないことが明らかになってきます

で、そんな当時の私とひきかえに、この頃のA氏は『磯野家の謎』という国民的ベストセラーを
作り上げ、自らの貯金をはたいて雑誌『Quick Japan』を立ち上げたばかりという、
出版業界で知らない人はいない有名編集者で、
自分にとっては雲の上の存在
でした。

そんなA氏に、執筆者M氏を引き合わせたのも
実は自分なのですが、
次にその話をします。
M氏は私よりも年下なのですが、学生時代から「日本語」をテーマにした『月刊ブラシ』というミニコミを刊行していて、それが毎号すごく面白かったのです。いつ太田出版をクビになってもおかしくない自分とは違って、M氏もまた若きミニコミ発行者として、私には輝いて見えました。

そこで、
何か「企画の種」を乞うような気持ちで、
自分から連絡してM氏に会いに行ったわけです。

ちょっと回りくどいので整理します

村上清に『クイック・ジャパン』の初代編集長
赤田祐一を引き合わせたのが北尾修一

北尾は『企画の種』を乞うような気持ちで 
自分から連絡して村上に会ったというわけです

つまり、
北尾が村上を赤田に引き合わせなかったら
この企画は世に出なかった

例え、村上が自分のミニコミ誌で企画しても
当時それなりに知名度のあった小山田に
取材交渉する事すら叶わなかったでしょう

太田プロダクション系列の太田出版から正式に
創刊された
サブカル系雑誌『クイック・ジャパン』
という肩書き
は元祖サブカル系とされる小山田
にとって少なからず魅力的な読者層だったのでは
ないだろうかと思う

こうなると北尾は、果して「当事者」でないと
言い切れるのだろうか??

当時の私はぺーぺーのダメ編集者で、
時間を持て余していました。
そんな私にとって、
自分が引き合わせたA氏とM氏が組んで、
しかも当時すでにスターだった小山田圭吾さんを
取材をするというんで、
「これは勉強になるに違いない」と思って、
やじ馬(見学者)として取材現場に
同席させてもらっていたわけです。

と北尾も書いているが
『いじめ紀行』の中の村上がかいた
ト書きには次のようにある

以上が2人のいじめられっこの話だ。
この部屋にいる人は、
僕もカメラマンの森さんも
赤田さんも北尾さんもみんな笑っている。
残酷だけど、やっぱり笑っちゃう。

まだまだ興味は尽きない。

その部屋にいる誰もが笑っている事で
自分の感覚が正当なものと思っている
自信を得ている印象がある

だとすれば、やはり後押しした
「当事者」の様に私は思う

いじめに同調して手をだす人間。
大抵こういう輩は
『自分がやろうと言い出してない
 最初に言ったのは××だ
 自分は仕方なく』
などと舐めたことをいいだす

いじめは個人プレーでなく
団体対個人であることが圧倒的に多い
そして一人にやられるより
大勢に囲まれる方が
威力的にも精神的にもダメージが大きい

同調する人間がいれば
行為もエスカレートする
『自分だけじゃない』って心強いのだ

北尾は気づいてないのか
あえてそうしているのかわからないが

とにもかくにも、
北尾は自分はただの野次馬で
「当事者」ではないと言う立場で
続きの記事を書いている

ただし、この一連の記事は
7/31までの限定公開らしい
気になる人は早めに全文をチェックした方がいい

驚いた事に北尾は次のような一文を示している

自分の記憶力のなさ、勘の悪さを告白することになるのでお恥ずかしいかぎりですが、この瞬間、
突然26年前の記憶が蘇ってきました。
そうだ、この「いじめ紀行 小山田圭吾の回」って、もともとは《対談企画》の記事だったんです。それが結果的に、《対談企画の失敗報告》記事になったんです。そのことをすっかり忘れていました(しかも、記事本文に何度も書かれているのに、なぜか頭の中を素通りしていた……)。

さらに記事の冒頭の方では
以下のような企画のコンセプトを語っている

前回書いたとおり、自分の中では、あの記事は(自身も壮絶ないじめサバイバーである)
M氏が、雑誌『ロッキング・オン・ジャパン』1994年1月号で小山田圭吾さんがいじめ加害者だったと発言しているのを発見し、自分の中のサバイバー(生還者)としての記憶が駆動し、
以下のような切実な問題意識を持って立ち上げた企画だったと記憶されていたからです。

●いじめについて新しい角度から考える、
自分にしか書けない記事が作れないか。

●いじめ=絶対悪とみんな口では言うけれど、
それなのに、なぜ世の中からいじめはなくならないのか?

●そもそも自分は本当に
 《いじめられて》いたのか?

北尾が書いた01の記事を読んでみてもらえばわかるけれど
雑誌『ロッキング・オン・ジャパン』のロの字も書かれてない
もちろん北尾がいうところの切実な問題意識も!

自分の記憶力の悪さを証明したかったのかもだけど簡単に読める自分の前回の原稿も確認しないで
文章を公に向けて書いている意識の低さに呆れる
(北尾は今も編集者)

わたしの個人的に漫画考察したいがための
noteでさえリサーチ、事実確認や読み直し、
何度かの推敲なんかは必ずする

しかも、箇条書きにされた3つのどれも
公に問うのに切実さが感じられないし
3番目に至っては何??と思う
そのコンセプトの結果が〝いじめ対談〟なんて
悪趣味でいじめの二次被害としか思えない
クソ企画
なのに。。。

実際に『いじめ紀行』の中では

小山田さんは
『今考えるとほんとヒドかった。
 この場を借りて謝ります(笑)』
とも言っている。
だったら、ホントに再会したらどうなるだろう。
いじめっ子は本当に謝るのか?
いじめられっ子はやっぱり
呪いの言葉を投げ続けるのか?
ドキドキしてきた。
対談してもらおう!

悪趣味なまでの興味本位さで書かれている
切実な問題意識の微塵も感じない

加えて、この〝いじめ対談〟を持ちかけられた
編集長の赤田の反応は

面白いね、やってよ。
和光中学の名簿探してみるから

とても軽いノリでこちらも面白がっている
演出だとしても許されない

これが90年代の悪趣味・鬼畜ブームの
ど真ん中の感覚なのだろうか??

村上がいじめサバイバーと言っているが
その上でこの企画を面白がって発案するなら
彼こそサイコパスだと私は思うのだ

『いじめ紀行』の中で村上は
少しだけ自分のいじめについて語っている

僕自身は学生時代は傍観者で、
人がいじめられるのを笑ってみていた。
短期間だがいじめられたことはある
から、
いじめられっ子に感情移入する事は出来る。
でも、いじめスプラッターには、
イージーなヒューマニズムをぶっ飛ばす
ポジティヴさを感じる。
小学校の時にコンパスの尖った方で
背中を刺されたのも、
今となってはいいエンターテイメントだ。
「ディティール賞」って感じだ。
どうせいじめはなくならないんだし。

意味不明だ。
とても異常者としか思えない文章。
ただ、自分が傍観者であったことが
メインだと押し出しているように思う。
強がりである可能性も否めないが

北尾はこの文について

M氏がいじめサバイバーだと知っている私が
この原稿を読むと、
最後の段落を書いているときのM氏の気持ちを
想像するだけで胸が詰まる
のですが、

と書いているが
私にはもっと意味不明だ。。。

ただ、
『いじめ紀行を再読して考えたこと 
01-イントロダクションで北尾は村上を
次のように称していた

M氏は壮絶ないじめサバイバー(生還者)で、
鬱屈した表現欲求の塊みたいなものを
内に抱えている人だと、
最初に会った時点で分かったんですね。

もし壮絶ないじめのサバイバーであれば
同じサバイバーの話を聞きたいとして
いじめの加害者と再会させる〝イジメ対談〟
というものを思いつくだろうか?

自分はいじめた人間に会いたいのか?

村上の異常さだけ際立つ

この北尾の記事は途中から一変する
『いじめ紀行』のコピーを手に入れたのだそう 

そこからは、自分が読んだ『孤立無援ブログ』が
いかに記事を巧みに編集して
印象操作しているかの話になる

私は編集のプロとして、編集を生業としてきた
それに、このnoteを書く時点で元の記事を
何度と読んだ上て書いているので
了承済みなことだし、寧ろ、書いている北尾の
感覚に疑問が残る

また、03については、
村上の擁護としか取れない内容だ
この非人道的な企画が美化されており
むしろ私には気分が悪かった

この北尾の連載でわかったのは
文字媒体の人間のいい加減さ
どの文字媒体もそうであるとは信じたくないが

フィクションならフィクションと
明記すべきと思う

わたしが知りたかった
本当に小山田は〝自慢話〟〝武勇伝〟として
自らのいじめを語ったのかはわからなかった

私は小山田圭吾も名前くらいしか知らないので
当時の小山田圭吾も当然知らない

何故、〝自慢話〟〝武勇伝〟と言われるのか?

当時、ラジオやテレビで
そのように自らのいじめを語っていたのか?

もし、知っている方がいたら
コメント欄で教えてくれるとありがたい

大事なのでもう一度
雑誌等の活字ではなく
ラジオやテレビで自らのいじめを語っていたか

を教えて下さい