寺地はるな「川のほとりに立つ者は」を読みました

〝川のほとりに立つ者は、水底に沈む石の数を知り得ない〟
どういう意味なのでしょう?
川に潜れってことでしょうか?
数を知ったところで意味あるのですか?

本を読めばわかります。
そもそも、石の数は知る必要がない。
多様性の中の多様性ってとこです。
石の数→人の性格(性質)
石の種類→人の気持ち

人をカテゴライズしてしまって、自分の価値観の中で〝この人はこういう人〟って簡単にわけれるものでもないよ。って事だと思いました。
この本にはADHDの人や識字障害の人が登場しますが、その人たちはカミングアウトせず、普通に働いていく事、改善することを選んでいます。
何となく、カミングアウトして楽になりたいと思う人ばかりかなと思っていました。
正直いえば〝それを言えば許される〟ってずるいとも。
みんないろんな事を抱えながら頑張っているのに、それを言えば周りは気を使って〝仕方ないね〟〝その子の分がんばってね〟とか言われる。がんばれる人だって疲れてるのに、そんな対応まで求められても困ると感じていました。

多様性より大事なのは〝他者理解〟ですね。
そのためには、時間が必要です。
水底に沈んだ石の形を想像する
【尖ってるのに膨らんです】
【ボコボコしてるけど触ると滑らか】
【薄いけど硬い】

日本は鎖国してるわけでもないのに、単一民族国家っぽくて多様性に疎いのかもしれません。
だから多様性に理解が追いつかない。

教員の給料を上げて人数を増やそうとしてるようですが、本当に足りないのはお金でしょうか?
やりがいでしょうか?
子育てしてるといろんな先生を見ます。
正直腹が立つことも多いです。
中学校になると先生側の言葉づかいがひどくてびっくりしました。
そりゃ中1ギャップは解消されないだろうと思います。

でも、教師ってめんどくさく大変な仕事だってわかって始めたと思うんです。
子供に伝えたい、【教え育む】という事を価値があると思って始めた人だと信じています。
ただ雑務に追われて、どんどん仕事をこなす事しかできなくなって、最終的に子どもと向き合うことの時間がとれないんだと思います。
1人の担任(一応副担任もいますが)では無理です。
人と真剣に向き合う事は非常に疲れるので、毎日12時間勤務で精神を維持することができるなんて、正直超人でもなければ無理です。
先生によっては朝の5時から来てるとか聞きます。
給料を上げてもいいですが、人間って体力と精神力の限界ってもんがあるでしょう。

ついつい違う話になってしまいましたが、給料と時間が合わさって、【QOL】は上がると思います。
自分を労わるように、他人も労われる人間になりたいと感じます。

寺地はるなさんの本を読むと、【言語化】してもらうと心のモヤモヤがはっきりとした形になって、解決策が見えてくるのが嬉しいです☺️

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