米澤穂信『クドリャフカの順番』を読みました。

順調に古典部シリーズを読み進めています。
近くに図書館があるのって、本当に便利でありがたいです。ありがとう。

初めにクドリャフカって何??
って感じでしたね。宇宙にいった犬ということですが、悲しい結末を迎えたようです。
狭い宇宙船で、お世話する人間もなくたった1匹で宇宙に送り出されて、幸せな結末は想定できないと思いますが、人類の知識欲やエゴの犠牲になったんだろうと悲しくなります。
人間が宇宙に行くためのデータを取るために、『期待』をかけて送り出す。そこにクドリャフカの意思は関係ない。そこがテーマなのかなと思います。

相変わらず、高校生とは思えない奉太郎の推理です。
そして、謎の奉太郎のお姉さん。
絶対美人なんだろうなと勝手に思ってしまいます。

桁上がりの4名家に引っ張られたせいで、『十文字』を『ジュウモンジ』っていう名字だと思ってしまうなど、作者の意図にはまってしまった悔しさも感じました。

里志はいつも飄々としてるのに、今回の事件を奉太郎に任せず自分で解決しようとするのは意外な展開でした。
そして、才能のなさに葛藤するのも共感しました。

「何者かにならないといけない」という呪いの中で生きてる気分になるときがあります。
そして、それを子どもに《期待》という言葉で押し付けてる。《期待》は相手の可能性を信じてる良い言葉に感じますが、自分ができないことを他人に押し付けるという、自己嫌悪的な言葉であるという一面に気づいてしまいました。
そう、親の私がこれ以上何者にもなれないという絶望感から言ってるとしたら、相手にとって迷惑でしかないですね。
今後気をつけようと思います。

ミステリー小説なのに、自分の中の嫌な部分を発見する不思議な体験になりました。

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