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そらのまち保育園を作る時に考えていたこと(前編)

今日は、そらのまちほいくえんを運営する「株式会社そらのまち保育園」の創立記念日です。

2017年の5月16日というと、手探りで作り上げたひより保育園が開園し、やっっっと1ヶ月が過ぎた頃。
本当に毎日目の回るような忙しさで、3年前の今日をどんなふうに過ごしたか、まったく記憶にありません。

なぜ2園目を作ろうと思ったのか。

その年の4月に開園したひより保育園は、新町組さんという霧島市の建設会社さんのお金で(私が子会社の取締役になり保育園運営の責任を持つという形で)作らせていただきました。
「よりよい未来を作るためには、新しい形の教育が必要だ。園舎から遊具に至るまで全て必要なお金は用意するから あなたは よい教育を実現することだけを考えなさい。」そんな奇跡の出会いについてと、そもそもなぜ保育園を作ろうと思ったのかはまた別の機会に。

保育園設立経験はおろか、保育園での勤務経験も保育士資格もない私たちが設立準備段階で何度も確認しあったのは「(待機児童解消のために)保育園のを増やそうとしてるんじゃないよね」ということ。

メンバーそれぞれが、もやもやと感じていた今の日本社会に対する不安。
自分たちを取り巻く環境を今よりもっと心地よいものに変えていくには、教育のあり方や仕組みを変えていかなければならない。しかも幼児期から。そんな思いがありました。

「急がば回れ」です。

働く人もワクワクし続けられて、園児も個性豊かに伸び伸びと育つ園。保育業界のプロじゃない私たちだからできることもきっとあるし、プロじゃない私たちにそれが実現できたら、他の保育園への大きなエールになるかもしれない。そうなりたい。

たくさんの見学者、つのるモヤモヤ。

おかげさまでひより保育園は、園舎がまだ完成しないうちから、本当にたくさんの方が見学や取材にいらっしゃいました。しかも日本中から。

しかし全員ではないにせよ、特に教育分野の方やメディアの方からの感想を聞くたびにモヤモヤとした感情が募るようになりました。

「ひより保育園、本当に素晴らしいですね。自然に恵まれたこの環境があるからこんな保育ができるんですね。うらやましいです。」
「都会じゃ絶対無理ですね〜」
「うちは園庭が狭いから」 etc.

メディア取材は最初から記者の書きたい内容は決まっていて、どんなにしっかりと説明しても出来上がる記事は「子育てをしながら働く女性(=私)が、待機児童解消のために保育所を開設」

まだまだ当時の私たちの伝え方自体も拙かったのだと思います。

真逆の環境でも同じ保育や働き方ができると証明しよう。

当初の計画では、ひより保育園開園の次は小学校設立に向けて動き始める予定でした。
でも、この恵まれた環境の中で一園だけ運営し続けている限り、「環境がいいからたまたま良い園運営ができている」という評価から抜けられないんじゃないか、、、。

そこから物件探しを始めました。
鹿児島市内の空きビル。
うっちーにコーディネートしてもらって4−5件を見て回ったうちの最初の物件が、のちに そらのまちほいくえん になる、天文館の金海堂ビルです。

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ひより保育園を見学に来た方々が「うらやましい」と褒めてくれた広い園庭も、菜園も、裏山も。歩いて行ける田んぼもありません。
鹿児島の県産材をふんだんに使ったあたたかい雰囲気のひより保育園の園舎(平屋)とは真逆。元々は書店だったビルなので、階段も保育園にするには段差が大きい。
そればかりか、金海堂ビルは商店街の中にあるので、車での送迎もできませんし、駐車場すらありません。車社会の鹿児島、しかも荷物の多い子育て世代の集まる場を作るという点では致命的とも言える欠点です。
でもここには、子どもが育つ場をデザインする上で私たちがもっとも大切にしたいと思うものがありました。

地方都市の共通課題に向き合いたかった。

今回は出資者もいません。そらのまちほいくえんを作るために、私たちは億を超える借金をしました。一つ判断を間違えば、既存の事業もろとも吹っ飛ぶ金額です。

じゅんぺい、うっちー、クララ、私の4人で何度も何度も収支計画を作り直し、銀行や大家さんにYesをもらうため、ここに保育園ができることで町がどう変わるかを理解してもらうために(そして自分たちの不安を少しでも紛らわすために)たくさんの資料を作りました。

初めてのことが多過ぎて、見えていないこともたくさん。「人生最大のトラブル(自分比w)」が数日おきにどんどんと立ち現れてきました。
寝ずに作業した日もしょっちゅうだったし、悔しくて泣いた日も1回や2回じゃありません。きっとたくさんの人に迷惑もかけたし、本当に多くの人に助けられました。

それでも諦めずに開園までこぎつけられたのは、これだけたくさんの仲間がいたこと。そして ひより保育園の現場の皆さんが、毎日の保育でクタクタだっただろうに「姉妹園を作る!」という思いで遅くまで、そして休みの日まで力を貸してくださったからだと思います。
(その頑張りを知りながら、言い出しっぺの自分が「もうやめたい」なんて言えなかったという部分もあったと思います。たぶん、みんなどこかで諦める大義名分を欲っしていたかもしれません。そのくらい「いや、無理でしょ」と言いたくなる要素が山のようにありました。 それもまた別の機会に記事にします)

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↑そらのまちほいくえんを多くの人に知ってもらうために、ひより保育園のみなさんがマルヤガーデンズで行われたマルシェに出店し入園・採用のための説明会を開催してくれたときの写真。レモネードもイグリのジュースも本当においしかった。

私たちは、「生きる力の強い人が育つ場」をデザインしたいと思っています。自分の頭で考え、行動し、仲間を増やし、周りを頼りながら納得感を持って毎日を送れる人
自分たちで資料を作り、自分たちの言葉でたくさんの人に保育への思いを伝える先生方は本当にキラキラしていて、その姿こそが「子どもたちの親友でありたい」という思いを体現しているなと思いました。

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当時も感動したけど、今見返すとさらに目頭が熱くなる写真。ひより保育園の園児たち、そしてもちろん先生たちが、そらのまちの開園を街に知らせるために大きなポスターを作ってくれているところ。「黒い模造紙」を選んでくれているのも、きっと先生たちがひより保育園とは違う”そらのまちらしさ”を表現したいと、考えてくれてのことだと思います。このポスターは、工事が終わるまでの間、ずっと近海堂ビル(現在のそらのまちほいくえん)の壁に貼られていました。


全ての課題はつながっている。

さて当時(というか今も)保育園運営者としてはまだまだまだまだ”駆け出し”だった私たちが、そらのまちほいくえんを作ることを諦めなかったのは、私たちの目指していたゴールが「よい保育園を作ること」ではなかったからです。
30代の自分たちがここで踏ん張らなかったら街はどうなる?子どもたちを含む自分たちの暮らしはどうなる?という思いも強くありました。

園児の声に真摯に耳を傾けるためには、職員自身に心の余裕と時間的な余裕が必要です。
子どもが幸せであるためには、親も幸せでなければなりません。
親が幸せであるためには安定した仕事も必要だし、自分の時間も必要。
そうすると、「地域全体が幸せである」状態を作る以外に方法はないのです。
そのためには、まず一人ひとりが自分のことを他人任せにしない生き方をする必要がある。そのための教育。
権利ばかりを主張していても豊かな人生は送れません。

生まれ育った鹿児島のシンボルとも言える天文館に根を下ろし、ここがずっと人の流れの途絶えない街であり続けるよう、自分ごととして向き合ってみたかった。今その問題に向き合わなくては手遅れになるかもしれない、このチャンスはもう来ないかもしれない。

そんな危機感めいたものが私たちの中にありました。


子どもが育つ場としての商店街

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見学に来る方々の多くは丸一日かけてひより保育園、そらのまちほいくえんの両園をご覧になります。

そして、多くの方が「実は 見学に来る前は、商店街の中で保育園なんてかわいそうと思っていました」と話してくれます。

そんな方々も、見学が終わる頃には「商店街で子どもが育つことが、こんなに豊かなことだとは思わなかった」と熱く語ってくれるようになります。

子どもたち(大人も)の生きる力を育んでいくためにはいくつかの要素が必要ですが、その中で私たちは

1)異質な人の集まりの中に身を置くこと
2)部分ではなく全体に関わろうとすること
3)教える人 ー 教わる人 などの「役割」を固定させないこと
4)何度も軌道修正しながらゴールにたどり着く姿勢が許されていること

特にこんなことが必須ではないかと考えています。

商店街の真ん中で、たくさんの大人と関わりを持ち、自分ごととして街に関わることのできる環境は、実は子どもにとって貴重な場所なのです。


「子ども」と「大人」のさかい目を取り払う

高専や大学で教鞭をとりながら(実は教員歴20年です!)、同時に 会社経営(13年。たぶん)もしてきた中で感じていたこと。

学校の中では、大人が決めた範囲を、大人が決めたスピードで、大人が決めた「正解」のとおりに子どもたちが進む。

ルールを守ること、習ったとおりにできるようになること。それらがよい評価をもらうための近道(の一つ)なのですが、学校を卒業し、社会に出たとたん突然ガラリと前提条件が変わり、「もっと自分の頭で考えろ」と言われだす。自分の頭で考えるチャンスも余裕も与えてこなかったのは大人たちなのに、なんだかそれはとても理不尽な要求である気がしていました。

学校を卒業するまでは「子ども」。卒業して社会に出た途端「大人」。そのギャップの大きさと、大人の言うことを聞いていればなんとなくやりすごせる期間の長さが社会に大きな歪みを生んでいるのではないか。

子どもだって、街を構成する立派な当事者です。子どもたちは大人が思うよりもずっと解像度高く物事を見ています。


ある時、園見学に来てくださった方が言ってくれた一言。

「子どもたちが街を育ててるんですね」

街が子どもたちを育てると同時に、子どもたちが街を育てている。まさに本来あるべき姿ではないかと思います。

(後編に続く)

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