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長い夜

ママが私を罵倒し始めたとき、あぁ、そのときが来たな、と思った。私が店を辞める日、窮屈な世界から出る日、店に波風をたてる日。無傷で済んだのは、ひとりではなかったという事が大きい。

午前2時、ママはひとりで酔っぱらって帰ってきて、店のソファで爆睡してしまった。伸び悩む集客と売上にママは苛立ち、働く女の子たちは居心地の悪さを感じながら働き、店の不協和音はお客さんへダイレクトに伝わっている時期だった。その日のママは、またからだを張ってお客を獲りに行き、不首尾に終わった上でのふて寝だったのかもしれない。

午前3時、上がりのお姐さんを見送って、私ひとりと常連のお客さんが残された。その常連さんはママの古い知り合いで、普段は1ヶ月に1回来るか来ないかなのに、ここ最近のおかしさを察知し、心配して連日寄ってくれていた。
午前4時をまわり、店を閉めるか否かの判断を仰ごうとママを起こしたら、ママはぶち切れ、今までの愚痴や文句が爆発し、まったく手が付けられなくなった。

ママが私を罵倒し始めたとき、私のまわりに分厚いバリアが出来た。音声の賑やかさは伝わってくるけれど、情報としてひとつも私に届かない。私をえぐろうと言葉の刃を次々投げつけてくる攻撃に重さは感じるものの、心はひとつも痛むことはなかった。

言いたいことはないか、と言われたので、女の子たちがびびって仕事にならないので雰囲気に気を配ってほしいこと、不穏な空気がお客さん離れにつながっていること、ママを好きでずっとこの店で働いてきたけれど、もうついていきたくないことを告げた。私の声は低く、静かに響いた。普段は涙もろく、泣いてしまう場面だったかもしれないが、涙はひとつも出てこなかった。ママが荒れれば荒れるほど、私は冷静に傾いた。
言葉はいま届かないだろう、ただ伝えたいことはきちんと伝えた。そのことが私を心強くさせていた。私はほんとうにママのことが好きだった。

ママは自分の怒鳴る言葉で興奮し、傷つき、追い詰められていた。常連さんがたしなめようとするもおさまる気配がなく、ママと常連さんまで言い争いになってしまった。荒れ狂うママのそばに刃物がないことを確認し、身支度を済ませ、常連さんとふたりで、振り払うようにエレベーターに乗った。閉まりかけるエレベーターの扉を片手でこじ開けたママの表情は白く、獰猛で鋭い目をしていた。常連さんが守ってくれなければ、ひとりでママと対峙していたなら、確実に殴られるか刺されるかしていただろう。

エレベーターを降りると、空は白く明るく、時計は午前6時を過ぎていた。
久しぶりに空気を吸った。


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