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湯屋の2階で

昼日中の時間を存分に使えるご身分を利用し、朝っぱらからスーパー銭湯に行った。空いているかと思いきや、地元の主婦勢やおねえさま方でたいそう賑わっていて、あてが外れたと思いつつもジェット風呂を占拠した。

近所のスーパー銭湯のいいところは、浴場にテレビがないことだ。ひとりなので、誰と話すこともなく、ぼんやりと過ごす。自分のことなどどう思われようといいのだが、どう見えるだろうかは少し気になる。主婦には見えず、子供がいるようにも見えるような見えないような。真面目そうではあるが、勤め人にも見えない。学生というには若くない。かといって老けているわけでもない。夜のおつとめか、愛人か。にしては地味すぎる。得体が知れない。考えるのを途中でやめた。

それにしても賑やかだ。湯舟で、脱衣所で、露天風呂で、結構な大声で世間話が飛び交っている。どうやらおねえさま方は、連れだって来ているわけではないらしい。通ううちに顔なじみになったか、知り合いではあるがたまたま会ったか、いずれかのようだ。

江戸時代の銭湯は、2階が街全体のリビングのような、ご近所さんが集まるサロン的役割を果たしていたらしい。囲碁を打ったり、噂話に花を咲かせたりする、交流の場。待ち合わせにも便利だが、会おうと約束しなくとも、行けば知っている誰かに会える。しばらく顔を見せないひとがいれば気にかける。時間のしばりのない自由さのなかで、来たければ寄り、気が済んだら帰る、風通しの良い場所だったんだろう。

現代のスーパー銭湯で、なんとなくそんなことを考えた。

ロッカーの前で洋服を着ている最中も、誰かがだれかを呼び止めて立ち話をしていた。ふたりとも着替えかけで、らくだ色した肌着姿のままで。風呂入るなり、着替えるなり、どっちかすればいいのに、と思うのは野暮だ。「じゃあね、またここでね」とばいばいしたおばあちゃんたちは、とても楽しそうだった。


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