見出し画像

6月の備忘録

note勢の進撃が凄まじく、書くからにはなにか有益なことを書かなくてはいけないように思ってしまっていたけど、自分のnoteは備忘録。そもそも無益なものだった。

6月後半から現在、ここ数年でいちばん生命力が薄まっている時期だと思う。心があまり動かないのだ。何をしたいのかがわからず、何もしたいことがなく、しなくてはいけないことには目が行くものの手を付けるまでに時間がかかる。好きな読書にも熱心になれず、晴れていて気持ちいいとか、花がきれいだとか、風景に惹かれることはあるけれど、上っ面をすべり落ちていくだけで奥まで届いてこない。あまりに感情が動かないので不安になり、普段ならしないようなこと、絵を描いたり、色をぬったりしてみる。飽きてやめる。泣ける映画を片っ端から観て、とりあえず涙が出ることを確認して安堵する。

苦手なものが目立つ。騒音、嬌声、駅で流れる大きい上に多すぎるアナウンス。音楽では防ぎきれないけどしないよりマシだと思い、ヘッドフォンで耳をふさぐ。人混み、生乾きの臭い、歩きスマホをするひとの歩みの遅さ、無表情で不機嫌な顔たち。電車を乗り継いで出かける行為が耐え難く、こんな中を毎日通勤出来ていたのかと驚く。

立っているより横たわっていたい、起きているより眠っていたい、極めて低体温の日々。そして自分でも引くくらいいくらでも眠れる。
おもてに出て空を見上げる度に、ものすごく視野が狭まっていたことに気づく。
唯一の気分転換が洗濯と掃除なので、部屋はきれいに保たれているものの、取り込んだ洗濯物を片づける元気が出ない(これはいつものことかもしれない)。

合間には一応働いており、サブワークの位置付けだったはずの販売職に心身財布すべて救われているので、なんとか人間らしい恰好はついている。働いているあいだは、求められるイメージを演じているようなものなので、架空の自分に委ねていられるぶん安心だし楽だ。

感受性が豊かすぎるほど豊かであることが自分のベースになっていたのだなぁとしみじみ思う。そのベースが揺らぐくらいに心が動かないから焦っている。何もしたくなければ、何もしなければいいとは思うのに、停滞していて、置いて行かれる感覚がとても怖いから焦っている。だから誰かと比べては我が身を不甲斐なく思ってしまい、肥大した劣等感で潰されかけている。

反面、心が動かないのはぜんぜん楽しくないけど、ここでしか見えない気持ちもあるだろう、どうせならしっかり観察してやろうと思っている。私のことだからまたどうにか復活するだろうし、ふりかえったらなんであんなに鬱々としていたのか不思議に思う時期がそのうち来るだろう。自分の底力だけは信頼している。

今日は風が強かった。開け放された居酒屋で背中に受ける風が心地よかったので、2軒目は店でなく公園に。静まり返った夜の公園は、木々が揺れてさわさわと響く音がよく聞こえた。吹き抜ける風が、生い茂る草にくりかえし道をつけて消えていく。いちばん好きな夏の夜の匂い。満月に近い月がかすんでいて優しく、きれいだった。感謝。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?