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舞台演劇の経験が声の仕事にどう影響を与えているのか?

二回目の投稿になります!ドキドキ始めた自己紹介を読んでくださり、またいいねやコメントなど本当にありがとうございました!noteの暖かく柔らかな雰囲気に早くも魅力を感じています♡
私は小3からずっと一途に声優の勉強がしたかったのですが、宮城出身で地方だったということもあり、声優への足掛かりとして舞台演劇を始め、かれこれ足掛け10年ほど続けておりました。(出演舞台は小さいのも合わせたら20本くらいになるのかなーと、数えてみてひぇーと自分が一番びっくりしています笑)
その経験について先日お友達に、「その経験は今の声の仕事にどう生きているの?」と質問されて、すごくハッとしたので、今回noteにまとめてみようと思いました^^
それでは、私の舞台演劇のあゆみとともに振り返っていきます!
是非お付き合いいただけたら嬉しいです🍀


1.本番に至るまでに、様々な人の努力や協力そして、それぞれの想いがあることを知った

小3の時に声優になりたいと思ってから、どういう力が必要になるのか、どうやったらなれるのか、、、、という情報を集めまくりました。
その時、「声の仕事をやるなら舞台を経験しておいた方がいい」、そんなことが書かれている情報に幾度となく出会いました。
私は当時とにかく自分の容姿に自信がなかったので、舞台で自分の身体を使って演じるということにかなりの抵抗感がありましたが、それでも”演じてみたい”という気持ちが勝り、飛び込んだのが高校演劇でした。

どこの演劇部もそうだとは思いますが、入ってみると、とにかくなんでも自分達でやることに驚きました。
もちろん裏方スタッフもいたのですが、全体の人数が多いわけではないので、役者志望の人もそれぞれ役割を持つ必要がありました。
脚本も部員が書いていたし、舞台装置や小道具は土日にみんなでトンカントンカン日曜大工やペタペタチョキチョキ工作をやっていました。ちなみに私は衣装メイク担当だったので、脚本に合わせてプランを考え部員に募集し、持っている洋服を持ち寄って、なければ作ったりすることもありました。また、女子校出身だったので男役も女子が演じるため、さらしで胸を潰す方法が伝授されたり、メイクのメの字も知らないのに、子ども役男役おばあちゃん役などの特殊メイクを日夜研究をしまくりました笑

役者さんに華やかなイメージを持っていた私は、やることの多さ、役者として演技をする以前に舞台をひとつ完成させるのには、構想から準備実行までとてつもない時間と努力がいるのだということを知り衝撃を受けました。
そしてその一つ一つが一人ではできなくて、仲間と協力したり、先輩から教えてもらったり、友達や先生や親の協力が必要でした。

この体験は、現在の声のお仕事をする時もたくさんの気づきを与えてくれます。原稿をもらって、私は読むという仕事を与えてもらってはいるけれども、これが完成するのには依頼者のクライアントさんだけでなく、たくさんの人の積み重ねがあって、努力があって、協力があって、届けたい思いがあってそれを私に託してくださっているんだなと感じます。
きっと舞台という世界で自分も身体を使って作品を1から作るという作業を通していなかったらそんな感覚にはならなかったと思います。
今ある全ての映像や作品、表現されたアートはそういう積み重ねなのだと思います。(そう思うと、なんだかとてつもないことで感動してしまいますね^^)
私が声の仕事をさせていただけるまでには、いろんな方の様々な努力と思いがある。そのことをちゃんと忘れず心に留めてこれからも、大切に表現できたらと思っています。

2.根性と体力と正しい発声を手に入れた

私はもともと体が弱く、運動も大の苦手でした。
演じることに体力はいらないはずだ!そう思ってこの世界に入ったのに、
入ってみればそこはトレーニング地獄でした^^;
毎日ランニング、筋トレ、体幹、声出し、滑舌、、。本当に地味なことの積み重ねばかりでした。(これがキツくて本当に辞めたくなったことは一度や二度ではありません笑)

高校を卒業した後は大学受験に失敗し、地元の大学に進学したのですが、それでもなんとか声優の仕事につなげたい一心だった私は、地元の俳優養成所併設の劇団の門を叩きました。
そこでは、とにかく役者は体力!というのを掲げていて、徹底的にトレーニングを受けました。1年も続けると体力がなかった私でも身体の動かしやすさを実感するくらい、かなり体力がつきました。愛がある教えだったので、イヤイヤながらなんとか続けることもでき、根性も身についた気がしています

また劇団時代は、実は声についてかなりナーバスになっている時期でした。
高校演劇の最後の舞台で無理をしてしまい、喉を痛めて半年くらい声をできるだけ出すなと医師に言われ、私はその事にものすごく囚われていました。
”声優になる”そのことだけを目指して進んできた私にとって、それは衝撃的な出来事でした。経験の少ない子どもの私には、本当に自分の人生全て終わったと思うくらいのショックな出来事だったのです。
今まであんなに楽しくおしゃべりして歌って演技していたのに、何をしていても声のことが気になり、不安で手につかない。
誰にも言えませんでしたが、かなりの長い時間囚われ苦しみました。(今思えば声のことだけじゃなくて受験の不安とか、家族のいざこざとか色々あったんだと思うのですが、でも何より声のことが私にとってはもう人生を揺るがす大問題でした。)
大学に入学してもしばらくずっと声を出すことが怖かったんです。でも声優になりたい気持ちは全然変わっていなくて、その板挟みでとても苦しかった。
だからこのままでいたくない。そういう気持ちからこの劇団入ったという理由もあります。
でも厳しいけれど、体の作り方や本格的な声の出し方のトレーニングを積むことで、正しい腹式呼吸や発声を覚え、声はの過剰な不安もいつの間にか克服することができました。

その時の体験のおかげで、今声量や声のコントロールにはかなり自信が持てるようになり、しっかりお腹から響かせる安定感のある声が出せるようになったことは、声の表現を続けていきたいと思い続ける勇気にもなっています。

3.役のバックグラウンドを考えるようになった

大学は教養学部という広い学部に所属していたのですが、3年生になりゼミを決める事になりました。
もちろん心理学も専攻できたのですが、他の社会学とか教育学とか言語系のゼミも取ることができるという、結構何でもありの大学だったんです笑
心理学も好きだったけれど、”声優になりたい”という夢があった私は、言語系で「卒業制作で演劇をやる」というかなり稀有なゼミの存在を知り興味を持ちました。「これだ!」と思った私は、双方の教授になんとか頼み込んで、心理と演劇のゼミ二つを専攻することになりました。(演劇で培った根性が生かされた瞬間です笑)

劇団と違って、俳優養成のコースというわけではなく、舞台を通して言葉の奥深さや、その舞台が成立するまでの過程を研究し体感するということをコンセプトのゼミでした。そのためわたし以外のゼミ生に演劇経験はありませんでした。
ただ、教授はプロの演出家だったので、俳優修行を通して、人間性を深める。そんな目標を掲げ、指導してくださりました。

そこでは2年をかけて、演劇がどういうものかを学び、脚本を深め、役を徹底的に掘り下げる。そんな体験をしました。

題材はシェイクスピアだったのですが、そのシェイクスピアの脚本をアレンジして、実在の人物と絡めながらかなりリアルに形にしていきました。

そこで私は、ありがたい事に主役を頂いたのですがその役はまさかの男役でした笑
しかもその人物はかなり癖のある人物で、実在の人物のエピソードと絡めていることもあり、役を理解し私を役に寄せなくてはいけなかったので、今まで一番悩んだといっても過言ではない役でした。

教授や仲間とともに、とにかく全てを掘り下げまくりました。
その人物の時代や文化を文献で調べ、その役の生まれてから脚本の中に登場するまでの年表やエピソードを想像を交えながら補填していきました。そしてそのような人生を生きてきた人は、どんな歩き方をしてどんな振る舞いをするのか普段の生活はどんなものかなど身体に刻み込まれた動きや癖なんかも探求しました。
さらには劇中の登場人物との日常会話や関係性そこにまつわるエピソードも作り出したりすることもあれば、今を生きる一個人の私との違いや共通点を書き出してみたり、とにかくその舞台や役作りにトータル2年費やしました。
後にも先にもそのような体験は二度とないと思っています。

男役を初挑戦したときの写真発掘しました!

この体験は、一瞬のセリフや文章には、その一瞬に留まらない、何100倍にも広がるバックグラウンドがあることを私にいつも教えてくれます。
声の仕事として与えられるセリフや文章だけじゃない深さをいつも想定して感じて声に乗せたいなと思っています。

4.最適解のためのピースになることを追求する視点を得た

卒業後はやっとこさ上京して大学院に進学するのですが、卒業と同時に働きながら夜間で週3(実質稽古時間は各自なので週5以上でした💦)ナレーションも強いと言われる声優事務所付属の養成所に入所しました。

そこでは、アフレコやナレーションだけでなく、朗読、外画の吹き替えや歌やダンスなど幅広く学びました。そして当然身体を使った舞台表現の授業もありました。

養成所の1年目は、とにかく幅広く学ぶという形でしたが、2年目はオーデションを通った選抜メンバーになるので、そのメンバーとともに舞台を作り上げるということが主な授業になりました。
その舞台は総合芸術を謳っていて、アフレコや歌朗読ダンスなども発表するのですが、その中でも舞台演劇に力を入れていました。

脚本は完成しているものの中から選択性で、私は2人芝居を選びました。
先生が脚本家でもあり、演出家でもあったので、表現や脚本の読み取りについて、かなり奥深い指導をしてくださいました。

私たちは脚本を成立させることを常に課題とされました。
「脚本の一つ一つのセリフには全て綿密な意味があって、なんでそのセリフが書いてあるのか考えろ!」といつも言われていました。
最初はよくわかっていませんでしたが、役を深めていく中で、理解していたはずのセリフが「あー本当はこういう意図があったんだ!」とか「本当はこういうことを言いたかったんだ!」と二重にも三重にも解釈が変わってしまい大パニックを起こしたことが何度もあります。
お客さんの心に届くような舞台を届けるためには、脚本の中に散らばったピースを重ね合わせて、ピッタリ整合性を持つことが大切なんだとそこで気がづきました。
そのピースの何かが欠けても、何かがちょっとズレても成立し得ない。そのくらい緻密な作業が必要なのだと愕然としました。
脚本家や演出家そして役者、舞台装置や小道具衣装メイクどれもみんなチームでピースで、脚本に書いてあることを成立し、その内容をお客様の心に一番に届けるためには何が必要で何が求められるか、それぞれが最適解を探して話し合って同じ方向を向いて協力していかないと成り立たないのだということを学んだ体験でした。

今でも自分がピースである感覚は声の仕事でとても生きていると感じます。
お客様の求めている声とは何か分析し、そこに寄り添い自分がその最適なピースになることを一番に考えたいなと思っています。
私にできる最大限の力で、今求められていること、聞いてくださる見てくださるお客様の心に一番意味ある形で届く最適解は何か?そのことを考え続けようと思うことができています。

終わりに

昔語りが長くなってしまってすみません!
僭越ながら、私なりに「身体を使った舞台経験は今の声の仕事にどう生きているの?」かをまとめてみました。
ここまでお付き合いくださった皆さま本当にありがとうございます🙇‍♀️
まとめていると、色々迷いながらもチャレンジして来たんだなと少しだけ自分を褒めたくなりました笑

上記だけ読んでいると得たことばかりのようにも思いますが、
実際は舞台で自分の身体を使い、どこまでも貪欲に考え続け、チームメイトともぶつかり続けたりなど私の心や身体をすり減らすことも多かったのも事実です。
だから現役で芸を極める舞台俳優さん達を本当に本当に尊敬しています。
今はまだすぐにでも舞台に戻りたいというパワーはないのですが、いつかまたなんらかの形で関われたらとも思います。
舞台演劇を通して感じた、良かったこともちょっと苦しかったことも今の私のナレーター声優というお仕事に、そして私自身の生き方に大きな影響を与えていたんだなと改めて気づきました。
この振り返った思い出達を胸に、大切に楽しく声の表現を続けていきたいなーなんて思います😊





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