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怒りの功罪

「芳川さんは喜怒哀楽の、怒の感情を持たない」

何年か一緒に働いた同僚、何人かにそう言われたことがある。

そんなことはない。たとえば居酒屋で最初の生ビールが全然来ないときなど、それなりに怒っている。だが、「怒りを表明すること」には、あまり意味がないし不毛だと思っているので滅多にしない。行き場がないだけで私の心にも怒りはある。表明しないだけだ。

でもまあ、そしたらそうか、外から見たら「怒らない人」か。妻はきっと私のそういうところを見込んで結婚したのではないかと思う。

ところでヨシタロウ4歳である。

この育児記録をつけ始めてから早2年が経つ。当初、若年の次男ヨシスケが相対的に優遇されていくだろうことを危惧し、「おれだけはいつまでもヨシタロウを甘やかそう」と誓い、甘やかしてきた。

2歳当時。それなりに幼稚園では活発に動くし、メシも1人で食えたのだが、私がいると「パパだっこしてぇん」「パパたべさせてぇん」となってしまっていた。若干、退行していた。

2年経って4歳、もう5歳も見えて来ている。羽生結弦さんは4歳からスケートリンクに立っていたそうだが、ヨシタロウはどうかというと、1人の時はそれなりに、食事、歩行、排泄などもこなす。箸も使えるくらいなのだが、私がいるとてんでダメである。「パパだっこしてぇん」「パパたべさせてぇん」「パパトイレつれてってぇん」

私の前では、まったく成長していない。

「どうしてパパがいると何もできなくなるのよ!!」

妻はこれについて激オコ。怯えたヨシタロウはヒシッと私につかまって離れなくなる。私も妻も時間に余裕があるときならそれでも別に良いのだが、だいたい、時間に余裕なんて、ない。

特に余裕がないのは、月曜の朝である。

昼寝用の毛布やらストック用の着替えやら。保育園の荷物が最大になる、1週間で最大に忙しい。

私は月に2回くらいはずっと在宅にできる日があるのだが、たまたま月曜日にそれが当たった。

地獄のケミストリーが起こった。

「パパたべさせてぇん」からの「チョコパンがいいのぉん」(ねぇよ)からの「きょう ほいくえんいきたくない」で、妻がバチギレした。

「良い加減にしなさいよ!ヨシくんが保育園行かないと、ママもパパも仕事にいけない、そしたらお金がないし、おもちゃも全部売るからね!」

「やだー!(泣く)」

「じゃあいつまでもパパに乗ってないで着替えて保育園行くよ!」

「やだー!(泣く)」

両雄、一歩も引かない。

どうだろうか、ここは私も「ヨシタロウが保育園に行かないなら仕事ができない」当事者でもある。9時からを皮切りにめちゃくちゃオンライン商談があるので確かにのっぴきならない。何よりここでヨシタロウの味方についてしまうと妻の立つ瀬がない。「私ばっかり怒っていて嫌われてイヤだ」みたいなことを言っていたし。

ここは一発、怒って差し上げようか。

私もエンターテイナーの端くれである。内心にかかわらず「怒り」を表明することは、もちろんできる。

ちょっと声を荒げて怒った。凄んだ。

するとどうだろうか。

まず「キャアア」と妻が悲鳴をあげた。

ヨシタロウはこの世の終わりのような顔をしてヒクヒクと嗚咽した。

ヨシスケは、1歳児なりに自分は関係ないと分かるのだろうか、笑うでも悲しむでもない、なんかスンっとした無表情で、ぎこちない「気をつけ」をしていた。

シーン。

時が止まった芳川家の静寂を打ち破るように私は立ち上がり、無言でヨシタロウの仮面ライダーギーツの変身ベルトなどを黙々とゴミ袋に放り込んで行く。ヨシタロウの慟哭はさらに増した。すがりついてきても意に介さない私に対して観念したのか、着替えるそぶりを見せ始めたので,さっと着替えさせて,茫然自失した状態のままヘルメットもつけて電動チャリに押し込んだ。妻も、私と目を合わせないまま、前後に2人を乗せて出発した。


あとで聞いた話だが、そのあと保育園までの道中で妻はちょっと泣き、ヨシタロウは保育園到着のタイミングでゲロを吐いたらしい。ヨシスケは静かにウンコを漏らしていた。

夜に、妻から真顔で切り出された。


「怒る役割は私がやるから、頼むからもう怒らないでくれないか」

承諾した。理由は聞かなくても良いだろう。

その後ヨシタロウは二日間くらいは私の前でシャンとしていたが、元に戻った。

さらに翌週。また私が在宅で、ヨシタロウが私の上に乗ったままグズりまくる事態になったが、怒りを封じられている私はなす術がない。彼のためにちぎったチョコパンを握ってただ機嫌が良くなるのを待っていた。

結局妻の怒声と腕力でヨシタロウは動いた。

「パパはもう、朝は居ないで欲しい」

そう言い残して、妻は自転車を漕いで保育園に行ってしまった。

私の怒りは、行き場が見つからないままだ。

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