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「成功したオタク」を観ました


渋谷のシアター・イメージフォーラムで「成功したオタク」を観てきました。
元々自分の商業連載作品がアイドル漫画なこともありますし、先日n番部屋を燃やし尽くせをようやく読了し、韓国におけるフェミニズム問題にも興味があったので機会があればぜひ観たい…と思っていたところ。

起きた瞬間だいぶもう間に合うか怪しい時間だったのですが、数日後には上映スケジュールが変わり、さらに朝早くなるようだったので覚悟を決め、猛ダッシュすることでギリギリ間に合いました。そこそこ駅から距離あるな、イメージフォーラム…。
地元の愛媛でこういう単館系を見ると言えば松山南銀天街のシネマルナティックなのですが、私はそんなに真面目に映画を見るタイプではないので単館系のシアターに行くといつも「世の中って、こんな色んな映画があるんだ…」と呆然としますね。ユニコーン・ウォーズとか初めて聞きましたが…。すごいな…。

タイトルにもなっている「성덕(ソンドク)、成功したオタク」とは、韓国のファンダムにおいて「(推しからの)認知を受けたオタク」や「推し本人に会えたオタク」という意味。
界隈のオタクにもなんとなく「あー、あの人ね」と認識されている感じのオタクなんであろうか。

映画の語り手であるオ・セヨン監督は、10代のころからチョン・ジュニョンという歌手のファンとなり、イベント(握手会かな?)に韓服を着て行くという若者らしさとパンチの効いたテクニックで推し本人、そしてファン界隈からも認知を受ける。
熱烈ファンがスタジオに登場~!みたいな番組にまで出演し、推しに直接「健康でいて欲しい。夏はサムゲタンを食べ、冬は肉まんを食べてほしい…(うろ覚え)」という文章を読み上げたりもする。
実際の番組映像を使用しているので、観客にも一瞬で「す、すげえ…!!この人は本当に成功したオタクなんだ…」ということが伝わる。

10代の女の子がファンダムの中でここまで目立つということに私はちょっと恐ろしさを感じた(インターネットでバチボコに妬まれそうだな…と思った)。
しかしながら後半に出てきたオタクが「あなた(監督)のことを凄いと思っていた、韓服を着るという行動も、学年一位を取ったってことも私とは違っていて…」と語っており、そこはシンプルに評価するオタクがいるんだ、なんか、まとも…!と逆にビビってしまった。
別に監督がその辺を自慢するでもないので当然だが、ここで唐突に「監督は学年1位の優秀なオタクだった」という事実が出てくるので笑ってしまった。ブログとかに「テスト1位だった~✨」とか書いてたんであろうか。
監督は推しから「親孝行しろよ!勉強してソウルの大学に入れよ!」という手書きメッセージを貰っているのだが、推しの言う通りに親孝行して、ソウルの大学に入ったということなのだろう。
初めての遠征、初めてのライブ、初めてのオフ会、全てを乗り越える、成し得るエネルギーを推しから貰っていた、「成功したオタク」であるオ・セヨン監督。

しかしながら、「成功したオタク」は一転、「失敗したオタク」となる。
推しであるチョン・ジュニョンが性加害容疑で報道を受けたのだ。
この辺おそらく韓国では「みなさんご存じのあの事件…」的に扱われているので見ていて少しわかりづらかったのだが、
バーニング・サン事件(クラブでの性暴行動画を芸能人たちがグループチャットで共有していた事件)とのことだった。

映画の中には様々な「失敗したオタク」が登場し、性犯罪に手を染めた元推しへの失望、怒り、いまだに彼らを支持しているファンへの警告など思い思いの言葉を語る。
全てがチョン・ジュニョンのファンというわけではなく、元推しもそれぞれで(なんと監督のお母さんが昔推していた芸能人までも!!)、
「え、性犯罪で逮捕された芸能人多くねーか…?」とも思ったのだが、性犯罪報道が出たらしっかり逮捕および社会的地位を失うということは至極当然である。
というか、いくらこの手の報道が出てもスターという強すぎる光に惹かれてしまうのは、人間の性なのだろうか。
「人は夢の世界を求めますよね、スターはその世界を作り、維持する、神のようなもの…」という持論にはしみじみした。
韓国の芸能のレベルの高さ、要求されるものの厳しさは全く詳しくない私にも何となく伝わってくる程ではあるが、全てにおいてめちゃくちゃ大変そうである。

映画はオタク達の心の置き所を探る旅でもありながら、同時に性加害への強いNOを唱え続ける。
「(アーティスト・アイドルに対し)韓国は民主主義国家です、遵法意識を持って欲しい。」というコメントが最も心に残った。
頑張ってほしい♡ 健康に気を付けて♡ 大きな会場に私たちを連れて行って♡ という無邪気な望みの果てに抱いたのが、
「遵法意識を持ってほしい」。なんて悲しいんだろうか。

「失敗したオタク」達の話、そして監督の行動はどれもオタクなら共感してしまうというか、全くどのオタクにも共感できませんでした!ということはないんじゃないだろうか。
グッズの葬式をしよう、と言ってありとあらゆるグッズを引っ張り出し、
「これはホントに歌詞が最高だったんだよね」
「見て、チョン・ジュニョンとV.I(どちらも事件に関与していた人物)のツーショだよ。ヤバすぎ…!」
「全部捨てるっつったけどさ、サイン入りはやっぱ捨てられないわ…」
と半笑いになりながら語らう。このテンションのリアルさ。いたたまれなさ。

度々「彼らは犯罪を犯すことで私たちファンをも加害者、被害者にした。思い出を汚した」と語られる中で、推しだった彼のことを、推していた日々を語らうオタクたちの表情は何か眩しいものを見つめるようでもある。
犯罪を許容することはできない、しかしあの楽しかった日々がなかったことにはならない。
あそこでさー、(推しを真似して買った)ギター壊したよね。おいしいごはん食べたよね。人生の一つ一つが推しと結びついてしまっている。
足枷を付けて生活してほしい。愛犬と幸せに暮らしていて欲しい。
いっそ死んでほしい。自殺してはいけない。生きて罪と向き合ってほしい。
たくさんの矛盾する言葉が出てくる光景は、オタクのばらばらになった心そのものでもある。

ドキュメンタリー映画ではあるが今作はとにかく監督本人がオタクなので、「その時オタク達は…」ではなく「その時私は…」という目線で展開していくのがよい。
特に私が感銘を受けたのは、推しに送っていなかったファンレターや、性加害報道が出た当時の日記という「当時の感情」がそのまま記録された文章がポンポン発掘されてくるところである。監督、めちゃくちゃ文才があるというか、頭が良くて繊細な感性の持ち主なのだなあ…ということがよくわかる。
「オッパ(推しニキ)のことが大好きで、推し活のために授業サボるのも全然余裕です。…もしいつかこの推し活を後悔する日が来たらどうしよう。推し活なんてしないで勉強しとくんだったとか後悔するような日が来たら…」(要約)というくだりはもうほぼ預言書のようなものだ。
作者は推しのおかげで勉強して、今作がヒットしているわけだから一概に人生何もかも推しに捧げて破滅です!という訳ではないのだが…。

性加害報道が出た日の日記では「報道出した記者の名前、絶対忘れん…。」という憎しみがつづられているが、まず推しではなく記者を恨むという見当違いっぷりがTHE・オタクムーブという感じである。
実際記者への迫害が過熱したのであろう。監督が記者本人に会いに行った際の
「あなたからの(報道が出た時に一方的に恨んだことの謝罪)メールで救われました」という言葉には重みがある。
記者との語らいの中で未だに元推しを擁護するオタクについて触れられ、(彼女たちは)パク・クネ元大統領の支持者みたいだね、ということになり、支持者の集会に参加するスピード感は面白い。

この映画では意図的に「元推しを擁護するオタク」の姿や言葉は映されていない。まあ、出ていたら一方的に“断罪”する描き方になってしまうだろうし、被害者への二次加害にもなりかねない。
代わりとして、パク・クネ元大統領に「愛しています閣下!!」「またお目にかかりたいです!!」とファンレターを書き綴る人々が映されているのであろう。
「若い人が参加してくれて嬉しい!」と監督にパク・クネグッズをくれる支持者たちは、もはやチェキのために買いまくって余らせた推しのCDを友達に配るオタクそのものである。
集会に集う人々の後ろ姿はどことなく充実しているように見える。要するに、この集会自体が、言ってしまえば推し活なのだろう。彼ら、彼女らは今、「成功したオタク」なのだろうか…。

「推し活をすること自体が幸せで、推し活をすることそのものが成功なんです」と言い切るオタクの言葉の強さが、眩しかった。
私はすぐオタクの暗い面(同族同士でシバきあったり)に目を向けてしまうのでね…。
まあこの映画では「推しが性犯罪者になる」よりも最悪なことは無いので、当然か?

個人的にこの映画で一番良かったシーンは母親とのやり取りで、
娘の推し活が母親から見てどうだったか、
自分の推しはどうだったか…ということが語られるシーン。
え?アンタの推し、控訴してんの!?じゃあ話変わるわ~~~!!」て急に態度が冷たくなるところがよかった。
やはり人間に大事なのは遵法意識、贖罪意識です。

全体的にシリアスになりきらないので心地よく、オタクとして共感でき、オタクとして己を顧みることのできる作品でした。
人間臭いというか。「推し活なんてもう最悪。二度となんも推さん!!!」とかじゃなくて、また別の推しを作っているオタク達…。
「誰を推すか」というより、「(何かを)推すことで私の人生はどうなったか」ということにフォーカスされた映画であるように思えます。

まさに今日本の芸能の倫理観が混沌を極めている中(ジャニーズ、お笑い、宝塚…)、ファンはどうあるべきか?という点で、自分の心の置き所を探すきっかけになるのではないかと思います。

私の推しは槇原敬之で、アルバムを全部聞いていると断言できるアーティストは槇原敬之しかいない。
一度薬物に手を出しながらも、再度表舞台に復帰し、活動を続ける姿は薬物依存からの脱却にもがく人々にとっても支えになるのではないかと思っていた。母と一緒に行ったことのあるコンサートは槇原敬之だけだし、歌番組に出る時は「今日は絶対冬がはじまるよでしょ!」と無邪気に披露曲を予想していた。

二度目の逮捕を受け、その後に出たアルバムはまるで聴く気になれず、買えていない。
性犯罪と薬物犯罪という点ではこの映画に出てくるオタクと私は違うのだが…。違法薬物が反社を支えているという事実は最悪だし…。
槇原敬之の楽曲は今でも大好きだし、いい思い出ばかりだが、あの日からずっと鍵アカウントになったままだった槇原敬之のツイッターも、「もうそろそろいいですかね…?」と言わんばかりの一斉のタイミングで活動が盛り返してきたのも、全部妙に心がぎこちなくなったまま見ている。

でも今年のツアーのチケット、たぶん昔の曲いっぱいやるだろうな…て思って……取ってしまったんだよなあ…。
どんな気持ちで見ることになるんだろう。
今から不安です。

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